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第17章 シャルル=アンリ・サンソンの登極

 四肢の力を奪った病気の最初の兆候をジャン=バティスト・サンソンが感じたのは1754年1月のことであった。その時、15歳であった長男のシャルル=アンリは背が高く強健であり、ほとんど助けなしで父の代役を務めることができた。十分な経験を持たないと見なされている年少者に処刑人の責務が委ねられたのは2回目であった。その結果、わが家系の特典を奪いたいと願う者たちと我々の間で争いが起きた。

 曾祖父が病気であることはすぐに知られるようになったが、シャルル=アンリの助けによって処刑人の職務の遂行は中断されなかった。処刑人の職務を奪うことを目的としたあらゆる種類の陰謀が企まれた。

 我々の職務の遺産がわが家系にとどまるように見守るためだけにマルト・デュビュの人生があるかのようだった。彼女は孫たちに代わって処刑人の職務を求めた。処刑人の義務を果たすにはあまりにも若すぎると検事総長が懸念を示した時、彼女はシャルル=アンリは実年齢よりも大人びていると請け合った。検事総長は、翌日、若者を一緒に連れて来るように彼女に求めた。マルト・デュビュはわが祖父を伴って検事総長のもとに赴いた。わが祖父の堂々とした体躯と落ち着きは検事総長を満足させた。しかし、検事総長はわが祖父に正式に処刑人の職務を与えることを拒んだ。経験を通じて能力を証明できるまでシャルル=アンリは父親の代わりを務めることになった。この臨時の職務は24年間も続いた。ジャン=バティストが1778年に亡くなった時、わが祖父はようやく正式に処刑人になった。

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