finalvent読書会 『嵐が丘』第4章から第7章

『嵐が丘』第4章から、ネリー(ディーンまたはエレン)による過去の物語が始まる。新潮社版では「ディーンおばさん」(原文はMrs. Dean)、光文社版では「ネリー」とされている。彼女をどう呼ぶかは、なんらかの仕組みがあるのかもしれない。

ネリーという語り手はこの物語の謎の一つである。この先、第9章でキャサリンは自分とヒースクリフがひとつの存在なのだとキャサリンが語る重要なシーンがあるが、これはネリーの証言によるもので、ネリーもまたこの二人と実は強く結ばれており、その関係性が非常に微妙なものになっている。大きい要素ではないが、ネリーもまたヒースクリフの性的な魅惑のなかにあり、それがこのネリーの語りに性的なトーンをもたらしている。

第4章のネリーの語りは、キャサリンが6歳のときなので、1771年。ここの章の重要な事件はヒースクリフの登場である。新潮社訳でも光文社訳でも「こんなジプシー小僧」とされているが、原文は、that gipsy bratなので直訳といってよい。

「ヒースクリフ」という名前は、Heath(荒野) + cliff(崖)という解読しやすい象徴となっているが、第4章で注目したいのは、それが、アーンショウ氏の、亡くなった息子の名前であったことだ。つまり、アーンショウ氏とっては、ヒースクリフは亡くなった息子の代わりであり、おそらくヒンドリーの兄であり、アーンショウ家を託すものと考えていた、かもしれない。

「ヒースクリフ」の名前でもう一点興味深いことは、ヒースクリフという名前は洗礼名であり、姓としても名としても使われたということである。原文では、both for Christian and surnameとあり、洗礼名でもあり姓(家系名)でもあるということだ。ヒースクリフ名の奇妙さはキャサリンが娘と同じ名前であることにも関連して、この小説の名前の謎を構成している。

第5章では、ヒンドリーについてアーンショウ氏は、"Hindley was nought, and would never thrive as where he wandered"とみている。光文社訳では「ヒンドリーはどうにもならん、どこをうろついても、ものにはならんだろう」とされ、新潮社訳では「ヒンドリーは箸にも棒にもかからん。どこをどううろついても、大成はせんだろう」となっている。が、thriveの原型イメージは植物が繁茂することであり、アーンショウ家の繁栄を気にしているとも読めるのではないだろうか。また、wanderedも植物の枝葉や根の生育のイメージがあるのではないか。

まとめる。アーンショウ氏がヒースクリフを拾ってきたのは、アーンショウ家の存続の期待を彼に託すという意図がありそうだ。

和訳について、アーンショウ氏がキャサリンにいい子にしていられないのかと語るシーンがあるが、アーンショウ氏は、Why canst thou not always be a good lassと語るが、これを皮肉にしたキャサリンは、Why cannot you always be a good manと切り替えしている。英語の語法の妙味は新潮社訳にも光文社訳にも十分にいかせてはいない印象がある。

アーンショウ氏が亡くなったのは、1773年。

第6章では、ヒンドリーが妻を娶って帰宅し、アーンショウ家の当主に収まり、ヒースクリフは下男にされる。キャサリンは、鶫が辻屋敷と交流を持つようになる。1775年である。

第7章では、ヒースクリフは自身の肌の色が白く金髪であればいいと願うシーンがあるが、ヒースクリフという人間の怨恨の根源はこうした人種的な差別にあるのかもしれない。つまり、この物語は、体制の維持でもあり、体制の反抗でもあるかもしれない。

第7章の後半では、ここまではネリーの語りであることを示す現在が出現し、「三年ばかり話を飛ばそう」とする。が、ロックウッドはそうしないように懇願する。

かくして、物語は、「三年も飛ばさず」に、1778年になる。

ここで、ネリーはなぜ3年を飛ばそうとしたのかが問われる。つまり、その間に、『嵐が丘』という物語の秘密が隠れていることを逆説的に強調している。それは、簡単に言って、1778年の出来事である。

第8章は、1778年の6月から始まる。

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