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第19章 ヴェルサイユの焚き火

 刑車を使って処刑するという判決が最後に執行されたのは1788年のことであった。以下がその状況である。

 ヴェルサイユのサトリ通りにマチュラン・ルシャールという名前の年老いた鍛冶屋[仏原文はmaréchal-ferrant、すなわち蹄鉄工になっている]が住んでいた。この男は昔気質の職人であり、偏屈なうえに伝統の信奉者であった。自分の仕事がほかのどのような仕事よりも優れていると確信していた彼は、たとえ法官の衣や聖職者の衣であっても革の前掛けと替えようとしなかっただろう。彼は新しい思想を毛嫌いしていた。モンモランシー家やロアン家[当時の有力家門]でさえ平等に対して彼が抱いているような強い軽蔑を抱いていなかっただろう。彼によれば、たとえロバの耳が短くなったとしても馬になることはできない。しかしながら、奇矯な気風を持つマチュラン・ルシャール、近所の呼び方によればマチュラン親方は約束を違えず、とても実直であり、貧しい人たちに対して慈愛をしばしば示した。彼にはジャンという名前の愛息子がいた。ジャン=ルイ[英訳では単にJeanとなっているが、仏原文ではJean-Louisなのでジャン=ルイで統一する]は容貌優れた若い男だった。マチュラン親方が自分の鍛冶屋としての優れた腕前と子供のどちらを自慢に思っていたのか判断するのが難しいくらいであった。マチュラン親方は息子を学校に入れてお金を惜しまず最高の教育を受けさせた。もちろん親方は息子が紳士として成長するのを嬉しく見守っていたが、家業を大事に思っていたので後を継ぐようにジャンを説得した。

 若者は残念に思いながらも父の願いを受け入れた。家業を習得するために彼は勤勉に職責を果たしたが、やはり読書を続けたかった。彼は馬に蹄鉄を履かせるよりもジャン=ジャック・ルソーに興味があった。父はそれに反対しなかったものの、教育と思想の違いは父と息子の間でひどい口喧嘩が起きる原因となった。革命の息吹が感じられる中、ジャン=ルイ・ルシャールは、多くの人びとに広まりつつあった新しい思想を熱狂的に迎えた。ジャンはヴォルテール、ルソー、モンテスキュー、そしてディドロを崇拝していた。その一方、マチュラン親方は彼らを地獄の創造物だと見なしていた。ある日、夕食の席で若者は激情に駆られてそうした哲学者たちの美点を誇った。それまでマチュラン親方は息子が自由思想者だとはまったく思っていなかったので、息子の大胆な発言に驚いた。呆然とした状態はすぐに怒りに取って代わられた。それから口喧嘩が起きてジャン=ルイは口を閉ざすように断固たる調子で命じられた。若者は父に敬意を持っていたものの、激情に駆られていたせいで父の命令に従わず、それでは何の解決にはならないと言い返した。もちろん事態は改善しなかった。最後にマチュラン親方は息子に扉を指し示した。ジャン=ルイが後悔の念と謝罪の意思を示しても無駄だった。年老いた鍛冶屋は弁明を聞こうとせず、息子を叩き出した。

 こうしたことが起きた少し前、マチュラン親方の遠縁にあたる1人の未亡人が娘とともに親方の家にやって来た。新参者の名前はヴェルディエ夫人である。ヴェルディエ夫人はジャン=ルイのことをあまり良く思っていなかった。若者もヴェルディエ夫人に特に深い愛情を感じていたわけではなかったが、彼女の娘であるエレーヌ・ヴェルディエの虜になった。彼の愛情は報いられた。父と息子は間違いなく仲直りできるはずだった。ジャンにはやり直したいと思う理由がたくさんあった。しかし、ヴェルディエ夫人が余計な干渉してジャンを勘当するようにマチュラン親方を唆した。彼女はそれだけですませなかった。強い影響力を使って彼女は、エレーヌに求婚してジャンの恋敵になるようにマチュラン親方を説得した。哀れな少女はジャンを忘れてマチュラン親方と結婚するように母から命じられた。

 ジャン=ルイはヴェルサイユですぐに仕事を見つけた。彼を雇ったのは後に国民公会の一員になるルコワントレ氏であった。彼は主人の助言を聞いた。息子に対する腹いせのためにマチュラン親方が結婚するのは明らかだったので、ジャン=ルイは恋人と駆け落ちすることに決めた。ある日の夜、ジャン=ルイはエレーヌと一緒に逃げるために打ち合わせ通りの時刻に父の家に行った。彼はしばらく家の外で待っていたが、エレーヌは姿を現さなかった。彼は不安になり始めた。その時、家の中から悲鳴が聞こえた。彼はその悲鳴がエレーヌのものだとすぐにわかった。彼は躊躇せずにドアを叩き壊した。すると、駆け落ちの計画を知って娘を容赦なく打ち据えているヴェルディエ夫人の姿が見えた。マチュラン親方はそれを厳しい表情で見ていた。

 こうした光景はジャンにとってあまりにもひどいものであった。彼は恋人を守るために突き進んだ。しかし、父がその前に立ちはだかり、恥ずべきことをしていると息子を厳しく非難した。ヴェルディエ夫人も前に出てきて年老いた鍛冶屋を煽り立てた。怒りの頂点に達した年老いた鍛冶屋は息子の顔を殴った。ジャンはずっと黙っていたが、最後の侮辱でついに堪忍袋の緒が切れた。そして彼は憎悪に満ちた言葉を返した。マチュラン親方の怒りはとどまるところを知らなかった。マチュラン親方はかなてこを掴んでジャン=ルイに激しい一撃を与えようとした。こうした情景が繰り広げられていた場所はあまりに狭かったので、かなてこは壁に当たって落ちた。ジャン=ルイは横に跳んで避けた。争いを恐怖の目でじっと見ていたエレーヌは、逃げるようにジャン=ルイに叫んで求めた。若者は彼女の忠告に従って扉に向かった。その間にマチュラン親方はかなてこを再び振り上げていた。若者は先回りしていたヴェルディエ夫人に行く手を阻まれた。マチュラン親方は二撃目を繰り出したがまた狙いを外した。続けてマチュラン親方がかなてこを振り上げようとしている間に、若者はその前をすり抜けて工房に入ろうとした。そこの窓から通りに飛び出すつもりだった。しかし、工房の扉は施錠されていた。父がすぐに追ってきた。若者は扉を壊そうとした。重い鉄の塊が彼の頭をかすめて壁板に当たった。壁板は粉々に砕けた。老ルシャールはかなてこを置くと、重い金槌を投げつけた。さらに老ルシャールはジャンに追いすがって固く握り締めた。ジャン=ルイは自分の命を守るために父をなんとかしなければならないと思った。ジャン=ルイは、金槌を自分の頭を狙って振り下ろそうとしている父の腕を掴んだ。そして、武器を父の手からもぎ取ろうとした。老人は強い力を持っていたが、息子はその若さと筋力でなんとか老人を屈服させた。息子は老人から武器を取り上げて手を振りほどくと、立ち上がって逃げようとした。敷居をまたごうとした時、若者は何も気に留めずに金槌を後ろに投げ捨てて外に飛び出した。あまりに慌てて逃げ出したせいで彼は、金槌を放り出した後、工房で響いた悲鳴を聞いていなかった。地面から立ち上がったばかりのマチュラン親方に重い鉄の塊がぶつかった。それは眉のすぐ上にぶつかって頭蓋骨を砕いた。

 老人に手を貸そうとヴェルディエ夫人が駆けつけた。しかし、彼は即死だった。エレーヌの悲鳴で目を覚ました隣人たちが家に入って来た。彼らは、ジャン=ルイが父を殺したとヴェルディエ夫人から説明を受けた。マチュラン親方は欠点はあったものの好かれていた。大きな怒りの声が上がった。報せはヴェルサイユ中に広まり、宮殿から工房までその話で持ちきりであった。父殺しの犯罪はめったになかったので、マチュラン親方の死は激しい興奮を引き起こした。王は、罪人を告発する手続きをすぐに進めるようにラモワニョン氏に命じた。

 ヴェルディエ夫人の証言が取られた。彼女は、ジャン=ルイが致命的な一撃を繰り出したところを見たと断言した。その一方、エレーヌの証言はその夜の悲劇的な出来事で混乱しているというわけであまり重要なものとは見なされなかった。ジャン=ルイはセーヴル[ヴェルサイユとパリ中心部の間にある町]で逮捕され、群衆から野次を浴びせられながらヴェルサイユに連れ戻された。逮捕された時、ジャン=ルイは本当に驚いたようだった。牢獄に連行される途中でジャン=ルイは、父の死を知らされただけではなく、群衆と当局が殺人者だと判断するに至った推論について聞かされた。父の死を聞いてあまりに悲しかったせいでジャン=ルイは恐ろしい犯罪で告発されていることをわかっていないかのようだった。自分がその死を深く悼んでいる者を殺害した罪で連行されているのだとようやく理解したジャンは激しく抗議した。ジャンは父の家に連行された。父の遺体を見たジョン=ルイは思わず駆け寄って青ざめた顔に狂おしく接吻した。しかしながら、ヴェルディエ夫人の証言は正確だったので、同行した法官はジョン=ルイの悲嘆を偽りだと見なした。法官はジャン=ルイを尋問した。ジャン=ルイは、自分の身を守ろうとしただけであり、年老いた鍛冶屋に対して指一本上げていないと断言した。法官はまず傷を指し示し、次に金槌を指し示した。ジャン=ルイは、家から逃げ出す時に金槌を後ろに放り投げたことを突然思い出した。いったい何が起きたかを彼は理解した。無実であることを法官に納得させることは難しそうに思えた。彼は、法官に事実を伝えて、自分のことを弁護しようと思わないと付け加えた。さらに彼は、故意ではないにしろ、自分に命を授けてくれた人が死ぬ原因を作ったので何も不満を言わずに処罰を受けると言った。

 シャトレで裁判が実施された。しかし、その間に世論は事情が伝わるにつれて大きく変化していた。ジャン=ルイには多くの友人がいた。友人たちは、ジャン=ルイが無実なだけではなく、老マチュランの気まぐれと悪意に耐えてきた犠牲者であると訴えた。友人たちのおかげでヴェルサイユの民衆の間で囚人に対する同情論が強まり、ジャン=ルイの裁判は重要な政治的問題になった。先に自分で言っていたようにジャン=ルイは自分のことを何も弁護しようとせず、ヴェルディエ夫人の証言について論じたり矛盾点を指摘したりすることもなかった。裁判所は、刑車にかけて死罪にする判決を彼に下した。しかしながら、公然告白の刑とそれに続く手の切断は囚人に科せられなかった[仏原文には「些細だが不必要な残虐さを抑制する方向へ進んでいることが示されている」と言及されている]。判事は判決に暗意の条項を付け加えた。隠し縄によってジャン=ルイ・ルシャールは四肢を砕かれる前に秘かに窒息させられる。

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