帚木「雨夜の品定め」の仕掛け

個人的に、帚木「雨夜の品定め」というのが嫌いだというのは前回書いたが、そのせいか、この部分にほとんど私は意味を見いだせずにいたのだが、田辺聖子『新源氏物語』を読んでて、愕然と気付かされたことがあった。そもそも、帚木「雨夜の品定め」とは何か? 一般的には、平安時代の色好み男たちの女性観や品評くらいに捉えていた。もちろんそれもあるのだが。

これを一つの劇としてみると、登場人物は4人。

光源氏(17歳)
頭中将(22歳)
左馬頭(30歳?)
藤式部丞(30歳?)

役回りだが、頭中将が切り出し兼司会というかモデレーターというかつっこみ。左馬頭がボケというか、道化回し。そして、その道化回しの落ちで藤式部丞ということなのだが、ここで、光源氏の役回りは何?

「雨夜の品定め」で源氏はほとんど語らない。というか、この劇は、光源氏が語らないことが本質になっている。なぜ? 普通に考えると、これらか先輩たちの色好みに誘発されて、光源氏が中品の年増女にそそられるという前段のようだが、それだけでもなかった。

それだけなら、頭中将は要らない。というか、頭中将の話は伏線でもあるが、その伏線だけというより、彼は、光源氏の義兄であり、光源氏と妹の葵上の関係に心配りとしていた。すでに光源氏は六条御息所と関係しているし、多数の女とも関係しているから、そのなかで、左大臣家としても、光源氏を管理する必要があり、それで、女性談義に引き込んだ、というのが、雨夜の品定めの一番上位の劇的構図だった。

これを最初にすぱっと描くあたりに、田辺聖子の読みがすごいものだなと思った。

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