finalvent読書会 『幼年期の終わり』 第2部に入ります。

finalvent読書会 『幼年期の終わり』は、8/7日から第2部に入ります。この作品に関心があって、この機会に読もうと思っていたけど、第1部がまだ未読だった、というかたは、第1部のほうから始めてください。十分間に合います。『幼年期の終わり』は3部構成で、各部の配分がとてもバランスがよいので、無理せず、読書を進めるとよいでしょう。

『幼年期の終わり』は登場人物の名前が馴染みにくい点はありますが、全体を通して、宇宙人のカレランを主軸に捉えるとよいでしょう。他は部ごとに登場人物の重点が変わるので、逆に個々の登場人物への思い入れは軽くなります。その点でも、各部が短編小説のようになっています。

第1部「地球とオーバーロードたち」あらすじ

地球は、21世紀となり(新版設定)、超大国は軍事目的を秘めながら宇宙開発に邁進しているなか、突如、主要都市の上空に巨大な宇宙船が世界の現れ、その宇宙人らは、ラジオ放送の電波を使って、人類の滅亡を防ぐために、今後、世界は自分たちオーバーロード(上位皇帝)が管理下に置く、と宣言する。宇宙人の代表は、カレラン(Karellen)という。

カレランは、国連事務総長リッキー・ストルムグレンと定期的に会談し、基本的に人類の行政についての諮問に終始する。人類に対して直接的な介入はほとんど行わない。が、公然と干渉した2例がある。南アフリカの人種差別を抑え込み、スペインの闘牛興行を威嚇し廃止させた。

オーバーロードは地球資源を構成に配分することで、人類に平和と繁栄をもたらしたので、人類の大半はその統治を受け入れるが、一部は、オーバーロードがその姿を現さないことに不信をもち、また人間の主体性のために反抗活動している。彼らにストルムグレンも誘拐される。だが、それらもオーバーロードの手中にある。

カレランはストルムグレンに対して、人類が彼らの存在に慣れてくる50年後にオーバーロードが姿を現すだろうと語ったが、やはり姿は見せないふうであった。しかし、カレランは二人の友情からストルムグレンにだけその姿を内密に示した。その姿は見覚えのあるものだった。

物語の現代的な4つの意味

『幼年期の終わり』は、冷戦時代という世界の特定の時代の比喩としても描かれている。この時代のSFは他方で、第三次世界大戦による世界の終焉というテーマもあり、その代表が1957年にネヴィル・シュートによって書かれ『渚にて』である。コミック『サイボーグ009』もこちらの系譜にある。

ざっと考えて、『幼年期の終わり』には、4つの現代的な意味があるだろう。

1つは、平和と繁栄のアイロニーである。『幼年期の終わり』では冷戦後の希望的な未来とされていた像、つまり、国連による人類の統合をアイロニカルに描いている。国家間の衝突なく、人類が資源を公平に再配分し、平和と繁栄がもたらされるとき、実際には、非人間的な権力の顕現があるということだ。中華人民共和国の現状がそれに酷似している。が、同国は対外的には威嚇を行っているので、その点では世界の統合と対極にある。

2点めは、現代が再び、新しい冷戦下に置かれることで、冷戦下の文学的なイマジネーションを再考しなければならないことである。

3点めは、NHKが「生成AI」と呼ぶLLM技術の飛躍的な向上で、人工知能的なものが人類に可視になり、ようやく人類は、人類の知性を越える存在と向き合う可能性を得たことだ。このことは、逆に本書の次のカレランの言明にも対応する。

世界の人口の大部分は洗練された教育を受けていないというのが、現実なのだ。彼らに取り付いている偏見や迷信を追い払おうとしたら、何十年とかかるに違いない。

4点めは、カレランらの「失敗」の意味である。この問題は、非常に大きいが、第一部で提示されていない。


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