38.7℃まで熱があがった。文章なんか書かずに寝てろって話だけれど、例によってうまく寝れない。

明日はさすがに休む。その方がいいだろうと思う。

弱り切っているときには、誠実さを肯定したいような気持ちになる。ゲンキンなものだと思う。元気なときにはあれほど挑戦的なことを口走っていたというのに。

物価高の日本を、肯定したいような気持ちになる。あまり知られていないかもしれないけれど、物づくり大国ニッポンでは、材料が一次加工、二次加工とされていく度に問屋が介在する仕組みになっている。その度に所有権が移動し、税金が発生し、製品が店頭に並ぶ頃には雪だるましきに物価が上がる。そこに、さらに消費税が乗っかるというわけだ。欧米だと、この辺はもっとシンプル。

でもまぁ、ただ生きているというだけで、あの手の手で吸い上げられて行ったお金たちの一部は、弱っている人たちのために使われもした。僕は明日、病院に行って保険証を使うかもしれない。

寒い。

23℃の部屋で布団に包まり、ガタガタと震えている。ヒートテックの上下を着て、ボア生地のスエットを着込んで、その上に裏アルミのワークマンを着ている。寒い。

さっき、ずっと昔の夢を見ていた。まだ、僕が一回目の家出を果たす前の頃。両親と住んでいた頃。幼稚園生の時だ。

クリスマスだった。三人でロイヤル・ホストで豪華な晩ごはんを食べていた。突然、父が立ち上がり、「外を歩く」と言った。無言で僕の方をじっと見て、(来るか?)と尋ねた。
母は俯いて、粉チーズの塗されたケールをポリポリと齧っていた。
「来るか?」と父は、今度は口に出して尋ねた。僕は再び母の方を見た。口が止まっていた。俯いていたので、顔は見えなかった。

僕はうなずいて、父と一緒に店の外に出た。母は再び口をもぐもぐと動かして、粉チーズの塗されたケールをかじり始めた。僕は、どちらか一方しか選べなかった。こういう時、僕は自分が二人になることができたらいいのに、と真剣に思った。一人は母の方に、もう一人は父の方につく。

その日、遠回りをした挙句、父は家に帰った。僕がついていたからだと思う。しばらくして、父と母の口論する声が聞こえて来た。僕は窓に息を吹きかけて、ポインセチアの絵を描いた。夜中に熱を出した。


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