「一致団結するのは良いことだからです」


 4月8日のお笑い芸人サンドウィッチマンの伊達氏のブログに
「家で、関連の番組見てると文句ばかりが目立つ。
今は、まず一致団結してコロナウイルスをやっつける事で同じ方向を見ないと乗り越えられないですからね。
東日本大震災の直後、数日間でしたが日本中が同じ方向を向いた気が僕はしました。
それはそれは、めちゃくちゃ大変な時期だったけど、その瞬間は好きな時間でした。感動したし誇りに思えました。
何とか踏ん張って、日本は諸外国とは少し違うというところを見せられたらいい。」
と書いてあった。

 災害時の行動に「感動」とか「誇り」とか「諸外国とは違うところを見せたい」ということを求めるその発想自体が私には全く理解できないが、「一致団結」が好きな人にとっては、税金を無駄遣いされたり、補償金をもらえずに生活に困窮する人々が増えたりすることよりも「一致団結」することによってもたらされる感動や海外からの賞賛が何よりも重要なのかもしれない。

 小学生の頃、学級会でクラスのリーダー的存在の子から「亀石さんは昼休みにドッジボールをやらずに図書館で本を読んでいました。一人だけ勝手な行動をとるのは悪いことだと思います」と言われたことがある。
 当時、学級会で注意された時には「これから気をつけます」と反省して終わらせるのが慣例だったが、その時の私はどうしてもそれに納得できずに「昼休みは自由に使っていいはずなのに、どうしてドッジボールをしなくてはいけないのですか?」と反論した。するとその子は自信満々に「クラス全員が一致団結することは良いことだからです」と言い、他の子たちもそれに同調するように「ほら、“これから気をつけます”は?」と、私に謝罪を促してきた。
 確かにそのクラスは団結力があった。児童会の会長、副会長、書記を決める選挙ではうちのクラスの候補が全て当選したし、休み時間にクラス全員でドッジボールをしていることを全校集会で校長先生から「団結力があって素晴らしいクラスだ」と褒められたりして、担任の先生もそのことを自慢に思っているのがよくわかった。
 でも、団結力があるということは自分の意見を持つことが許されないということでもあった。児童会の選挙の時も「立候補者の中で誰がリーダーにふさわしいか」ということを考える余地もなく、とにかく「自分のクラスの候補者を勝たせたい」という目的でクラスが異常なテンションで盛り上がっていたことが私はとても怖かったし、他のクラスに団結力を見せつけるためだけに毎日強制的に参加させられるドッジボールも苦痛でたまらなかった。

 話を伊達氏のブログに戻すが、東日本大震災の時に日本中が同じ方向を向いた瞬間などあったのだろうか?もし彼が本気でそう感じていたのであれば、彼の感動の陰で口を閉ざさるをえなかった人たちがいたはずだと私は思う。

 先日、ツイッターで自民党議員の甘利氏が
「東日本大震災しかり、危機の時こそ日本人は世界の尊敬を集めました。要請だけで接触をここまで減らせる日本って、やっぱり凄いですね。あと一息です。ゴールデンウィークをステイホームで「さすがニッポン!」って、もう一度世界に言わせませんか。」
と発信しているのを目にした。

 伊達氏のブログや甘利氏のツイートを読むと、あの時何の疑いもなく「一致団結することは良いことだからです」と言ったあのクラスメイトのことを思い出す。 
 でも私は「さすがニッポン!」と言われることなど心底どうでもいい。(本当に言われていたのかどうかも怪しいが)
 だからいくら「文句を言うな」と言われても、おかしいことはおかしいときちんと口に出していきたいと思う。

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