finalvent読書会『ゴリオ爺さん』ゴリオ爺さんの時代

『ゴリオ爺さん』は、前回も触れたが、現代から見ると、非常に通俗的でかつありがち(テンプレ)な作品に見える。だが文学史的には話が逆で、「『ゴリオ爺さん』はすべての近代文学の父(père)」とも言える。この作品があったから、現代の、豊かな通俗性の物語文脈が生じたとも言えるだろう。ただしその場合、『ゴリオ爺さん』はなくてもよかったのかという疑問は起きる。この問い、つまりこのタイプの小説はある種、近代世界において自然発生的な作品ではないかという問いは、フランス類似の欧州国家で同時代に、そうした通俗性の文学が生じているかという考察から類推できる。どうだろうか。これが意外と難しい。各国の国民文学の特異性が上回っているようにも見えるからというのと、フランス革命後の社会の近代普遍性によるのかもしれないとの2つの要因をどうあつかうか。この問いは即答せずに読書会のなかでも保持していきたい。

もう一点重要なのは、ドストエフスキー文学はおそらくバルザックの小説群がなければ生まれなかっただろうということだ。この論点も深い考察を要し、今後の考察課題でもある。

『ゴリオ爺さん』という作品は、現代の通俗性の文脈でも楽しめるということは、それが超時代性、ないし、近代世界観の均質性をも意味するだろう。『ゴリオ爺さん』に描かれる世界は私たち、令和日本人にもそう遠いものではない。確かに、日本にはすでに文化的な社交界を形成するほどの貴族的階層はないし、法治国家として社会暴力は極力抑制されている。しかし個人の情感・心理過程はほぼ共通している。神々が出現することはないし、十字軍の戦乱などもない。が、この『ゴリオ爺さん』的世界が現代世界に連続しているかについては、そうとも言えないだろう。前回読書会課題本『トニオ・クレーゲル』ですら、その数年後に第一次世界大戦が控えており、この大戦は世界の意味を変えた。ここの扱いの難しさが近代日本には欠落しているが、これもまた後の課題である。

前振りが長くなりそうなので端折るが、今回の話題は、『ゴリオ爺さん』の時代性の解説というか、簡素な解説を試みたい。先程、フランスという国民国家の特異性とフランス革命後の社会の近代普遍性に言及したが、この交点にこの作品がある。

『ゴリオ爺さん』は、現代の通俗作品と同じで、話の展開につれて、過去の回想物語が派生する(この派生のしかたは、ジャンプ漫画と同じというか、ここでもこの作品の原初性がある)が、単純に通俗的に読み進めていくぶんにはあまりひっかかりはない。だが、多少なりとも時代性を考慮すると、それなりに面白いというか、『ゴリオ爺さん』の面白さは広がる。この点については、光文社訳の訳者が痛切に感じているようで、付録に『ゴリオ爺さん』関連年表がある。あと、パリの地図も興味深いが今回は割愛。

同年表を参考にすると、起点は、当然ともいえるが、フランス革命の1789年になっている。注意したいのは、「フランス革命」とは書かれていないことだ。私たち日本人の学ぶ世界史では依然「フランス革命」が使われているが、この概念は存外にやっかいで、端的にいえば、世界史観から後付に説明される概念と見てよく、意義は史観から導かれる。

この点ついては、2017年にフランスで出版され、フランスで大きな話題となったフランス史の新しい視点である”Histoire mondiale de la France”(これはなぜか日本では話題にならなかった)では、さすがにフランスらしく「フランス革命」という概念は維持しているが、その意義は西欧世界の啓蒙主義の帰結の一端とされている。その派生としては、私たち日本人が「アメリカ独立戦争」として教える事象があり、つまり、American Revolutionary Warは1775 - 1783であり、この「革命」は「フランス革命」に先行しているし、本質的に同時代現象である。そして「フランス革命」という国民国家の概念は、その後ほぼ100年をかけてフランス国家史のなかで制度化されていったものだ。この認識自体が史的考察の対応である。

というある種、この時代のただなかに『ゴリオ爺さん』がいる。気になる年号と気になる点を抜き出しコメントする。先の年表の冒頭はこう。数字は英数字にする。

1789年 パリ市政革命達成、立憲議会成立
☆麺打ち職人ゴリオ、店を構える(89〜90年頃?)

 注意したいのは、フランス革命で即王政が廃止されたのではなく、立憲議会が成立していること。王政の維持も当初はありえた。

1793年 ルイ16世処刑 公安委員会誕生 ロベスピエールを中心とする12人よる恐怖政治の始まり
☆ゴリオ、小麦の売買で儲ける

 今回小説を読んで面白かったのは、ゴリオが小麦粉取引で設けた小麦は、現ウクライナのオデッサ(オデーサ)であったことで、この時代から黒海経由の小麦が欧州において重要だったのだなということ。

1794年 テルミドールの反動 ロベスピエールら処刑
☆ヴォケール館開業?

1799年 バルザック誕生 統領政府成立
☆ラスティニャック誕生(あるいは97年)

統領政府(Le Consulat)はこの年のクーデターからナポレオン・ボナパルトによる1804年5月18日の第一帝政宣言までのフランスにおける政治体制である。憲法的には3人の執政官が率いる権威主義体制たが、実際には1802年に終身領事となった第一領事ナポレオン・ボナパルトが率いていた。つまり、ナポレオン時代である。

1804年ナポレオン民法典成立 第一次帝政成立

『ゴリオ爺さん』はストーリー展開に関心が向きがちで、ゴリオという人間の旧態的な倫理観がもたらす悲劇のようだが、他面において彼の信念は法に依存しており、その意味で、『ゴリオ爺さん』はナポレオン民法の物語であるとも言えるだろう。バルザック自身も法律を学んだ人間だった。

1814年 復古王政成立
1819年 ☆『ゴリオ爺さん』の物語が始まる

光文社本の宮下志朗の解説がある

ナポレオンがワーテルローの戦いで敗れて、ルイ十八世が即位したのが1815年、物語の「王政復古」の時代の1819年に始まる。平和が訪れはしても、貴族制度も復活して、銀行家など大ブルジョワジーとともに世の中を支配している。乱世ならば軍隊に入って手柄を強調して出世することも可能だけど、そのような時代は終わりを告げた。

1830年 七月革命

 復古王朝が倒される。つまり、『ゴリオ爺さん』の物語は復古王朝がまだ継続しているかに見えるフランス社会で展開されている。バルザックは帝政終了から、約15年前のこの時代を見ている。

1934年 ☆『ゴリオ爺さん』執筆開始(作者の現在)
1948年 二月革命

二月革命は後のマルクス主義史観に繋がる社会主義的な革命の先駆とみなされている。
光文社の年表には書かれていないが、『ゴリオ爺さん』の出版は1935年であり、最初の読者は二月革命までのフランス国民である。

年表にはゴリオの生年推定されていないが、物語時に60歳と仮定すると、1740年頃になる。ルイ15世の時代である。こうした逆算が難しいのがヴォケール夫人である。下宿屋運営が40年とあり、訳者が推定しているが年齢の辻褄が合わない。このあたりは、それほどバルザックは整合的ではなさそうだ。

今日的には、『ゴリオ爺さん』の社会構成モデルはかなり明白である。革命混乱による成り上がりのゴリオの二人の娘、姉・レストー夫人は伯爵・旧貴族階級、妹・ニュシンゲン夫人は、市民社会で成り上がった銀行家の男爵であり、わかりやすく対立している。また、この対立は領主的資産と産業・金融的資本の対立でもあり、トマ・ピケティが注目するのもうなづける。

この世界では、お金持ちになりたいラスティニャックにヴォートランは、資産家の娘と結婚することだと諭す。ピケティのいう r>g (資産所得>産業所得)である。だが、このピケティ的なカリカチュアがバルザックの意図であったかというと、そうではないことが示されている。つまり、ヴィクトリーヌではなく、ニュシンゲン夫人を選んでおり、規定においてゴリオ的な産業投機への共感も描かれているからだ。そもそも、同年としてバルザックにラスティニャックが重ねられているもの、同じ傾向からだろう。


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