finalvent読書会『ゴリオ爺さん』小説の優れたところと「アヴァンチュール」
『ゴリオ爺さん』という小説を読んでいると、描写というか構成がうまいなあと感心するところがある。第一章で気になった一箇所を紹介したい。
一通り下宿屋のキャラクターが紹介されたあと、キャラクターが動き出すシーンとしてよくできている。コックのシルヴィにはホスピタリティが感じられる。学生=ウジェーヌ=ラスティニャックがこの場の中心。彼は食卓でゴリオの横にあえて座る。ヴォケール夫人はしみったれた感じがするが懇親も促す。初老男ポワレは「情事」に関心を持っている。初老男ヴォートランはそこに突っ込む。というのも、ヴォートランはポワレのこうした世事の関心を監視している。ヴィクトリーヌ・タイユフェールはウジェーヌに関心がある。
これらは、すべてこのあとの物語の伏線にもなっている。あとから、このシーンを読みなすと驚くほどだ。
もう一点気になるのは、アヴァンチュール(aventure)である。「事件」と「情事」を訳し分けている。日本語の「アヴァンチュール」は「情事」の意味だが、フランス語ではどうか。私事になるが私はアンスティチュ・フランセでフランス語を習っているとき、講師にこの件を聞いたことがあるが、そのとき、aventureに「情事」「危険な恋愛」という意味はないと言っていたのが記憶に残っている。Le Dicoを引くと、情事の意味はあとのほうに出てくる。ただ、その意味・含みがないわけではない。
『ゴリオ爺さん』の原文ではaventureが10箇所ほど(派生語もあるため)を使われているが、「情事」の含みが浮き立つのはここだけで、逆にこのシーンで「情事」の含みがあるかなのだが、ヴォートランのツッコミでそれは暗示されているかにも思える。
原文を確認してこう。あえて、aventureを「予期せぬ出来事」で通して訳してみる。
比較に1913年のEllen Marriageの英訳を参照するとこう。aventureは訳しわけられていない。
"est bien fait pour en avoir"が"is cut out for that kind of thing"と意訳されているが、cut outには型紙から布を切り出すイメージが基本だろう。含みとしては、「うまく仕立てがいっている」だろうし、そこは、bien faitの含みに近いだろう。
さて、aventureを訳し分けるべきかだが、ヴォートランのツッコミには、若い子なら「冒険」はするというより、やはり若い男性にはふさわしい性欲のほのめかしから「情事」の含みがあるだろう。
とはいえ、これを初老のポワレのセリフで出したあたりで、バルザックの時代すら、「情事」の含みは弱いか、旧態の社交界の含みがあるのではないか。
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