finalvent 読書会 『八十日間世界一周』第4週! 最終週

finalvent 読書会 『八十日間世界一周』が第4週に入ります。これで最終週です。

とはいえ、この作品は非常に読みやすいので、今から読み始めても大丈夫です。気軽に読めます。

一応スケジュールはこんな感じでした。
スケジュール
第1週 5/1 〜 5/5 第1章 〜 第11章
第2週 5/8 〜 5/12 第12章 〜 第21章
第3週 5/15 〜 5/19 第22章 〜 第29章
第4週 5/22 〜 5/26 第30章 〜 第31章

『八十日間世界一周』は読書が早い人なら、6時間くらいで読めるかもしれない。テーマも複雑ではないし、伏線などもあまりない。定本が挿絵付きであるように、絵本のようにも読むことができる。基本娯楽の読書と言えるが、現代から読むと、近代世界の登場の図像学的な興味対象にもなるだろう。

特に、下巻では、日本とアメリカが登場する。日本人としては、当時、1872年の日本のイメージが西欧・列強の、比較的非政治的な文脈でどのように映っていたかという点に関心が向く。

1872年というと、明治4年、あるいは明治5年である。この言い方が奇妙なように、この年、日本は太陰暦から太陽暦に切り替わった。詔書の後、太政官布告第337号によって、太陰暦を廃して太陽暦を採用することになった。このため、太陰暦(旧暦)の明治4年は1971年の11月21日から始まり、その年の12月2日で終わる。そして、暮れも正月もなく、明治5年12月3日を新暦の明治6年1月1日(新正月)として、1973年に重ねた。これにあわせて明治政府は、神武天皇即位を紀元とする紀元歴を布告し、紀元節ができた。これが戦後、建国記念の日になるが、日本書紀の神武天皇の時代は太陰暦なので、つまりは旧正月=中華圏の春節である。

暦法の変化のさなかに、フォッグ氏一行が日本の横浜に来たという設定だが、作者のジュール・ヴェルヌは日本に来たわけではないので、イザベラ・バードのような体験的な証言によっている描写ではないが、読んでみると、かなり正確であるように思われる。アンベール 『幕末日本図絵』を参照しているらしい。日本人が中国人とはまったく異なるという描写も興味深い。なお、イザベラ・バードは、1878年(明治11年)に来日しているので、ほぼ同時代と見てもよいだろう。が、当然、彼女の記録をジュール・ヴェルヌは参照できない。

スミレについて

光文社訳下巻24頁に次の文章がある。パスパルトゥーが横浜で食い物がなく腹をすかしているところである。

そのうち、パスパルトゥーは雑草の間に秋咲きのスミレを見つけた。
「よし、こいつを今晩の食事にしよう」
だが、実際に手にとって匂いを嗅いでみると、なんの香りもしない。
「やっぱり食べられないか」

原文
En errant ainsi, Passepartout aperçut quelques violettes entre les herbes:
« Bon! dit-il, voilà mon souper. »
Mais les ayant senties, il ne leur trouva aucun parfum.
« Pas de chance! » pensa-t-il.

試訳
こうしてさまよいながら、パスパルトゥーは草の中にスミレの花を見つけた。
「いいぞ!」彼は言った、「ほら、これが私の夕食だ »
しかし、匂いを嗅いだところ、まったく香りが見いだせなかった。
「ついてないな!」彼は思った。

こうしてみると、光文社訳の「やっぱり食べられないか」や意訳で、それと、香りは"parfum"なので、香水の含みがあるだろう。香水の香りで、食欲というのも変だし、そもそもスミレを食べても腹がくちるわけでもない。これは、スミレ売りだろう。フェルナン・ペレーズに”A Martyr or The Violette Merchant”というスミレ売りの絵があるが、これはちょっと悲惨な印象である。

藤田嗣治にも『スミレ売りの少女』という絵があるが、こちらはかわいい。

https://www.suiha.co.jp/artists/century-masters/tsuguharu_foujita/小さな職人:スミレ売り/

宝塚歌劇団の「すみれ売り」も同じ起源だろう。

そして、日本ではニオイスミレと呼ばれているが、フランスのスミレからは香水も得られるので、この文脈のperfumにその含みはあるだろう。

というわけで、パスパルトゥーは、においスミレを見つけたら、スミレ売りで、夕食代くらいは稼ごうとした、というのがここのシーンだろう。

変顔

パスパルトゥーが曲芸団にはいるおり、「おどけた顔はできるか」と聞かれるシーンがある。原語では、faire des grimancesでこれは、「変顔をする」ということで現在でも使われているが、どういう時代背景か、調べてみたがわからない。

どうも、フランスに限らず、変顔の文化史がありそうだが、やはりわからなかった。

挨拶の文字

光文社訳では次の箇所がある。

また、ある者は煙管を吸って、香り高い紫色の煙で宙に文字を描き、挨拶の言葉を綴ってみせた。

Un autre, avec la fumée odorante de sa pipe, traçait rapidement dans l’air une série de mots bleuâtres, qui formaient un compliment à l’adresse de l’assemblée.

また、パイプの香り豊かな煙とともに、一連の青みがかった言葉を素早く空中になぞった。それは聴衆に宛てた賛辞となった。

これは、「大入」ではないかと思う。

長鼻の曲芸

パスパルトゥーは横浜で曲芸を披露するのだが、この天狗団ともいえいそうな長鼻の芸能集団の由来だが、おそらく、河鍋暁斎『狂斎画譜』からの連想だろう。

以上、横浜編に少しこだわったが、日本側の資料は日本人がアクセスしやすいせいもある。『八十日間世界一周』は文学的には高い評価を受けているわけではないが、ディテールには今日的な観点から、非常に興味深い問題が隠れていそうではある。

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