『トニオ・クレーゲル』第4章 「道に迷った一般人(ein verirrter Bürger)」について

『トニオ・クレーゲル』第4章の最重要用語であり、この作品の最重要用語でもあるのが、「一般人(Bürger)」である。つまるところ、トニオ・クレーゲルという人間は、Bürgerの一種、「道に迷った一般人(ein verirrter Bürger)」だということである。

浅井訳(光文社)
あなたはね、道を迷った一般人なのよ。トニオ・クレーガー――道に迷った一般人なの。

実吉訳
あなたは横道にそれた俗人なのよ、トニオ・クレエゲルさん――踏み迷っている俗人ね。

原文
Sie sind ein Bürger auf Irrwegen, Tonio Kröger, ein verirrter Bürger.

英訳 by Bayard Quincy Morgan 1914
Your are an ordinary man astray, Tonio Kröger, –an erring commoner.

直訳(私訳)
あなたは、迷い道にある市民、トニオ・クレーガー、道をはずした市民よ。

ここに光文社の浅井訳では、次のように長い注釈として、ドイツ文学者・伊藤白による次の解説がついている。

こうした「芸術家的」な生活を嫌うトニオを、リザヴェータは単なる「一般人」(4章)と呼ぶ。実はこの語句は、この作品の中で最も訳出の難しい箇所かもしれない。実際に過去の翻訳を見てみると、「市民」、「俗人」、「普通の人」と様々である。原語はBürgerで、「市壁の中に住む人=市民」という意味であるが、特に自治都市リューベックでは、それは政治に参加する「責任「ある市民」という意味にもなり、またボヘミアンな芸術家との対比においては「まともな人」、そして悩める天才との対比においては「凡庸な人」、という意味までを含む。「単なるBürger」と言われて傷つくトニオは何とも青臭いが、そんなところがまさに同じく悩める読者の心を捉えてきたのだろう。

伊藤解説

この箇所の原典の基本的な含みとしては、Bürger にとって進む道があるのに、そこからたまたま Irrwegen (迷い道)にある、ということだが、Bürgerであることには、ある種の規範性も託されていることがわかる。そう考えると、一部で支持されている「Bürger=俗人」は、その規範性の薄さからは十分に適切な訳語とも言えないだろう。

また、”ein verirrter Bürger”も”ein Bürger auf Irrwegen”と同義であり、むしろ、簡潔に言ったものとして、「迷っているBürger」だが、これも語構成から「道に迷う」の語感がある。ここは、聖書の「迷える子羊」が自然に連想される。

ルター聖書マタイ18章12節を参照すると、"verirrte"が使われおり、『トニオ・クレーゲル』のこの部分の参照と見てよいだろう。

”Wenn irgend ein Mensch hundert Schafe hätte und eins unter ihnen sich verirrte: läßt er nicht die neunundneunzig auf den Bergen, geht hin und sucht das verirrte?:”
(もし百匹の羊を持っていて、そのうちの一匹が迷子になったとしたら、その人は九十九匹を山に残して、迷子になった一匹を探しに行かないだろうか。)

ルター聖書より。訳は私訳。

3種類の訳文のなかでは、英訳がかなり意訳になっていることに気がつく。が、同じ聖書文化における聖書との対応とすれば、astrayの語はむしろ理解しやすいだろう。他方、Bürgerは、英訳では、an ordinary man、a commonerとされ、普通であることが強調されているが、erringには、規範性からの「間違い」の含みがあるだろう。こうした点は、非聖書文化の日本語訳からは感覚として反映することはむずかしいだろう。

”ein verirrter Bürger”と関連して重要なのが、第4章の最終文である。「これで心安らかに家へ帰れる」として。

光文社訳(傍点付き)
僕はやっつけられて用済みなんだから。

実吉訳
ぼくは片付けられてしまったのですから。

原文(一文字空けかイタリック)
Ich bin erledigt.

英文
I am finished.
erledigenは、「完了する・片付いている」なので、実吉訳が近いようにも思える。

各種訳文

私にはドイツ語の語感がわからないので、"Ich bin erledigt."をそのまま画像検索してみると、動物がぐったりしている光景がトップに出てくることに注意したい。をの感じだと、「僕はもう終わりだね」だろうか。

"Ich bin erledigt."

"Ich bin erledigt."には滑稽なトーンがあるのかもしれないが、さらに、「死んだぁ!」というアイロニーで「家に帰る」ということかもしれない。

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