地面

 小学校六年生の頃の僕の趣味は深夜徘徊だった。勤勉な親の寝静まる午前2時に、僕は家を抜け出して歩いた。二階にある寝室からベランダを伝い、屋根に登る。屋根から倉庫の上に降りる。そこから石塀の上に乗り移り、アスファルトの地面に降りる。

 僕はパジャマ姿で、おまけに素足だった。そんな怪しい格好をしたチビだったから、道端で人に遭遇するわけにはいかなかった。寝静まった田舎町の道を、僕は野良猫のように注意深く歩いた。人影を目にすると、さっとその場から立ち去った。

 深夜徘徊に目的地はなかった。一時間ばかり散歩をし、学校や、秘密基地を作った裏山の近くなんかを見て回った。沼地を埋め立てて作られた町だからかもしれないが、夜中にはよく霧が出た。僕はよく、自分が夢の中を歩いているような気分になった。その気分をこそ、僕は味わいたかったのだ。

 中学校に上がってから僕は寮生活を始めたわけだが、その際にも深夜徘徊という趣味を捨てきれなかった。しかし、深夜徘徊は寮の職員にバレて大ごとになる危険性が高かったので、僕は代わりに早朝徘徊をすることにした。朝の4時に目を覚まして、その時間から寮を抜け出して周りをただ歩いた。

 そんなふうに早朝徘徊をしていたわけだが、僕には一人、早朝徘徊を一緒にする友達ができた。僕らはたまに一緒に歩いた。一緒でない日の方がずっと多かったのだけれど。

 彼には早朝徘徊に加えておかしな趣味がもう一つあった。ビルの屋上から地面を覗き込むという趣味だ。

「危ないだろ」と僕は言ったのだが、その必要はなかった。彼にはそのことが分かっていたし、僕にもそのことがよく分かっていた。

「怖い」と彼は地面を覗き込みながら言った。ほんの少し、僕が背中を押せば彼は落下死してしまっていたことだろう。

「なぜ怖いと思う?」と僕は尋ねた。答えは分かりきっていたのだが。

「それは、俺が生きたいと思っているからだ」と彼は呟くように言った。僕も彼の隣に立って同じことをした。やはり、僕も心の奥底では生きたいと望んでいることが分かった。


 彼が死んでから、もう二年が過ぎた。彼はやはり、屋上から落ちて死んだ。みんなはそれを自殺だと言ったが、僕は半信半疑のまま今に至る。もしかしたら彼はただ、足を滑らせて落ちてしまったのかもしれない。

「どうだった?」と僕は心の中にいる彼に尋ねる。

「生きたい、という気持ちが湧いてこなかったのか?だから、君はそこから落ちてしまったのか?」

 彼は答えない。

「それとも、いざ落ちていくその瞬間になって初めて、やっぱり生きたかったと思ったりはしなかったか?」

 彼はやはり、答えない。


 彼が死んでから、僕はもう一度も屋上から地面を覗き込む、ということをやっていない。だから、僕は今、自分の”生きたい”という気持ちを信じ切ることができない。

 ただ、僕は君とは違った死に方をすると決めた。

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