finalvent読書会『ゴリオ爺さん』小説の優れたところと「アヴァンチュール」

『ゴリオ爺さん』という小説を読んでいると、描写というか構成がうまいなあと感心するところがある。第一章で気になった一箇所を紹介したい。

七人がたがいに挨拶をしながら、 テーブルについたとき、十時の鐘が鳴った。通りから学生の足音が近づいてくるのが聞こえた。
「あら! ちょうどいい。ウジェーヌさん」 シルヴィが言った。「今日はみなさんと食事ができますよ」
 学生は下宿人に挨拶をした。それからゴリオ爺さんのそばに坐った。
「ついさっき、とても変わった事件(アヴァンチュール)に出くわしました」 そう言いながら、学生は自分の皿に羊肉をたっぷりとよそい、パンを切った。ヴォケール夫人は毎日横目でその分量を測っていた。
「情事(アヴァンチュール)ですと!」ポワレが言った。
「ほお! なんであんたがそんなに驚くんだね、おじさん?」 ヴォートランがポワレに訊いた。
「お兄さんくらいいい男なら、あっちのほうもうまくいくさ」
タイユフェール嬢は恥ずかしそうに、ちらりとこの若い学生を見た。
「いいからその事件とやらを話してくださいな」 ヴォケール夫人が言った。
「昨日、ボーセアン子爵夫人の舞踏会に行ったんです。...」

光文社訳p60

一通り下宿屋のキャラクターが紹介されたあと、キャラクターが動き出すシーンとしてよくできている。コックのシルヴィにはホスピタリティが感じられる。学生=ウジェーヌ=ラスティニャックがこの場の中心。彼は食卓でゴリオの横にあえて座る。ヴォケール夫人はしみったれた感じがするが懇親も促す。初老男ポワレは「情事」に関心を持っている。初老男ヴォートランはそこに突っ込む。というのも、ヴォートランはポワレのこうした世事の関心を監視している。ヴィクトリーヌ・タイユフェールはウジェーヌに関心がある。

これらは、すべてこのあとの物語の伏線にもなっている。あとから、このシーンを読みなすと驚くほどだ。

もう一点気になるのは、アヴァンチュール(aventure)である。「事件」と「情事」を訳し分けている。日本語の「アヴァンチュール」は「情事」の意味だが、フランス語ではどうか。私事になるが私はアンスティチュ・フランセでフランス語を習っているとき、講師にこの件を聞いたことがあるが、そのとき、aventureに「情事」「危険な恋愛」という意味はないと言っていたのが記憶に残っている。Le Dicoを引くと、情事の意味はあとのほうに出てくる。ただ、その意味・含みがないわけではない。

『ゴリオ爺さん』の原文ではaventureが10箇所ほど(派生語もあるため)を使われているが、「情事」の含みが浮き立つのはここだけで、逆にこのシーンで「情事」の含みがあるかなのだが、ヴォートランのツッコミでそれは暗示されているかにも思える。
 原文を確認してこう。あえて、aventureを「予期せぬ出来事」で通して訳してみる。

-- Il vient de m'arriver une singulière aventure, dit-il en se servant abondamment du mouton et se coupant un morceau de pain que Madame Vauquer mesurait toujours de l'oeil.
-- Une aventure! dit Poiret.
–Eh bien, pourquoi vous en étonneriez-vous, vieux chapeau ? dit Vautrin à Poiret. Monsieur est bien fait pour en avoir.

「予期せぬ出来事がひとつあったばかりなんですよ」と彼は言い、自分用に羊肉をたっぷり取り分け、パンを切った。パンはヴォケール夫人がいつも目測したものである。
「予期せぬ出来事ですと!」 ポワレは言った。
「おやおや、なんでおまえさんが驚いているんだよ。この古い帽子」 ヴォートランはポワレに言った。 「この紳士君は、あって当然のことをやりとげたんだぜ」

 比較に1913年のEllen Marriageの英訳を参照するとこう。aventureは訳しわけられていない。

"I have just met with a queer adventure," he said, as he helped himself abundantly to the mutton, and cut a slice of bread, which Mme. Vauquer's eyes gauged as usual.
"An adventure?" queried Poiret.
"Well, and what is there to astonish you in that, old boy?" Vautrin asked of Poiret. "M. Eugene is cut out for that kind of thing."

"est bien fait pour en avoir"が"is cut out for that kind of thing"と意訳されているが、cut outには型紙から布を切り出すイメージが基本だろう。含みとしては、「うまく仕立てがいっている」だろうし、そこは、bien faitの含みに近いだろう。

さて、aventureを訳し分けるべきかだが、ヴォートランのツッコミには、若い子なら「冒険」はするというより、やはり若い男性にはふさわしい性欲のほのめかしから「情事」の含みがあるだろう。

とはいえ、これを初老のポワレのセリフで出したあたりで、バルザックの時代すら、「情事」の含みは弱いか、旧態の社交界の含みがあるのではないか。


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