小説の読み方、基本のき

「小説の読み方、基本のき」、なんだかそれ、ちょっと偉そうな言い方で恥ずかしい。私は大した小説読みでもないという自負もあるからね。それに、「小説の読み方」というような解説書は、いっぱいある。偉そうな先生方が書かいているよ。と、いうと皮肉っぽい。ただ、なんというかとっても基本的なことが、あまり知られていないように思う。じゃあ、それって何?

小説を読むというのは、小説に飲み込まれること

一番大切なことは、小説を読むというのは、小説に飲み込まれること。扉を開けたら異世界だった、トラックにぶつかったら異世界だった的な、あれれだ。あっちの側から小説という異世界に引き込まれちゃったよ、というのが小説を読む原点にある。

だから、そういう小説に出会ったら、それを読めばいいだけのこと、とも言える。これはけっこう大切なことだと思います。

逆に言えば、小説家は、読者に異世界ドアを開こうとしているし、トラックをぶち当てようとしている。ということは、小説を読み始めるとき、読者は、「おおっ、どう来るんだい?」とわくわくしていることが大切なんです。この感覚は、小さい子供のころ、大人から、「これらかすっげー面白い話してやんかんなあぁ」というふうに教育することで養われます。でも、そういう大人が減ってしまった気がしますね。つまんねー、大人が多くなりました。

小説冒頭に仕掛けられた異世界ドアには、2つのタイプがあります、と思う。一つは、謎を提示すること(えっえっえ?何何?、どーなってんのぉ、女の子になってるぅ)、もう一つは、なんかあるよねこの雰囲気です。

実際は、雰囲気があって謎が来るというふうになります。冒頭の雰囲気の描写こそは小説家の技能ですし、謎は雰囲気のなかで現れます。この謎を偉そうに「主題」と言ってもいいかもしれません。ただ、謎だけがあってそれほど主題のない作品もあります。アソートチョコを食べてるような。

読み始めてどこで、異世界ドアが開くか?

読み始めてどこで、異世界ドアが開くか? 答え、1行目と、2ページまで、です。1行目はいいとして、2ページって曖昧では?と思うかもしれません。そのとおり、だいたい2ページ。だからそのイメージは紙の本ですね。なぜ2ページかって? ページをめくる動作を読者に促すことが小説家の力量というか念力というかですね。小説家は思っているからです、「読者よ、ページをめくれめくれめくれ」と。

そしてというか、だからというか、ここに小説を読む「基本のき」があります。つまり、1行目を考えなさいということ、2ページまでをよく読みなさい。

でも、どうやって2ページまでをよく読むのかい? というと、音読するといいのです。3回くらいするといいです。そしてこれにはもう1つの効果があります。そのまえに……読めない小説を無理に読むのはおやめなさい。

読めない小説を無理に読むのはおやめなさい

名作文学とか読むと教養が増したような気がするものです。『失われた時を求めて』を読破したら、ツイッターでえっへんを連発したくなりますよね(私です)。

でも、そうしていると、人生がつまんなくなります。ええと、率直言いますね。小説なんか読まなくても人生楽しい人が世の中大半なのです。人生ってなんて過酷なんだつまんねーという残りの人を、小説はもしかすると救うのです(地獄に突き落とすとも言うが)。小説を無理して読んでいると、この「もしか」の可能性がなくなります。

では、どこで「読めない小説」とわかるのか。さっきの話の続きですよ。

それは、2ページまでを3回音読して、どこにもどこでもドアではない、小説という異世界に引き込むドアが見つからない、というなら、その小説を読むのをやめたほうがいいです。

なぜか、2つ理由があります。1つ目は、小説というのは、歌のようなものだからです。息づかいと音楽があるのです。その感じ方は、個人個人の身体・肉体でだいたい決まっています。音楽の好みようなというか、アレルギーのある人がアルゲンを食べてはいけないような感じ(これはちょっと言い過ぎ)。そして、翻訳小説だと、翻訳者のこの息づかいや音楽性で、読める訳文と読めない訳文が生じてしまいまいます。これは誤訳がどうという以前に、しかたながいことです。『トニオ・クレーゲル』なんか10個以上も翻訳があるんですよ。

2つ目は、「それをまだ読む時期ではない」からです。読書が人生の深い喜びであるのは、ここに関わっています。

ちょっと偉そうですが、「この小説が面白い!」という小説は人生の時が経つと、「あのときは面白かった」という経験で終わってしまうものです。だって、人は人生を生きて、いろいろ経験しているのですよ。人の心は変わっていくのです。そして、「なんでこんなつらい経験するのか意味ねーじゃん」というとき、ジン(アラビアンナイトのジンですよ)が現れて、「取って読め(tolle lege!)」と、それまで読めなかった小説を差し出すのです。すると、それを読む時期が来たということです。

まあ、そんな感じっすかね。Bonne lecture ! 


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