finalvent 読書会 『八十日間世界一周』『ジュール・ヴェルヌが描いた横浜』

ジュール・ヴェルヌの『八十日間世界一周』は、私が好きな小説で、もとはといえば少年期に見たこの映画が好きだったことによる。最近では、スターチャンネルで見られる2004年版の『80デイズ』も見た。が、迂闊にも、『ジュール・ヴェルヌが描いた横浜』というか冊子の存在も知らなかったし、この背景となるジュール・ヴェルヌ研究会というのも知らなかった。先日、『日本図絵』との関連で調べていて、知り、急遽購入した。あと、同研究会の『八十日間世界一周』特集も欲しいと思い、連絡したが返信がない。どうも、先日の文学フリマで出店したらしいので、これにでかけた娘に購入を頼んでおけばよかった。後悔。

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で、『ジュール・ヴェルヌが描いた横浜』だが、今回はその第1部「『80日間世界一周』とヴェルヌ」の「第1章 ジュール・ヴェルヌとは?」と「第2章 『80日間世界一周』の成立」の話題。これも迂闊だったが、私は、ジュール・ヴェルヌという作家自身にはあまり関心がなかったことがわかった。率直に言って、文学というより、大衆小説作家と見ていて、軽視していたのである。というか、ジュール・ヴェルヌがSFの父というあたりで、SFと文学というは、何かしら別ジャンルのような感じでいた。余談だが、そんなわけで、ということでもない、クラークの『幼年期の終わり』はこの読書会で扱う予定でいる。

まあ、もうちょっと弁解すると、そういう見方は、文学研究では普通かなという感じもするが、時代と合わせて、大衆小説を見直すのはけっこう重要な文学研究テーマである。さらに余談だが、『ああ無情』『巌窟王』『椿姫』といった、翻案的な表題ゆえに読まれた海外小説の大衆的な影響というのは、日本近代文学史的にも重要だろうと思っている。そういえば、『八十日間世界一周』も明治時代に訳されていて、こうした時代文脈にもある。

で、ジュール・ヴェルヌなのだが、デュマの友人というか、デュマに出会って小説を志したということで、最初書いていたのは、劇作だった。同書では、「当時、小説は婦女子の読み物にすぎず、文学といえば、まず詩、そして戯曲のことだったのである」とある。時代的には、1984年頃で、つまり、二月革命の時代であり、実質的な意味での「フランス革命」の時代だった。

つまり、ジュール・ヴェルヌ(1828-1905)という人は、2歳のとき、7月革命でブルボン朝の王政復古が倒され、オルレアン家のルイ・フィリップを国王とした立憲君主制の王政期であるオルレアン朝に育つも、1848年の二月革命で、第二共和制で20歳を迎えた。

ちなみに、読書会で扱った『ゴリオ爺さん』(1835)のバルザックは、1799 - 1850で、第二共和制登場ごろに亡くなっている。『ゴリオ爺さん』と『八十日間世界一周』(1872)の間には、40年くらいの差がある。現代日本人の感覚だと、昭和と令和くらいの差だろうか。

ヴェルヌは当初、短編作品を書くが、そのなかに『気球旅行』(1851、改題『空中の惨劇』)があり、これが後、『気球に乗って五週間』(1863)となる。『八十日間世界一周』の映画や近年ドラマでも定番のように気球が出てくるのもそんな背景があるのかもしれないと、今更ながらに思った。

この作品『気球に乗って五週間』だが、1862年の作品『スカンディナヴィアにおける3人の旅行者の陽気な不幸』で、出版社のピエール=ジュール・エッツェル(Pierre-Jules Hetzel, 1814-1886)が注目し、書かせたものだった。実質、SFの父の誕生は、彼によると言っていいほどのようだ。このピエール=ジュール・エッツェルは、なかなかに面白い人なので、機会があったら、深堀してみたい。

『ジュール・ヴェルヌが描いた横浜』の第2章「『80日間世界一周』の成立」も面白い。

ジュール・ヴェルヌは、アラン・ポーの影響からこの作品の着想はもっていたが、実現は、当初は戯曲だったらしい。戯曲化の話は、エドゥアール・カドル (Edouard Cadol)によるもので、二人で構想したが、戯曲自体はカドルが書いた。この戯曲で主要登場人物は決まった。

カドルは戯曲家としては有能だったが、劇場採用されず、ヴェルヌがノベライズして、現在の『八十日間世界一周』となったらしい。この新聞小説は大成功。そして、ふたたび、カドルが戯曲化を試みるが、うまく行かず、劇作家アドルフ・デヌリーが新たに創作。これが大ヒットして、第二次世界大戦前までロングランだったらしい。ということは、1956年の映画はむしろこの路線にあったのだろう。

ところで、デヌリーについて知らなかったので、Wikipediaを見るとフランス語の項目があり、他関連も見ていくと、モネによる肖像画なども見つかるが、びっくりしたのは、その妻、クレマンス・デグランジュである。極東美術品の収集家として著名らしい。その所蔵品は、エネリー美術館(Musée d'Ennery)にあり、日本の貴重な美術品が多く含まれている。

というわけで、調べていくと、うわー面白れーということがいろいろありました。

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