見出し画像

世界の古地図から見る日本―前編

現代世界に生きる我々はスマホで地図を見ればすぐに遠い異国の地理がわかる。では昔の人は遠い異国についてどれくらい知っていたのか。世界の古地図から年代順に日本がどのように認識されていたのかまとめてみた。

1492年:Martin Behaimの世界地図

「Orient」の文字と「Gipangu」の文字が見える。1492年といえばコロンブスが新大陸を発見した年。もともと球形になるようにデザインされたものなので左右に線が入っている。

1525年:Pirî Reisの世界地図

日本の形がかなりくっきり見える。でも北海道がない。それとこの地図には南極大陸が描かれている。1525年に描かれているとされているが、こうして発行されたのは1700年。オパーツとしてよく紹介される地図だね。

1540年:Sebastian Munsterの世界地図

左側のCathayは契丹、つまり中国のことだね。右側のTemistitanはティノティティトラン、つまり、現在のメキシコ・シティー。Zipagriとあるけど、ユーラシア大陸とかなり離れている。

1568年:Donato Bertelliの世界地図

左上隅にTerra Incogita、つまり「未知の土地」とあるように極東はこんな感じ。中央にあるCimpagaという島が日本のようだ。右側は北アメリカ大陸だがユーラシアと繋がっている。ちなみにルイス・フロイスが日本に上陸したのは1563年のこと。ポルトガルからすればまさに僻遠の島だね。

1570年:Abraham Orteliusの世界地図

本格的に日本Iapanが登場。やはり北海道はない。Bungoは豊後、Tonsaは土佐だろう。一見すると九州のように見える島は種子島だろうか。

1587年:Urbano Monteの世界地図

Giaponeとある。天正遣欧少年使節から情報を聞いて地図を描いたらしい。そのせいかAmacusa、Arima、Nagasaquiなど北九州の地名は細かい。Meacoは京都のことだろう。Nabvnangaは信長のことかもしれないが、当時、本当にそう呼んでいたのだろうか。信長の没後だが天正遣欧少年使節が日本を出発したのは本能寺の変の前なので辻褄は合う。

1594年: Jan Huygen van Linschotenの世界地図

Iapanの文字が見え、さらに本州、四国、九州が別れている。やはり北海道はない。Bungoがよく知られているのはやはりキリシタン大名の大友宗麟の影響なのだろうか。

1626年:John Speedの世界地図 

やはり北海道がない。BungoやNagatoといった地名が見える。九州の形がより正確になっている。

1642年:Jodocus Hondiusの世界地図

この頃、日本は鎖国の最中だね。それにしても北海道がない状態が続く。

1682年:Frederick de Witの世界地図

北海道は切れてしまっているようだ。Sandoは佐渡かな。Tangoは丹後かもしれないが位置がずれているような。対岸にある島は何だろう。京都はやはりMeacoだね。

1700年: Nicolaes Visscherの世界地図

ようやく北海道らしき島が描かれ始める。

1708年:Alexis Hubert Jaillotの世界地図

かなり正確になってきたが北海道が陸続き。Niphonの文字が見えるのが興味深い。Yendo、すなわち江戸が登場していることに注目!当時の発音に近い表記だね。

世界の古地図から見る日本—後編に続く

サポートありがとうございます!サポートはさらなる内容の充実によって読者に100パーセント還元されます。