自由間接話法(Free indirect speech)と『トニオ・クレーゲル』

今回の記事は文学論的・言語学論的なので込み入っています。ご注意。

前回の「『トニオ・クレーゲル』における人称叙述(Person narrative)装置の意義」では、この作品における特異性に焦点を当てたが、文学理論的には、三人称叙述のなかに一人称叙述を埋め込む小説技法は、自由間接話法(Free indirect speech)である。この小説史的な背景を知らなかったのであらためて調べてみると、興味深いものであった。簡素にこの機にまとめておきたい。

まず、自由間接話法(Free indirect speech)だが、日本語での権威ある定義は簡単に見渡した範囲では見当たらなかった。Wikipediaの日本語では「話法」の一項目に次のようにあった。少し長い引用だが、ざっと見ても論点が散見される。

自由間接話法
間接話法の場合、引用文を「言う」「尋ねる」等の動詞を用いて全体を締めくくり、「彼は……言った」「私は……尋ねた」のような枠をなす節の中に引用文が入る。このように引用文を締めくくる節のことを「英: reporting clause(伝達節)」という。ところが、稀に伝達節を欠く間接話法が存在する。これを自由間接話法(英語版)(英: free indirect speech)という。英語圏ではオットー・イェスペルセンの用語で描出話法(英: represented speech)ともいう[15]。
He would return there to see her again the following day.
He would come back there to see her again tomorrow.
2例とも自由間接話法の例であるが、間接化の度合にはさまざまな段階がある。2つめの例では代名詞と時制のみが間接化されており、「tomorrow」は元発話の形式を残している。
日本語では時制の一致がなく、代名詞も現れないことが少なくないので、小説の地の文の中に現れる自由間接話法と、後述する自由直接話法との区別がしにくい。そのため欧文の自由間接話法(描出話法)を日本語訳する際は(自由)直接話法に近い形に訳すことが行われている[16]。また自由間接話法は作者の言葉(草子地)との区別や、普通の地の文との区別がしにくい場合もある。例えば上の例では「彼」が「戻ってくるつもりだ」という意志を述べているのか、それとも作者が「戻ってくるだろう」という推量を仮定法として叙述しているのかがわかりにくく、文脈で判断することになる。
以上のように日本語では通常時制の一致は起こらないが、次のような過去形の表現のことを「描出話法」と分析する者もある[17]。

wikipedia

まず、このWikipediaの記者は、接続法(仮定法)の理解が不十分であろう。しかし、この問題は、接続法(仮定法)自体の言語学的な不備にもよるので(イェスペルセンに問題も問題がある)しかたない。余談だが、この問題は私の修論のテーマの一つでもあった。

日本語Wikipediaでは次の項目が後置する。

自由間接話法に似たもの
ドイツ語圏ではこれによく似たものを体験話法(独: erlebte Rede)という。ドイツ語では間接話法で接続法が用いられるのが普通だが、体験話法では直説法がふつう用いられるので、これを「自由間接話法」と呼ぶことはできない。日本語でもこの用語が用いられることがある[19]。

同上

erlebte Redeは重要なのであとで論じるが、ここで示されるのは、「法」差で話法を分けているのだが、ゆえに、erlebte Redeは直説法ゆえに「自由間接話法」ではないとしている。これは正しいだろうが、留保したい。

英語Wikipediaでは次のように、やや定式化した印象を与える。

Free indirect speech is a style of third-person narration which uses some of the characteristics of third-person along with the essence of first-person direct speech; it is also referred to as free indirect discourse, free indirect style, or, in French, discours indirect libre.
(自由間接話法とは、一人称の直接話法のエッセンスとともに、三人称の特徴を利用した三人称の語りのスタイルで、自由間接話法、自由間接スタイル、あるいはフランス語でdiscours indirect libreとも呼ばれる。)

同上

英語圏での理解では、この特性として、次の項目があるが、議論を要する。

The lack of an introductory expression such as "he said" or "he thought". It is as if the subordinate clause carrying the content of the indirect speech were taken out of the main clause which contains it, becoming the main clause itself.
(「彼は言う」「彼は考えた」といった導入表現の欠落がある。間接話法の内容を運ぶ従属節が、それを含む主節から取り出され、主節そのものになったようなものである。)

同上

とあるが、それこそが接続法なので、Wikipediaレベルの議論は混乱している。

とはいえ、文学史的には、次の定説があると見てよいだろう。

Roy Pascal cites Goethe and Jane Austen as the first novelists to use this style consistently, and writes that Gustave Flaubert was the first to be aware of it as a style.[3] This style would be widely imitated by later authors, called in French discours indirect libre. It is also known as estilo indirecto libre in Spanish, and is often used by Latin American writer Horacio Quiroga.
(ロイ・パスカルは、このスタイルを一貫して使用した最初の小説家としてゲーテとジェーン・オースティンを挙げ、スタイルとして最初に意識したのはギュスターヴ・フローベールと書いている[3]。このスタイルは後の作家によって広く模倣され、フランス語でdiscours indirect libreと呼ばれるようになる。スペイン語ではestilo indirecto libreとも呼ばれ、ラテンアメリカの作家オラシオ・キロガがよく使っている。)
簡素に言えば、ゲーテ、オースチン、フローベールと独・英・仏と並べたあたりに、無難すぎる世界文学的評論の妥協的稚拙さが感じられる。実態は、各文学において異なるだろうし、その間の影響分析は必要になるだろう。

同上

煩瑣な議論のようになってしまったが、「自由間接話法」の文学的かつ言語学的定義は曖昧である。

では、各国小説での発展はそれぞれの系統があるだろうか。論点を『トニオ・クレーゲル』との関連でいうと、先のEerlebte Rede(体験話法)が焦点になる。まず、ドイツ語Wikipediaを参照する。

Die erlebte Rede (auch „freie indirekte Rede“) ist ein episches Stilmittel, das zwischen direkter und indirekter Rede, zwischen Selbstgespräch und Bericht steht: Gedanken oder Bewusstseinsinhalte einer bestimmten Person werden im Indikativ der dritten Person und meist im sogenannten Epischen Präteritum ausgedrückt, das damit eine atemporale Funktion annimmt.
(体験話法 (「自由間接話法」とも呼ばれる) は、直接話法と間接話法の間、独り言と報告の間に立つ叙事詩的な文体の装置である。ある人物の考えや意識内容は、三人称の現在形で表現され、通常は「叙事的過去」と呼ばれる過去形で表現される。これにより、非時間性の機能が想定される)。

同上

これがドイツ文学の系譜での説明かというとそうでもなさそうであり、次のようにやはり、接続法との混乱がある。

Die erlebte Rede unterscheidet sich grammatikalisch von der indirekten Rede, die im Konjunktiv formuliert wird.
(経験的発話は、間接話法とは文法的に異なる。それは接続法で定式化される。)

同上

フランス語Wikipediaでは、この話法をDiscours indirect libreとしてフランス文学のなかに位置づけようとしているが、それはさておき、次のような興味深い指摘がある。

Pourquoi le discours indirect libre n'a pas été repéré avant la fin du 19e siècle ? L'hypothèse avancée pour expliquer son apparition à ce moment-là est qu'il est rattaché au réalisme (littérature), qui utilise souvent un style impersonnel. Les narrations de l'époque classique étaient exprimées par un narrateur identifié, procédé qui se prête mal à son usage. Plus généralement, la formation de plusieurs voix correspondant chacune à une personne était conçue comme un travail réalisé par le narrateur principal. Toutefois, il existe quelque cas qui ressemblent au discours indirect libre. Par exemple, dans Marivaux ou dans Racine, lorsqu'un narrateur imagine une objection que l'on pourrait lui faire. 3
(自由間接話法が 19 世紀末まで発見されなかったのはなぜか? この時期の登場を説明するために提示された仮説は、それがしばしば非人格的な文体を使用する写実主義(文学)に結びついているというものである。古典時代の物語は、特定された語り手によって表現されていたが、この手順はその使用(写実主義)にはあまり適していない。 より一般的には、各人物に対応する複数の声の形成は、主要な語り手の仕事として考えられていた。 しかし、自由な間接話法に類似したケースもある。例えば、マリヴォーやラシーヌでは、語り手が自分に対してなされるかもしれない反論を想像する場合である。 3)
つまり、自由間接話法は、写実主義の流れから生じたというのである。その評価は難しいが、一般的に『トニオ・クレーゲル』は自伝的作品として、いわば私小説の類縁のように捉えられているが、そうではないという視点もありうるだろう。

同上

なにより興味深いのは、写実主義により語り手が絶対的に人の内面に入り込むという逆説的な文学運動となった点であろう。

『トニオ・クレーゲル』はこうした19世紀的写実主義の自由間接話法が、前回触れたようにその極限で超越的話者によって解体されるポストモダン的な特性を示している。

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