ゼノギアスはまぎれもなくFF7.5

FINAL FANTASYシリーズの他作品との比較でFF7を語る時、そこにゼノギアスも外せないと思っています。ナンバリングこそついていませんが実際にはFF7.5として銘打ってもいい作品だと思うんですよね。FF7と対照的な3D背景のゲーム画面で構成され、FF8に先駆けてボーカル入りの主題歌を使った作品。FFの歴史を語るならゼノギアスも入れるべきだと思っています、個人的には。私がFF7を考える時には前後の作品である6と8に言及する事が多いですが、FF7の一年後に出たゼノギアスも関連性という意味ではとても強い。

高橋哲哉さんがFF7に加わっていたらどうなっていたのかなと思います。彼はメインヒロイン固定でブレないようですので、エアリスはゼノギアスのヒロインのエリィのように、途中抜けるけれどEDで帰ってくる展開になっただろうと想像できます。

ラスボスとしてのセフィロスを倒した後、彼の寂しさを理解し共に留まろうとするエアリスと彼女を救いに来るクラウド。エアリスを笑顔で送り出すセフィロス。最後の場面では緑あふれるミッドガルを背景にセフィロスのものと思われる羽根が一枚舞い降りる……そんなEDが見られたのかもしれない。

ゼノギアスには主人公フェイと同じ村に住み淡い想いを抱いたアルルという黒髪の少女がいて序盤で死んでしまいますが、まるでエアリスとティファの役回りを逆にしたかのように思えてしまいます。ゼノギアスのパーフェクトワークスを読むとアルルは死なずにフェイについてきてフェイとエリィの仲を邪魔する予定もあったらしいとか。アルルの死は悲しかったですが生きていたらそんなふうに貶められたのかと思うとあれでよかったのかさえと思えてしまうのが複雑です……。つまりアルルが死ななかった場合のパラレルがティファなのかなと。下手にダブルヒロインとせず、ヒロインは一人で一貫させた高橋監督の判断にはある種の潔さを覚えます。

ゼノギアスもFF7同様、主人公は記憶と人格があやふやであり途中で自分自身を見失ってパーティ離脱するという展開があります。その後主人公は別人格との対話により過去の記憶を呼び覚まして人格を統合し、過去の残留思念に乗っ取られた父との戦いとなります。ここはとても熱い流れです。ティファとクラウドの会話で進んでいくFF7のライフストリームイベントが盛り上がりに欠け閉じた印象のものであるのとは大違いです。フェイは自分自身で己を取り戻しやがてヒロイン救出に向かうのだから、クラウドも同様の展開にしてほしかったものだと思います。FF7のライフストリームイベントにはゼノギアスの脚本家加藤正人さんが関わっていたらしいですが、同じ加藤氏をしてこの出来の違いとは。

まぁ、以上の話は高橋哲哉さんに夢見過ぎな考えであって実際どうなのかはわかりませんが。

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