『バートルビー』のテクストに現れる気になる言葉と表現

『バートルビー』のテクストに現れる気になる言葉と表現についてメモしておきたい。

タイトルについて

 この小説の正式なタイトルは、"Bartleby the Scrivener: A Story of Wall-Street" である。”Bartleby the Scrivener”という表現は、"Alexander the Great"や"Charles the Great"と同じ構成をしていて、「偉大なる者なるアレキサンダー」という含みがある。その構成からすると、「代書人たるバートルビー」という語感はあるだろう。同時に、「アレキサンダー大王」という名前システムでは家系や出生地は問われない。「バートルビー」にもそんなものはないということ。
 Scrivenerの意味は「代書人」でよいだろう。光文訳本文では「法律筆耕人」ともある。英語としては、「公証人」の含みあるが、基本的には「書き写す人」という意味以上の含みはないだろう。
 やや厄介なのは、"A Story of Wall-Street"である。これは、Wall-Streetが場所であるため、「ウォール街での物語」と受け取りやすいが、構文的には、「ウォール街を語る物語」であろう。ウォール街の本質が語られるという暗示はあるだろう。

Bartlebyという名前について

Bartlebyという名前についてだが、この固有名詞の含みはわからなかった。まず、明白な含みは存在していないようだ。語形成的には、Sotheby'sなどに近い。この固有名詞は、Sotebi (Sotby)からで、さらにこれは人名Sotの町(by)というバイキング的な語形成らしい。ここから推察するに、Bartlebyには英国の古い町を連想させる語感はあるだろう。次にBartleという言葉の語感だが、Mt. Bartle Frereの名前に由来するHenry Bartle Frereが連想されるが、ビクトリア朝的な響きだろうか。ダジャレとしては、beetleやstartle、dartle、bartlette、男爵(bart)などがある。

語り手の仕事について

冒頭のavocationsに奇妙な含みがある。

I am a rather elderly man. The nature of my avocations for the last thirty years has brought me into more than ordinary contact …

直訳するとこうなる。

私はかなり高齢の男性である。この30年間、私は趣味の性質上、普通の人よりも多くの人と接触することになった。

Websterでは、こう。

avocation: a subordinate occupation pursued in addition to one's vocation especially for enjoyment : HOBBY

つまり、「余業」「道楽仕事」ということだが、vocationではないという含みはあるだろう。

語り手のバートルビーの捉え方について

語り手はバートルビーを基本的に次のように捉えている。

Bartleby, who was a scrivener the strangest I ever saw or heard of.

"a scrivener the strangest" 「代書人だが奇妙なる者」で、strangerなので、「異邦人」「場違いなやつ」の含みはある。

語り手の「文学」観について

なぜBartlebyが書かれるのか? 「文学(literature)」にとって重要だということで、文学観が示唆されている。

I believe that no materials exist for a full and satisfactory biography of this man. It is an irreparable loss to literature. Bartleby was one of those beings of whom nothing is ascertainable, except from the original sources, and in his case those are very small.
(試訳:この男の、完全で満足のいく伝記を書くための資料は存在しないと信じる。それは、文学にとって取り返しのつかない損失である。バートルビーは、原資料からでなければ何も確認できない存在の一人であり、彼の場合、それらはごくわずかである。)

また、これは、資料の扱いから、聖人やイエス・キリストの含みはあるだろう。いえば、福音書である。

Nippersの意味について

ターキーとジンジャーナットについて、ニックネームの由来が書かれているが、ニッパーズについては明確に書かれていない。

光文社の牧野訳ではニッパーズを「鉄線切断鋏」としている。

一人目が「七面鳥」すなわちターキー、二人目が「鉄線切断鋏」すなわちニッパーズ、そして3人目が「生姜クッキー」すなわちジンジャーナットというわけです。

原文
First, Turkey; second, Nippers; third, Ginger Nut.

ここでNippersなのだが、イタリア語のWikipediaにはこう説明がある。

Egli ha tre dipendenti: Turkey (tacchino) e Pince-Nez (occhiali a stringinaso) sono due scrivani, mentre Ginger Nut (biscotti allo zenzero) è il fattorino.
(試訳)彼には3人の従業員がいる: ターキー(七面鳥)とピンスネズ(鼻眼鏡)は2人の書記で、ジンジャーナッツ(生姜ビスケット)は配達員です。

というわけで、nip(つまむ)の鼻かもしれない。

ターキーの「上着」の比喩の由来

ターキーの「上着」の由来に使われている馬とオート麦の比喩は奇妙なので原文を当たると、ダジャレだった。牧野訳および柴田訳からはわかりにくい。

牧野訳
よく、馬にオート麦を与えすぎると良くないといいますが、その法則と同じなんです。つまり、せっかちで落ち着きのない馬にオート麦をたくさん与えると、むしろ気が荒くなるというのとまったく同じで、ターキーは立派な上着を与えられるとおかしくなってしまいました。

柴田訳
ああいうふかふかの、毛布のような上着を着てぴっちりボタンを留めたことは、彼に有害な影響を及ぼしたと私は本気で信じている。多すぎるオート麦は馬に悪い、というのと同じ理屈である。

原文
I verily believe that buttoning himself up in so downy and blanket-like a coat had a pernicious effect upon him; upon the same principle that too much oats are bad for horses.

試訳
私はまこと、こう確信するのです。燕麦(オート)の食べ過ぎは馬に良くないというのと同じ原理で、毛布のようなふかふかのコートを着てボタンを留めることは、彼に悪い影響を与えると。

ここは、coat(上着)とoat(燕麦)のダジャレなんですが、訳には表現されていません。

バートルビーの力について

語り手が感得するバートルビーの力(ちから)についての表現で、訳文を比較してみた。

牧野訳
でも、バートルビーには、奇妙にも私から攻撃の力を奪うだけではなく、不思議にも私の心を動かし、まごつかせるような何かがあったのです。そこで私は諄々と道理を説くことにしました。

柴田訳
だが、バートルビーにはどこか、不思議と私の怒りを解いてしまうばかりか、何とも妙なことに、私の心を打ち、私をうろたえさせるところがあった。私は彼に向かって理を説き始めた。

原文
But there was something about Bartleby that not only strangely disarmed me, but in a wonderful manner touched and disconcerted me. I began to reason with him.

試訳
しかし、バートルビーには、不思議と私を武装解除させるだけでなく、素晴らしい方法で私の琴線に触れ、狼狽させる何かがあった。私はものの道理を解き始めた。

関連箇所を探ると、次の箇所に違和感があったので、原文にあたった。

牧野訳
しかしそれでも、彼にまつわる不思議な穏やかさが、私から攻撃力を奪っただけはなく、いわば、私から男らしさまでをも奪ったのです。というのも、私が思うに、自分が雇っている書記に指図される人間、そして事務所から立ち去るように命令されておとなしく従うような人間は、一時的ではあれ男らしさを奪われたように思われるからです。

柴田訳
にもかかわらず、何よりその不可解な穏やかさが、私の怒りを解いたのみならず、いわば私を去勢したのだ。何しろ、自分が雇った男の言いなりになって、自分の仕事場から立ち去れと命じられても大人しく従うのだ。これが去勢でなくて何であろうか。

原文
Indeed, it was his wonderful mildness chiefly, which not only disarmed me, but unmanned me, as it were. For I consider that one, for the time, is a sort of unmanned when he tranquilly permits his hired clerk to dictate to him, and order him away from his own premises.

試訳
実際、彼の素晴らしい穏やかさが、私を武装解除にしただけでなく、ある意味で無気力にした。なぜなら、さしあたりであれ、自分に雇われた事務員に静かに指図され、自分の敷地から追い出されることを許している人は、ある種無気力状態にあると私は考えるからです。

訳語が分かれるのは、"unmanned"である。2箇所同型だが、最初が動詞、二番目が形容詞である。この表現は他のコンテクストでどう使われているか調べたが、小説中、この二箇所のみであった。

"unman"は、un+manで、「非男性」ということだが、このmanは「人間」とも取れないことはない。「非人間化する」「非人間状態」と訳すことも可能かもしれない。

語り手の心理における報奨の表現について

語り手の心理における報奨の表現について、訳文に違和感があったので原文にあたってみた。

牧野訳
そうなんだ、ここで私はおいしい自己称賛の気持ちを安く手に入れることができるのだ。友人としてバートルビーの世話を焼いてやること、彼の奇妙なわがままを聞いてやること、そうだ、そうしたところで私は、ほとんど、あるいはまったく金を払わなくてもよいのだ。しかもその一方で、心の中に、いつか良心にとって甘美な喜びとなるものを蓄えておくことになる。

柴田訳
そうなのだ。これは私にとって、甘美な自己礼賛を安価に手に入れる好機である。バートルビーの味方となって、あの奇妙な強情を許してやることで、ほとんど何の費用もかけずに、己の魂のなかに、やがてわが良心にとって快い馳走となるに違いないものを蓄えることができるのだ。

原文
Yes. Here I can cheaply purchase a delicious self-approval. To befriend Bartleby; to humor him in his strange willfulness, will cost me little or nothing, while I lay up in my soul what will eventually prove a sweet morsel for my conscience.

試訳
そうだ。ここで私は、おいしい自己承認を安く買うことができる。バートルビーと仲良くすること、彼の奇妙な意欲を愉しむことで、私の代償はほとんどなく、一方で私は自分の魂に、やがて自分の良心にとって甘いお菓子を蓄えることができる。

”a sweet morsel for my conscience”について、聖書を当たってみた。次の箇所に類似性があった。

創世記第18章
1 主はマムレのテレビンの木のかたわらでアブラハムに現れられた。...「わが主よ、もしわたしがあなたの前に恵みを得ているなら、どうぞしもべを通り過ごさないでください。...わたしは一口のパンを取ってきます。元気をつけて、それからお出かけください。...」
And I will fetch a morsel of bread, and comfort ye your hearts;

《"With kings and counsellors," murmured I.》について

バートルビーの死に現れる語り手の表現である 《With kings and counsellors," murmured I.》は、ヨブ記3:14に依拠している。

牧野訳
「そう、地の王たちや参議たちと共にね」私はつぶやきました。

ヨブ記3:14
11 なにゆえ、わたしは胎から出て、死ななかったのか。腹から出たとき息が絶えなかったのか。
12 なにゆえ、ひざが、わたしを受けたのか。なにゆえ、乳ぶさがあって、わたしはそれを吸ったのか。
13 そうしなかったならば、わたしは伏して休み、眠ったであろう。そうすればわたしは安んじており、
14 自分のために荒れ跡を築き直した地の王たち、参議たち、
15 あるいは、こがねを持ち、しろがねを家に満たした君たちと一緒にいたであろう。

「この世に生まれなかったら、安らかに、王たち、参議たち、と眠っていただろう」つまり、「王たち、参議たちと眠っている」というのは、死んでいるというより、生まれることを拒むことができたという意味になる。

まとめ

原文を参照してみてわかったが、光文社の牧野訳も柴田訳もけっこうクセが強かった。こう言うと僭越だが、読みが浅い文だけ、文体がそれっぽくできあがってしまっている印象は受けた。では、どういう訳文ならよいのかだが、語り手や登場人物のキャラクターの了解がかなり問われるだろう。少なくとも、語り手はもっと馬鹿っぽい感じがしないではない。

【追記】
BartlebyとNippersについてGPT-3に英語で聞いてみた。GPT-3はけっこう嘘をつくが、意外と英文学には強い面もあり、真偽不明だが参考にはなった。以下、抄訳。

「バートルビー」という名前の意味は、いくつかの解釈がされています。一つの解釈によると、この名前はウェールズ語の「バートリー」という姓から派生したもので、大麦農場で働く人の息子を意味しています。これは、バートルビーが卑しい出自であり、下級の文章作成者であることを表している可能性があります。
 別の解釈では、バートルビーという名前はフランス語の「バルトロール」(barteleur)という言葉に由来するとされています。これは、小さな詐欺師やだます人を意味しており、バートルビーの社会の規範に従わない傾向や雇用主や社会の期待に従わない拒否的な態度を表している可能性があります。
 全体として、バートルビーという名前の意味は多様で解釈の余地があります。しかし、メルヴィルはこの名前を通して、孤独感や無関心、支配文化への拒否などを体現するキャラクターを表現したかったと考えられます。

GPT-3

 ハーマン・メルヴィルの小説「バートルビー」に登場するキャラクター、ニッパーズの名前の由来は明示されていません。しかし、いくつかの説があります。
 一つの説は、19世紀半ばに若い見習いや助手を指す俗語「nippers」から名前を取った可能性があるというものです。これは、物語の中でニッパーズが弁護士の下で働く若い事務員であるため、ぴったりと合うかもしれません。
 別の説は、ニッパーズが文書をつまむ癖があることから、その名前がついたのではないかというものです。ニッパーズは、イライラした性格と机の上の書類や物にいじり回す傾向があることで知られており、この説も彼の名前の由来を説明できるかもしれません。
 全体として、ニッパーズの名前の正確な由来は不明であり、メルヴィルが単に名前を選んだ理由として、その特徴的な音や記憶に残る質を選んだ可能性もあります。

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