finalvent 読書会 『八十日間世界一周』のリアルタイム・メディア性

『八十日間世界一周』でフォッグ氏とパスパルトゥーが、ロンドンの改革クラブから出発したのは、1872 年 10 月 2 日 午後 8 時 45 分。帰還期限は、80 日後の 12 月 21 日の同時刻、なのだが、この作品が、フランスのパリの新聞「ル・トン(Le Temps)」に掲載されたのが、同年 11月6日。 連載は、漱石作品のように経日的ではなかったが、最終連載日は、物語のエンドの翌日、22日であったため、この作品が現実のルポルタージュのように勘違いした人もいたらしい。

21世紀前半の私たちから見ると、ビクトリア朝時代の世界を想像させる面白さだが、当時の英仏人には、交通技術的には半未来的な作品でもあり、リアルタイムの作品でもあった。メディア的に言うなら、生放送的なリアリティがあったことだろう。

リアルタイムのメディア性としては、空想的なものではあれ、世界各地からのマナ放送的な感覚もこの作品には含まれている。特に、日本人にしてみると、フォッグ一行による横浜訪問などは、現代日本人にとっても興味深い。

その関連でいうなら、イギリス人女性イザベラ・ルーシー・バード(Isabella Lucy Bird, 1831 - 1904)も連想される。彼女が日本を単身訪問したのは、1878年(明治11年)6月から9月なので、『八十日間世界一周』から6年後であり、時代も近い。

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