見出し画像

舞台サンソンに寄せて―サンソンの人物像

先ほどサンソンの配信を見ました。演劇を見るのは久しぶりなこともあってとても楽しめました。せっかくの機会なのでサンソンの人物像について触れてみたいと思います。舞台をさらに楽しむための背景知識をまとめておきます。

サンソンという人物を語るうえで最も大事なのはサンソン家という存在です。サンソン家はご存知のとおり、死刑執行人の家柄です。そのせいでサンソンは偏見と差別にさらされました。シャルル-アンリ・サンソンの孫がまとめた『サンソン家回顧録』が書かれた目的は、忌むべき存在とされてきたサンソン家の汚名を雪ぐことにありました。すなわち、死刑執行人は法の裁きに従って死刑を執行しているだけであり、差別するのは不当であるという弁明の書です。そうした背景を知ったうえでシャルル-アンリ・サンソンという人物を見るとまた違った感想が浮かんでくるかもしれません。

さらにシャルル-アンリ・サンソンには死刑執行人という非常に精神的に苛酷な職業を続けるにあたって二つの精神的支柱がありました。

信仰と正義です。

サンソンは敬虔なカトリック教徒でした。明らかに無実な人間を処刑しなければならないこともありました。判決に従って処刑しているだけだと自分に言い聞かせてもやはり明らかに無実な人間を処刑するという行為は激しい精神的葛藤を生みました。そこでサンソンが救いを求めたのが信仰でした。たとえ罪を犯そうとも罪を悔い改めて正しく生きるように努めれば赦されるという信じることが救いになっていました。

信仰に加えて正義がサンソンのよりどころになっていました。サンソンにとって国王とは社会の秩序を維持するために罪人を罰する権限を持つ存在でした。そうした国王の権限を代行するのが死刑執行人だったわけです。それがサンソンにとって正義だったわけです。したがって、死刑執行人であるサンソンが国王に強い思い入れを持っても不思議ではありません。さらに回顧録でも示されているように国王との個人的な交流もありました。

革命が起きて何が変わったのか。

伝統的なカトリック信仰が否定されました。これはサンソンにとって大きな精神的支柱が失われることを意味しました。代わりに持て囃された理性に対する崇拝はサンソンからすれば疑念の対象でしかありませんでした。革命による数々の混乱は理性の欠如を露呈しているように見えたからです。

さらに王権の否定は、国王の代理として死刑執行人を務めてきたというサンソンの誇りを揺るがすことになります。結局、サンソンは王権に取って代わった革命政府の裁きに従って処刑を続けることになりますが、恐怖政治に対して強い不信感を持つようになります。

死刑執行人を続けるための拠り所である信仰と正義という精神的支柱を失ったことがサンソンの大きな苦悩を生みました。それは深夜のミサという逸話に如実に現れています。国王処刑後にサンソンが密かに国王のためにミサをおこない続けたという逸話です。

本来、革命が謳っていた自由、平等、友愛も死刑執行人にまで及ばず、偏見や差別は残ったままでした。社会に居場所を求めながらも、なかなかそれがかなえられなかった。そこにサンソンという人物の悲哀があります。

もしさらに詳しく知りたい方は拙訳『サンソン家回顧録』をご覧ください。孫から見たシャルル-アンリ・サンソンの姿や本人の日記(日本初完全訳)などが収録されています。お値段は高めですが、充実の内容です。サンソンの人物像について詳しく知りたい方であればきっと満足していただけると思います。



サポートありがとうございます!サポートはさらなる内容の充実によって読者に100パーセント還元されます。