finalvent読書会『ゴリオ爺さん』第2章、名言集

仕立て屋というのは請求書を挟んで致命的な的になるか、友になるかのどちらかだ。

学生というのはポケットに金が入った瞬間、すっかり妄想に身を預け、ふんぞり返るものだ。

サン=ジャック通りとサン=ペール通りのあいだに足を踏み入れたこともない人間は、人生のことなどなにもわかっちゃいないのだ!

おれ(ヴォートラン)は上からものを言うぜ。この世の事象をよくよく検討した結果、この世で取るべき立場はふたつ、馬鹿になって服従するか、反抗するかのふたつしかないと知っている人間だからね。

(ヴォートランは言う)女というのは、自分に力があるときこそ、自分はなんて幸せで美しいんだろうと感じる。

人生っていうものはそういうものなんだ。厨房みたいなものなんだ。決してお綺麗なものではなく、饐(す)えた匂いもする。そして料理しようと思えば、どうしても手を汚さなければならない。

(ヴォートランは言う)幸薄い哀れな貧乏娘の心というのは、愛に満たされたいと渇望するスポンジのみたいなもんさ。

(ヴォートランは言う)けっして自説を曲げないと自慢しているようなやつは、つねにまっすぐに進むことにこだわる。自分は過ちを犯さないと信じている間抜けさ。

(ヴォートランは言う)原理なんてない。あるのは事態だけだ。法則なんてない。あるのは状況だけなんだ。優れた人間っていうのは事態と状況に対応する。そいつを操作するためにね。もし確固とした原理や法則なんてものがあったら、国民だってシャツでも着替えるみたいに気軽にそれを変えたりしないだろう。人間というのは国家以上に賢くなる必要はない。

そのがむしゃらな愛情によって犬的な本能が驚嘆の域にまで発達しているゴリオ爺さんは、学生の心のうちに自分に対する同情や感慨、若者らしい思いやりが動いたのが嗅ぎ分けたのだった。

ボーセアン氏は贅沢をすることに飽きてしまった多くの人間と同様、もはや美食のほかにほとんど愉しみを持たなかった。

(ゴリオ爺さんは言う)わたしは父になったとき、神さまというものがわかったんです。

(ヴォートランは言う)おれたちの幸せってのは、どこまでいってもおれたちの足の裏と頭のてっぺんの間から離れやしないんだよ。その幸せに年100万フラン掛かろうが、100ルイ[2000フラン]しか掛かるまいが、おれたちが知覚できることは同じなんだ。

ウジェーヌは、当世ある種の女たちが虚栄心に取り憑かれていることを知らなかった。

おそらく密かに善行を施せるのは、神を信じている者だけだ。そしてウジェーヌは神を信じていた。

本物の愛情はこんなふうに病んだ愛の後始末をさせられるのである。残念ながら、最初に振り回された裏切りという鎌が若い娘の心に咲く花をどほど薙ぎたおしてしまうかを男たちが理解する日が来ないかぎり、こうした行き違いはこれからも頻繁に起こるだろう。

(ヴォートランは言う)人生ってものをつくづく掘り下げてきたおれにとって唯一の本物の感情とは、男と男の友情だ。

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