リューベック(Lübeck)について

小説を読むとき、日本の小説なら、その舞台がすぐに思い浮かぶ。欧米の小説となると、まあ、どこの国かなくらいは思うが、それ以上はあまり考えてこなかった。が、『トニオ・クレーゲル』を読むとき、すぐにその舞台の土地が気になった。人というのは、存外にその土地の産物であり、自分なども、三多摩地域という土地と結びついた人生だったなと思う。

『トニオ・クレーゲル』の最初の舞台は、作中には明記されていないが、あきらかにリューベック(Lübeck)であり、作者トーマス・マンの故地である。ドイツ連邦共和国の都市。シュレースヴィヒ=ホルシュタイン州に属する。

リューベック

この街の特徴は、バルト海に面していることで、ある意味、この作品の基調テーマはこの海なのだとも言えそうだ。それは、「この海は私だ」という人の存在でもある。いきなり自分に結びつけるのだが、私は沖縄の海沿いに8年間暮らした。オーシャンビューのホテルのようなところにも暮らした。眼下に太平洋が広がる日々。でも、わかったことは、「この海は私ではない」ということであり、「私には海はない」ということだった。対して、沖縄人の妻やその親族はほとんど、海をもっていたと感じられた。海を持つ人間タイプというものがある。

リューベック(Lübeck)で興味深いのは、ハンザ同盟である。「ハンザの女王」(Königin der Hanse)と言われるらしい。ハンザ同盟中世後期の北ヨーロッパの都市による都市同盟としてバルト海沿岸貿易を掌握し、ヨーロッパ北部の経済圏を支配したとされる。時代的な目安としてはモンゴルとの欧州がぶつかったワールシュタットの戦いの後の、1241年のリューベックとハンブルクと商業同盟である。ようするに、神聖ローマ帝国やフランスといった国とは異なる秩序の芽生えであった。

ヨーロッパの基本構成ができるのは、30年戦争と言っていいだろう。その後の秩序形成の起点である、1648年のヴェストファーレン条約で、ハンザ同盟都市の大半は領邦国家に組み込まれ、17世紀以降のバルト海の貿易圏は、スウェーデンとオランダが掌握する。

個人的な話だが、このところ(修論を終えてから)、個人的にデカルト研究をしているのだが、このヴェストファーレン条約までが関連していて、『トニオ・クレーゲル』の関心もそこと繋がっていた。

『トニオ・クレーゲル』の時代は、1890年頃だろうか。ちょうど日本の明治に重なる(要再検討)なので、この作品の背景と作品も日本の明治時代に関わってくる。関連でいうと、トーマス・マンは長寿で1955年まで生きたが、つまり、私が生まれる2年前なので、なんとなく歴史時間の点で自分と繋がるのが再確認できた。この作品の愛読者である北杜夫が1927年(昭和2年)生まれなので、私の父の世代になる。

話をリューベック(Lübeck)に戻すと、作品の時代は、この街が商業都市として衰退していくなかにあり、トニオの父がそれに重ねられているのだろう。

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