無題7

パット・ギャレットの生涯―第一章

1908年2月29日朝、ビリー・ザ・キッドの殺害者であるパット・F・ギャレットがニュー・メキシコ州ラスクルーセス近郊でウェイン・ブラゼルによって殺害された。使われた武器は六連発銃であった。初弾は後頭部から入って左目から出た。次弾は胸部下部から入って肩甲骨まで9インチ[23cm]に達した。ギャレットは即死したので何も言葉を発しなかった。

悲劇は村から5マイル[8km]東に離れた場所で起きた。ギャレットはカール・アダムソンと一緒に二輪馬車に乗っていた。馬に乗ったブラゼルは、ラス・クルーセスに向かう途中のギャレットに追いついた。ブラゼルはそのまま町に向かって、自衛のためにギャレットを殺害したと言ってルセロ保安官に降伏した。ブラゼルは牢獄に収監され、陪審団が選任され、殺害現場の検証がおこなわれた。陪審団は公式の評決において、死亡者はウェイン・ブラゼルの手によって死に至らしめられたと宣告した。2日後の翌週月曜日、死亡者の息子であるダッドリー・ポー・ギャレットはブラゼルを殺人罪で正式に告訴した。

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