finalvent読書会 『幼年期の終わり』はどんな作品か?

finalvent読書会 『幼年期の終わり』はどんな作品か? 第一部

改稿設定では、人類は21世紀を迎える。2000年代であろうか。ロシアの女性飛行士ヘレナが、火星探索前に、40年前に人類最初の宇宙飛行士となったガガーリン(ユーリ)を思い、祈ると、巨大な宇宙船が現れたと、いうシーンから始まる。この巨大宇宙船が世界の主要都市上空に実質君臨して、そこから高度な知能を持つ宇宙人によって人類がより高度な知的存在となるべく監視・指導される時代となり、その達成をもって、人類の「幼年期」が終わった、ということになる。

改稿前設定では、20世紀後半、米国とソ連は、冷戦に関連した軍事目的で最初の宇宙船を軌道に打ち上げようと競い合っている状態で、宇宙船が到来する。

『幼年期の終わり』の構成と第1部

この作品は3部に分かれていて、全体は、全知に想定されるナレーターによって語られている。

第1部 地球とオーバーロードたち

巨大な宇宙船が地球の主要都市の上空に君臨し、国際間の紛争が終結し、宇宙人は人類の滅亡を防ぐため、人類の監督・指導を行なうと発表した。彼らは「オーバーロード」なる。

Overlordは、Lord(主人)の上に立つ大君主を意味する。キリスト教では、神=イエス・キリストは、Lordとも呼ばれるのでそのアイロニーの含意もある。「上帝」と約語もあるが、これは道教の最高神の用語である。

 だが、オーバーロードたちは、人類に公然とは干渉しない。せいぜい、アパルトヘイト(このあたりがレトロSF)や闘牛を神経拘束的な威嚇でやめさせる程度。

大君主カレル​​レンは、国連事務総長リッキー・ストームグレンと定期的に会談している。このいわば特権から、彼は宇宙船に招かれる。が、かれも大君主を目にすることない。それを目にするのは、50年後であると告げられるが、彼にだけ、少し公開される。それは、「悪魔」そっくりだった。

大君主を疑念にもつグループの活動がある。

考察ポイント


第一部は、いろいろな部分で示唆的だが、そのなかでも大きな論点は、なぜオーバーロードらが悪魔の形をしているかで、これには、やや、厄介な設定が隠れている(タイムパラドックスからみ)。

人類を指導する、人類より高度な存在は、現在のSF的な世界では、シンギュラリティ後のAIになぞらせるパターンがあり、長谷敏司『BEATLESS』では超高度AIが相当し、同パターンで人間的な反乱勢力も存在する。

これらは、人類を越える存在が人類史に介在したらどうなるかという、ある意味、キリスト教の戯画的な含みをもつ。現代世界は、世俗化し、人類を越える存在はないとされるが、LLMの存在から、シンギュラリティのイマジネーションが膨らみ、それら、高度なAIが人類にとって危険ともなりうるという発想は、すでにSFではなくなっている。

余談だが、『BEATLESS』では、超高度AIは、一部の特権者によって囲われ、利権集団と化し、ゆえに公平な再配分を高度AIに託せるかという問題提起がなされるが、『幼年期の終わり』ではそのような対立すらも終わったとされている。

SFによる未来想像は、基本的に、どのようなティストピアを描くか、にかかっている。これが知的であるか、非知的あるがゆえに現代世界の比喩であるかの差異はあるだろう。

余談もうひとつ。アニメ『Vivy -Fluorite Eye's Song-』もそうしたAIと幼年期の終わり的な作品であり、これも微妙なディストピアを描くが、ここでもタイムパラドックスは使われる。

タイムパラドックスは、ある意味稚拙な様式でもあるが、これは、「歴史のIF」の裏返しでもあり、人類の思考様式そのものに根ざしているのだろう。

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