人魚姫の末裔たち

私は多分エアリスが、ただ強いだけの女性だったらこんなにも惹かれる事はなかっただろうと思う。悩みも苦しみもしない、たまに悩んでも自己解決できる完全無欠のスーパーウーマンであれば憧れはしてもそれだけだ。

そういえばディズニーアニメの実写化が続いているが、リトル・マーメイド(Den lille Havfrue)も実写化するらしい。原作の人魚姫(Den lille Havfrue)とは違いディズニー版の実写化なのだからまず間違いなくハッピーエンドなのだろう。ジブリ作品の崖の上のポニョも人魚姫がモチーフで、こちらもハッピーエンドだった。

FF7の、エアリスとティファに関わるストーリーは人魚姫に似ている……と私は思っている。Disc2序盤、北の大空洞にてライフストリームに落ちたクラウドを保護したのはエアリスであり、彼女は彼の存在が掻き消えてしまわぬように守った(ゲーム中のミディールの住人の『ごっつい強い守り神はん』という台詞でも示唆されているし、小説『星を巡る乙女』の中でも描かれている)。しかしクラウドやプレイヤーがそれを直接知覚することはなく、ストーリー上はあたかも「ティファこそがクラウドを救った」かのように展開していく。これはまるで『人魚姫』において、難破船から王子を救った人魚姫の存在が王子からは知られずに、通りがかり彼をみつけた隣国の王女こそが彼を救ったかのように思われているのと同じではないか。人魚姫は人間の足を貰うのと引き換えに声を失い、真相を語れない。エアリスもまた、既に死んでいるがゆえに伝える事ができない。結果、ティファこそがクラウドを救ったのだとして後半のストーリーは進んでしまう。エアリスに肩入れしてみるとあまりに残酷だ。

人魚姫を映像化した作品がいずれもハッピーエンドであるのは示唆的だ。ハンス・クリスチャン・アンデルセンによる原作の人魚姫は単なる恋物語ではなく、ヒトにあらざるものの魂の救済を描いた作品ではあるのだがそれでは伝わりにくかったのか。原作の人魚姫が、あまりにも有名な悲劇であるがゆえに、せめて翻案の中にて幸せにしてやりたいとの気持ちを誘うのだろうか。

そう、原作の人魚姫はキリスト教要素の強い話であり、人魚である彼女はヒトにあらざるがゆえにヒトのような魂を持たず、王子との恋の成就という奇跡を要した。それが叶わず死んだ後は空気の精として働きその果てに魂を得られるという。単なる恋の成就の失敗ではなく、ヒトならざる存在がゆえの悲劇が描かれている。……ここもまたエアリスが人魚姫を思わせる点だ。

FF7は人間同士の単なる三角関係の物語ではない。

FF5の敵キャラの元ネタであっただろう存在に、フランスの伝説の半人半蛇の女性メリュジーヌがいる。彼女は泉の妖精である母と人間の父の間に生まれた存在であり、マーメイドやドラゴンの伝説の元にもなっているという。太古の地母神から近代の童話へと続く人魚姫の系譜。エアリスもきっとその延長線上にある存在であるがゆえに、クラウドとエアリスの物語は異類婚姻譚の要素を持っていたのだと思う。エアリスは完全無欠のスーパーウーマンではなく、クラウドによって救われる余地を残す存在だったと思う。エアリスは強い、弱音を吐かない、でも見ている方としてはそれが痛々しい。

いつか時が経ちFF7の著作権が消える時が来たら、FF7も同じようになったりはしないかなと夢見ることがある。エアリスが生きてクラウドと結ばれる映画が大々的に発表されそちらが衆目を集めるような日が来ないかと。そんな可能性は限りなく低いのだけれど。

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