finalvent 読書会 D 三島由紀夫『奔馬』を読んで

昨日、三島由紀夫『奔馬』を読み終えた。読後すぐの感想を書こうと思ったら、ノーパソが電池切れで、家事等の時間に紛れてしまった。

三島由紀夫『奔馬』だが、面白かった。こんなにも面白い小説だったのかというのが、まず驚きだった。そして、『カラマーゾフの兄弟』によく似た作品であることにも驚いた。

とはいえ、冒頭、『春の雪』の連続ですらすらと読み進めたはいいが、「神風連史話」で躓いた。なんでこんなものが挿入されているのか、小説全体が破綻しているのか、三島由紀夫の右翼趣味が炸裂しているだけなのではないかと思った。

しばし休息して、「神風連史話」だけに集中して読んだ。つまらない話かというと、私にはかなりつまらない話でもあり、昭和初期の文体とも思えない(擬古的ではない)、とも思ったが、逆に読み進めると興も乗って読み終えた。

そして、これの本多の感想が続き、それを読むに、軽く驚いた。

『奔馬』という作品は、三島事件の弁明的な存在でもある。なので、もっと、「神風連史話」のように右翼的な思想世界に滑り込んでいるのだろうと思ったが、驚くほど、異なっていた。

さらに読み進めれば進めるほどに、三島事件の相対化がなされている。つまり、世の中の三島事件への批判など三島由紀夫本人はうんざりするほど承知であったことがわかる。これは、逆にどういうことなのだろうかと思った。

そして、小説としての面白さは加速していった。本多の転生観の揺れも面白いが、つまるところ、この転生直感とは、人が他者には絶対に語り得ないことという比喩をなしていることに気がつくと、なんというか、小説というものの面白さが脳髄にぎんぎんきた。別の言い方をすれば、転生があるかないか、あるならどんな思想によるのか、そんなことはある意味、どうでもよいのである。リアルであること、リアリティが人の心的世界において転倒してしまうというリアリズムが描かれているのだ。北崎の挿話は笑った。

そして、プロットは『カラマーゾフの兄弟』のように、実は推理小説の仕立てももっていて、そこここに伏線が散りばめられている。もっとも、推理小説としては稚拙の部類ではあるだろうが、要点は誰をどのように疑うかという思惟の面白さである。

裁判シーンも圧巻だった。これは、『カラマーゾフの兄弟』と同じではないかと思った。眞子はカーチャである。偽証の扱いも!

面白い。とにかく、面白い小説だった。こんなにも面白いと感じさせる点でもドストエフスキーと似ている。

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