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スナック忘れな草外伝「ピンクカメオ事件」

■ タコ社長の墓参り

2023年5月5日(こどもの日・金)午前10時半
-東京都某区 某霊園-

バネ工場三代目社長、袴田大作。人呼んでタコ社長。彼には毎年NHKマイルCの週になると、欠かさずやっていることがある。友人の墓参りだ。

左にゆるやかに曲がる坂をのぼり、霊園についたタコ社長は、首に巻いたタオルで顔の汗を拭き終わると、お墓に向かって語り掛けた。

「今年も来たよ、おさむちゃん。今きれいにしてやっからな」

墓の周囲の草刈りをし、墓石を丁寧に洗い、花を手向け線香に火をつける。手提げカバンから缶のウーロン茶を出し、ふたを開けて墓石に置き、自分はワンカップ大関を左手に持った。

「おさむちゃんは下戸だったもんなあ。俺はこれで失礼するよ」

ワンカップをウーロン茶の缶にこつんと軽くぶつけると、ぐびぐびと一息で空にした。

「ぷはーー。また来年来るぜ。来年は17回忌だから、寿司でもいっしょにつまもうな」

そう言うとウーロン茶の缶を持ち、手提げカバンを肩に掛けある店へと向かった。

■ 悲しみの69

墓石に眠る友人とタコ社長は、同い年の幼馴染だった。おさむちゃん、だいちゃんと呼び合う仲で、いつも一緒だった。初恋の相手も一緒なら、声変わりした時期、ひげが生えてきた時期、陰毛が生えてきた時期まで一緒だった。

中学二年生になると性に目覚め、二人は夏休みの間、無修正のエロ本が捨ててあるという、近所の雑木林へ足しげく通った。

3日間はお宝をゲットすることができなかったが、4日目にとうとう見つけた。無修正の洋モノだった。金髪の白人女性があられもない姿で御開帳しているのを見ていると、とても家までは我慢できないと、二人はその場で立ちながら自慰行為を始めた。

数分後、「ああーーーーっ!!」と大声をあげたのはおさむちゃんだった。

もう果てたのかとだいちゃんが横を見ると、おさむちゃんのイチモツに蛇が噛みついていた。

「いたたたた!だいちゃん、マムシだよう。助けてよう!」

おさむちゃんのイチモツに喰らいついているマムシにさわろうとしたとき、だいちゃんの下半身に激痛が走った。

「てててててて!!」

下を見ると別のマムシが自分のイチモツに喰らいついていた。二人はなんとか自分のイチモツに喰らいついていたマムシを引きはがし、近くにあった木の幹にたたきつけて殺した。

「どうしようだいちゃん、俺たち死ぬのかなあ・・」

おさむちゃんの顔は青ざめている。

「蛇に噛まれたら、毒を吸い出すって聞いたことがあるぞ」

だいちゃんはそう答えたが、おさむちゃんは首を振った。

「毒を吸うって言ってもさあ、自分のチ〇ポなんか届かないよ!」

もっともだった。万事休すか。だがだいちゃんにはひとつの案があった。

「自分のチ〇ポは吸えないけどさあ、お互いのチ〇ポだったら吸えるよね?」

もう倫理的にどうのこうの言っている場合ではなかった。お互いのイチモツの毒を同時に吸う方法はひとつしかない。おさむちゃんとだいちゃんは、こんなところで普段の情報収集が役に立つなんてと思いながら、シックスナインの体勢になり、お互いの毒を吸いあった。

1分後、ふたりは「んんんんんんんーーー!!」と同時にうなり、同時に果てた。

これが、100人が聞いたら99人が嘘をつけと激怒するという、おさむちゃん、だいちゃんの武勇伝「悲しみの69」である。

■ ピンクカメオ事件

スナック忘れな草から徒歩で3分程度の場所にある、おかめ食堂に着いたタコ社長は、店内に入るとカウンターの左角に座った。

「いらっしゃい、社長さん。そろそろ来るんじゃないかと思ってましたよ」

店主の貫太がタコ社長の前に水を置きながらそう言った。おさむちゃんの長男、貫太が店を引き継いだのは、今から15年前の2008年。その年の5月、父おさむが急逝したのだった。その年から毎年5月、NHKマイルCの週になると、タコ社長はおかめ食堂に寄り、墓参りを済ませた報告をするのだった。

「今年も行ってきたよ、墓参り」

タコ社長のその言葉に、貫太は深々と頭を下げて言った。

「いつもありがとうございます。父も喜んでいると思います」

「なに言ってんだよ、貫ちゃん。お礼を言うのはこっちのほうだよ。だいちゃんには二度も命を助けてもらったんだからなぁ」

タコ社長はしみじみとそう言うと、コップの水を飲み干した。

■ おさむちゃんの大勝負

2007年5月5日(土)午後4時 ※NHKマイルC前日
-東京都某区 おかめ食堂-

昼の忙しい時間帯が終わり、夜の営業の仕込みも終わらせたおさむちゃんこと兼子おさむは、戸締りや火の消し忘れなどがないか店内をチェックすると、「よし!」と声を出し外に出ようとした。その時、店の電話が鳴った。嫌な予感がした。

おかめ食堂は午後4時から6時までを休憩時間にあてているが、経験上、休憩時間が始まる直前にかかってくる電話は、翌日の宴会を申し込むものが多かったからだ。

おそるおそる電話に出ると、悪い予感は的中した。明日の日曜日午後2時から2時間、15名の予約。予算はアルコール抜きでひとり4,000円でお願いしたいという。明日は予約が一件も入っておらず、普段なら喜んで受けるところだ。だが、おさむちゃんは予約がないのをいいことに、東京競馬場へ参戦する予定だったのだ。店を手伝ってくれている妻にはまだ話していないが、あらかじめ話しておくと反対される恐れがある。暇なのをいいことに、どさくさに紛れてぷらっと出かけようと思っていたのだ。

なにかうまいこと理由をつけて、宴会の予約を断ろうと考えていたその時、先に店外に出ていた妻が、あまりに遅いので店内に入ってきた。一瞬で事情を察した妻は、おさむちゃんから電話を奪うと言った。

「宴会のご予約ですね。喜んでお受けいたします」

休憩時間の間、おさむちゃんは考えを巡らせた。明日、東京競馬場に参戦するのは無理だ。かといって、馬券は絶対に買いたい。狙いはピンクカメオ。「カメオ」の文字を入れ替えるとおかめ食堂の「おかめ」になる。自分の名前は兼子おさむ。ピンクカメオのオーナーは金子真人。姓は、漢字は違うが同じ「かねこ」。名前は「まさと」と「おさむ」でザ・ぼんちだ。

ピンクカメオは前走の桜花賞でも勝負したが、2.1秒差の14着と見せ場はなかった。だが、府中では芝1400のくるみ賞を勝っており、ガラリ一変があるんじゃないかと踏んでいた。馬券は複勝1点買いと思っていたが、もう一頭とんでもない伏兵が絡んでくることに期待して、3連単1頭軸マルチ、816点。8万千600円の大勝負だ。

おさむちゃんは封筒に10万円をいれると、タコ社長ことだいちゃんがいる袴田バネ工場へ自転車を走らせた。頼む。明日休みであってくれ。

バネ工場に入ると、タコ社長はちょうど休憩中で、何人かの工員と缶コーヒーを飲みながら一服しているところだった。

「よ!おさむちゃんじゃねえか、どうしたんだい慌てて」

おさむちゃんに気づいたタコ社長は声を掛けた。おさむちゃんは、明日ピンクカメオで大勝負したいこと、急な宴会が入り東京競馬場へ行けなくなったこと、代わりに馬券を買ってきて欲しいことをタコ社長に話した。

「なあに、そんなの朝飯前だぜ。明日は休もうと思ってたんだ。買ってきてやるぜ」

おさむちゃんは10万円と、ピンクカメオからの3連単1頭軸総流しのマークシートが入った封筒をタコ社長に渡しながら言った。

「ここに10万入ってる。馬券は8万ちょっとだから、残りは手間賃だ。使ってくれ」

「いいのかい?悪いねえ、おさむちゃん」

普通は一度くらい断るものだが、約2万円もの手間賃を、タコ社長はありがたく頂戴するという。

「じゃ、頼んだよ!俺、夜の営業が始まるからもう行かなくちゃ」

おさむちゃんは自転車に乗ると、後ろを振り返った。競馬場についたら馬券はいの一番に買ってくれよと言おうとしたが、言わずに自転車をこぎだした。

タコ社長は封筒の中身を確認すると、それを作業着の胸ポケットに折りたたんで入れた。

■ 禁断の軍資金

2007年5月6日(日)午前11時30分 ※NHKマイルC当日
-府中競馬場 レストラン-

タコ社長は上機嫌だった。1Rから3Rまでオール的中。1Rと2Rは本命サイドだったが、3Rは馬連2,430円と、中穴をヒットさせていた。

「今日はプラス10万コース、いや、場合によってはプラス100万コースまであるぞ」

寿司をつまみながら、その日3杯目となる生ビールを飲み干すと、競馬新聞に目を走らせた。まだこのとき、おさむちゃんの馬券は買っていない。なあに、お金とマークシートは封筒に入っている。馬券を買うのは午後の勝負を始めてからでもいいだろう。状況次第ではおさむちゃんの軍資金を拝借するという助兵衛根性が、まったくなかったと言えば嘘になる。なにしろおさむちゃんの馬券は、来るはずもないピンクカメオの3連単1頭軸マルチ総流し。タコ社長はこの日、ピンクカメオなんて来るはずもないと軽視していたのだ。

午後の勝負が始まり、午前の好調が嘘のようにハズレが続いた。負けが込むと熱くなる性分のタコ社長は、このときに一度冷静になり、せめておさむちゃんの馬券だけは買っておくべきだった。

そして3連複で勝負した8R、本命フォルゴーレがクビ差の4着という熱いはずし方をして、タコ社長は完全に切れた。禁断の軍資金であるおさむちゃんのお金に手を出したのだ。手間賃にと言われていた2万弱の金はすでに溶けている。

タコ社長は、自動払戻機械から払い戻しを受け取ったばかりの、メガネをかけた頭のよさそうな青年に声を掛けた。馬券が当たったようだから頼みごとを聞いてくれるだろう。

「よ!お兄ちゃん、調子よさようだね」

酒臭く、いかにも今日は負け組ですという体裁のおっさんが話しかけてきたので、怪訝そうな表情を浮かべた青年だったが、足を止めてくれた。

「なんでしょうか?」

「NHKマイルでよう、1頭の馬から3連単1頭軸マルチ総流しをした場合、何点買いになるかわかるかい?」

「NHKマイルは18頭立てなので・・・」

そう言いながら青年はガラケーの計算機で計算してくれた。

「3連単1頭軸マルチ総流しだと、17×16×3で816点ですね。1点100円なら8万千600円になります」

なんなんだその謎の計算式はと思いながら、タコ社長は質問を続けた。

「やっぱ、そうだよな?するってえと、相手を1頭削って16頭にした場合、何点になる?」

「えーーと、16×15×3で、720点になりますね」

青年は先ほどと同じように、計算アプリで点数を出してくれた。

「ありがとな、兄ちゃん・・・ところでついでに聞くがよう、NHKマイルでこの馬だけはぜってえにねえだろうって馬いるかな?」

何かを察した青年は、責任はとれませんよと前置きしたうえで、1頭挙げてくれた。

「そりゃあやっぱり最低人気のムラマサノヨートーでしょう。鞍上はこばじゅんですし」

ムラマサノヨートーの鞍上、こばじゅんこと小林淳一騎手は、そもそもGⅠで騎乗することが少ない騎手だ。一週前の天皇賞(春)では、17番人気のハイフレンドトライに騎乗しており、15着という成績だった。NHKマイルCのムラマサノヨートー3着が、小林純一騎手のGⅠ騎乗全13戦で、唯一馬券になった馬である。

「そうだよな!?俺もそう思ってたぜ!じゃあこのあともがんばれよ!」

手を振って立ち去ろうとするタコ社長に、今度は青年のほうが質問をした。

「あ、あのーすみません。もしよかったらですが、教えてください。軸馬はどの馬なんでしょうか?」

質問に振り返ったタコ社長は、笑いながら言った。

「それがよう、聞いて驚くなよ?・・・・・ピンクカメオだよ」

「ははあ、そうですか」

他人の馬券を頼まれていると知らない青年は、このおっさんは外れすぎて頭がおかしくなったんだろうと、離れていくタコ社長の背中を見つめていた。

■ 吉兆と凶兆

2007年5月6日(日)午後1時
-東京都某区 おかめ食堂 トイレ-

おかめ食堂の店主兼子おさむは、トイレでマイルドセブンを吸いながら考えていた。これはいったいどう解釈したらいいのだろう。店のトイレで煙草は吸うなと、妻からいつもきつくいわれているおさむちゃんであったが、煙草でも吸わないと考えがまとまらない。

おさむちゃんが悩んでいるのは、朝から立て続けに起こった吉兆と凶兆だ。朝6時、宴会の仕込みのため、いつもより早く店にきたおさむちゃんは、店の入り口の上に、ツバメが巣をつくっているのを見つけた。ひと仕事を終え、お茶をいれると茶柱が立ち、座敷の窓を開けると隣の家の塀を白い蛇が通った。

こりゃあ、ピンクカメオの一発があるぞとほくそ笑んでいると、今度は不幸の前触れが起こったのだ。店の外で水を撒いていたら目の前を黒猫が横切り、店内に戻ろうとした際、半分しか開けていなかったシャッターにしこたま頭をぶつけた。いったん落ち着こうと茶をいれようとしたら、急須の持ち手がポキッと折れて本体は床に落ち割れてしまった。

ピンクカメオが出走取り消しとか?ガラケーのニュースで確認したが、今のところそんな情報はなかった。いいことと悪いことが、同時に起こるとしたらなんだろう・・・

3本目のマイルドセブンを吸い終わるころ、おさむちゃんは膝を叩いた。もしかして!いいことと悪いことが同時に起こる、すなわち予想は当たったのに、お金が入らないということではないだろうか?だいちゃんと何度か一緒に競馬場に行ったことがあるおさむちゃんは、だいちゃんが熱くなりやすいことはわかっていた。メインレースの前に軍資金がパンクし、お金を貸したこともあった。

「こりゃあたいへんだ!」

おさむちゃんの頭はフル回転を始めた。宴会の仕込みはあらかた終わっている。あとは宴会が始まったあとの、配膳、下膳、後片付けをなんとかすればいい。今日は妻のほか、バイトの女の子が1人来ることになっていたが、あと1人バイトを増やせばなんとかなりそうだ。

おさむちゃんは今日はシフトが休みである、別のバイトの女の子に電話した。彼氏とのデートにこれから出かけるところなので無理ですという女の子の頬を、札束で引っぱたいてやった。1万、2万・・・と金額を上げていき、とうとう5万で向こうが折れた。

事情を聞き、そんなの絶対にダメと怒る妻も、今度好きなだけバッグでも指輪でも買ってやると約束し、店の金庫から15万ほどお札を抜くと、家を飛び出てタクシーに乗ったのが午後1時半。最寄りのウインズであれば、そんなに急ぐ必要ないが、とにかく府中へ急いでくれと、今度は運転手の頬を札束で引っぱたいた。メインのNHKマイルCに間に合ったら5万円やる。

この言葉に運転手が燃えないわけがない。一般道を100キロ近いスピードでぶっ飛ばしたものだから、途中からパトカー3台が追いかけてくる騒ぎとなったが、すべてまいて府中競馬場前にタクシーが滑り込んだのが午後3時25分。

約束通り5万円を受け取ったタクシーが動き出す前に、おさむちゃんは競馬場内へ走っていた。

■ タコ溺れる

タコ社長はすでに泣いていた。ピンクカメオからの3連単1頭軸マルチ総流し・・・ただしムラマサノヨートー以外。合計7万2千円の馬券は胸ポケットに入っていたが、不吉な予感がしてどうしようもないのだ。ぬぐってもぬぐっても両目から涙があふれてくる。

果たしてゴール板をまっさきに内田博幸騎乗の17番人気ピンクカメオが飛び込み、2着に1番人気ローレルゲレイロ、3着に唯一切った最低人気のムラマサノヨートーが来たのを見届けると、タコ社長はその場で大の字に横たわり、失禁した。口からは泡を吹きだしている。

薄れゆく意識の中で、「きゅ、900万馬券だぜ!」「なんじゃこりゃ!?」といった客の声が聞こえてくる。

「終わった・・・袴田大作は終わっちまったよう・・・」

レース確定後は、大荒れの決着に騒然としていたゴール板前だが、そのうち、おっさんが倒れているぞと気づく者があらわれ、タコ社長を取り囲み始めた。

どうしたどうした、この大万馬券をとって気を失ったのか。いや、そうじゃない。もしかしたら買ってないムラマサノヨートーが来たからじゃないかとか、野次馬は好き放題言っていた。タコ社長というあだ名は知らないはずの野次馬だったが、タコ社長の風貌と、口からは泡を吹き、下半身は失禁でずぶ濡れなのを見て、「タコが溺れている」とはやし立てた。

のちに袴田大作は述懐する。「タコが溺れている」と称されたのは、俺とタコ八郎くらいなもんだろうと。

レース中はタコ社長ことだいちゃんを見つけることができなかったおさむちゃんだったが、ゴール板前に人だかりができているのを見つけると、人波をかきわけて入っていった。

「だいちゃん、俺だよ!おさむだよ」

ああ、俺はやっぱり死んだんだ。おさむちゃんがここにいるわけがない。死ぬ前にもう一度妻を抱いてやるんだった。そう思っていると、両頬をビンタされた。おさむちゃんがだいちゃんの頬をビンタしたのだった。

「だいちゃん、間に合ったんだよ!ピンクカメオからの3連単1頭軸マルチ総流し。買ってあるんだよう!」

おさむちゃんに両肩を前後に激しく揺さぶられ、目を覚ましたタコ社長も驚いたが、このやり取りをみていた野次馬も驚いた。

「おいおい、あの大万馬券を取ったやつがいるぞ!」
「こりゃあ、めでてえや!みんなで胴上げしてやろう!」

野次馬たちにまずおさむちゃんが10度胴上げされ、そのあとにタコ社長がタコだからという理由で8度宙に舞い、最後の8回目は空中でバランスを崩し、右肩から下に落下、右肩脱臼でそのあと一週間入院することとなった。

■ ピンカメ祭り

1,000万近い配当を得たおさむちゃんは、大万馬券還元祭と称し、キャンペーンを開催した。食べ物、飲み物、全品半額セール。終日制限なし。もともと繁盛している店だったが、このキャンペーンを聞きつけた客でごった返し、連日超満員、店の外には行列ができるほどだった。おかめ食堂の看板は、このキャンペーンの時期はカメオ食堂と書き換えらえ、バイトの女の子はピンクのハッピを着て客をもてなし、おさむちゃんと妻はピンクの前掛けをして料理作りに大忙しだった。

サービスしすぎて配当金はじりじりと減っていったが、おさむちゃんは平気だった。なあに所詮あぶく銭だ。どうせまたハズレ馬券になるんだったら、お客様に少しでも還元したほうがいい。

■ おさむちゃん死す

7月になっても店は大繁盛、ピンカメ祭りと称された大キャンペーンはまだ続いていた。定休日返上で連日朝から晩まで働き通しだったおさむちゃんは、ある朝心臓に異変を感じた。胸がしめつけられるような痛みだ。病院に行った方がいいだろうか。でも今は店を休むわけにはいかない。

このときすでに病魔が忍び寄っていたのだろう。翌年5月11日早朝、奇しくもNHKマイルC当日、兼子おさむは急性心不全で死んだ。45年の短い生涯であった。

■ 二度目の命拾い

おさむちゃんの通夜、火葬、葬式にすべて参列した袴田大作であったが、内心それどころではなかった。おさむちゃんが亡くなる一カ月前に、経理の女性職員とひとりの男性工員が姿をくらましたのだ。工場の資金500万がなくなっていた。すぐに警察に連絡し捜査してもらっていたが、ふたりはまだ見つかっていなかった。

袴田バネ工場も俺の代で終わりか・・・でもあのとき、おさむちゃんが機転を利かせてピンクカメオの馬券を買ってなかったら、とうに俺は首をくくって死んでいた。一年寿命が延びた分、儲けものと思わないといけねえな。おさむちゃん、今から俺も行くからよう。かくれんぼでもしてると思って、ちょっとだけ待っててくれよな。

おさむちゃんが眠る墓石でタコ社長が手を合わせていると、後ろから肩を叩かれた。振り返ると、おさむちゃんの妻が立っていた。

「ここじゃないかと思ったんです。ちょっとお茶でも飲みませんか?」

おかめ食堂の3軒隣にある喫茶店で、おさむちゃんの妻がテーブルの上に封筒を置いた。

「夫からです。自分が死んだら大作さんにこれを渡してくれって」

タコ社長が封筒を開けると、銀行通帳とハンコが入っていた。通帳を開くと500万円が入金してある。入金の日付は2007年の7月23日になっていた。

「あの人、昨年の7月ごろには、心臓の異変に気付いていたみたいなんです。それで自分が死んだときのために、大作さんにお金を残そうと思ったんでしょうね。俺が死んだらこの封筒を渡してくれと、夫のメモが机の引き出しに残されていました」

こんなの受け取れねえよと口から出かかったとき、おさむちゃんの妻が言った。

「受け取ってくださったほうが、夫も喜ぶと思います」

一点の曇りもない笑顔でそう言われて、タコ社長は言った。

「ありがてえ、ありがてえよおさむちゃん・・・」

開いたままの通帳におでこをつけて、タコ社長は泣いた。

■ ピンクカメオ事件 2023バージョン

思い出は時として都合よく書き換えられるものだが、タコ社長が現在吹聴している「ピンクカメオ事件」は、事実とはあまりにもかけ離れていた。

最初のころは、おさむちゃんの馬券をのもうとしたが、すんでのところで思いとどまって馬券を買ってやったという、かわいいマイナーチェンジだった。

これが年々エスカレートし現在では、

「ピンクカメオなんてやっぱり来るわけないから」と、弱気になったおさむちゃんの頬をビンタし、店は俺が手伝ってやるから、府中競馬場に行けと言ってやった。900万馬券が当たったおさむちゃんは、ゴール板前で失禁し、周囲の客に胴上げされて落下、肩を骨折して3ヶ月入院した。おさむちゃんの入院中のおかめ食堂は、袴田工場の職員が交代で手伝ってやったんだ。おさむちゃんは一生俺には頭が上がらないってわけさ。

これが「ピンクカメオ事件2023バージョン」である。

スナック忘れな草外伝
「ピンクカメオ事件」―完―

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