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「おじい」「おばあ」は下品な言葉!#21


御総様(ぐすーよー。皆様)

2016年の琉球新報に、首里言葉に一家言を持つ、今は亡き宮里朝光氏(大正13年生まれ)の「『おじい』、『おばあ』は下品な日本語。今日限り、使わないで~」という刺激的な発言を記事にしたものが掲載されていました。

それが下記です。

琉球新報2016-9-27記事 宮里朝光「おばあは下品」

実は私も大賛成です。

「おじい」「おばあ」は、うちなーぐちではありません。

本来は「たんめー(おじいさん)」「ぅんめー(おばあさん)」といいます。

その前に少しこの記事の補足をします。

「なぜ『首里城正殿』と言うのですか。『百浦添御殿(ももうらそえうどぅん)』という素晴らしい固有名詞があるのに」

と記事にあるように宮里氏はご立腹の様子ですが、そうです。

宮里氏のいうように琉球王国時代の文化財のほとんどは日本語読みとなっており、それが当たり前のこととして教科書や公的機関でも記されています。これは私も本当に異議を申し立てたい。

例えば、「首里城(しゅりじょう)」ではありません。本来は「御城(うぐすぃく)」と言います。

首里と付けず「うぐすぃく」と言えば「首里城」だというのは過去には当たり前のことでした。

まあ百歩譲って「首里」を上に付け「首里御城」と書き、ふりがなは「しゅいうぐすぃく」とするべきです。

さらに首里城正殿は、うちなーぐちでは「百浦添(むんだすぃー)」と言います。

この記事では「ももうらそえ」とかながふられています。

けれども、これは、うちなーぐちの歴史的仮名遣いです。つまり、表記であり発音ではありません。

さらに、宮里氏はその下に「御殿(うどぅん)」と付けています。
そういう呼称もあるでしょう。

ただ、私の、うちなーぐちの腰当(くさてぃ。根拠、拠り所)である『沖縄語辞典』(国立国語研究所編)では「百浦添(むんだすぃー)」とのみ記され「首里城正殿のこと」とあります。

古くは首里王府編纂の「混効験集」(1719)に「もんだすへ」とありその説明として「百浦添御本殿」とあります。

「混効験集」(1719)に「もんだすへ」

写真は『伊波普猷全集 第一巻』の「古琉球」P370より。

ここまできて「しゅい」?「うぐすぃく」?「むんだすぃー」?と、違和感を覚える方も多いかもしれません。

これは、細かく言うと琉球王国時代の貴族・士族成年男子の発音です。

平民はそれぞれ「すい」「うぐしく」「むんだしー」と発音され、それが現在では一般的な発音となっています。

ここでは首里王府のことなので教科書や公的機関では本来の首里言葉である「しゅい」「うぐすぃく」「むんだすぃー」を採用するべきでしょう。

はい、さらに肝心の「おじい」「おばあ」について述べます。

昭和初期から「おじい」「おばあ」という呼びかけは使われているようですが、その理由は、学校や家庭での日本語強制事情があるでしょう。

1880年(明治13年)から日本語学校が強制設置され、琉球諸語を使うと先生から体罰という暴力を受け、更に首から「方言札」をかけられ屈辱的な思いをさせられました。

家庭でも日本語強制はありました。

その例は枚挙に暇がないほどあるのですが、一つだけここで紹介します。
今は亡き、知人女性(昭和10年那覇生まれ育ち)の証言です。

この方は小さい頃お母さんに突然「今日からあんまー(かあちゃん)と言ったら返事しないよ」と言われたとのことです。

生まれてからずっと「あんまー」と使ってきたのに、突然母親は日本語で「お母さん」と呼びなさいと言ったそうです。

家庭でもこんな調子です。我々琉球諸島住民は学校や家庭、社会で、先祖代々受け継がれる琉球諸語を禁止し、日本語を強制的に話さなければいけない状況に追い込まれました。

「おじい」「おばあ」は『日本国語大辞典』(小学館)にも掲載される日本語で琉球諸語とは関係がありません。

我々は言語を奪われ、文化も奪われ、外国語である「日本語」を1880年(明治13年)以来140年近く強制的に学ばされ、それは現在も存続中です。

こんな事を書くと、特に我々琉球人は驚くでしょう。それは歴史を知らないからでしょう。

歴史を調べれば分かりますが、1879年(明治12年)、日本は首里城占拠後、琉球国王を東京へ拉致しました。つまり我々琉球人の王様は日本に誘拐されたのです。

その後、琉球役人300人余りを拷問し、沖縄県の行政に強制就業させました。

1879年に沖縄県は琉球人に喜ばれ設置したのではなく、日本に暴力を振るわれ有無を言わさず強制的に設置されたのです。

ぜひ皆さんも調べてみて下さい。

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