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「しまくとぅば」では復興は無理。方言札が琉球諸語消滅の元凶!#13

御総様(ぐすーよー、と読み「皆様」という意味)

2009年、UNESCO(国連教育科学文化機関)が、琉球諸島には6つの言語(奄美語、国頭語、おきなわ語、宮古語、八重山語、与那国語)があり、それらは何らかの対策を講じなければ消滅する危機にあると発表しました。

下記のUNESCO Atlas of the World's Languages in Danger
サイトにアクセスして見てください。

上記サイトの真ん中に青字で「Search tools」とありその下の「Country or area」をクリックして「Japan」を選択してください。すでにJapanの文字の横に(8)とありますよね?これは日本には危機言語が8つあるということです。その下記のグーグルマップに琉球諸島の6つの言語が方言ではなく「言語」だと記されているのが分かると思います。

さて、私は上記UNESCOの発表を受けて琉球諸島の言語地図を作成しました。

下記の地図がそうですが、この地図は論文や学術書でも採用されたり、私自身が大学の講演・講義でも用いているものです。

琉球諸語言語地図

このユネスコの発表を琉球人の皆さんには重く受け止めてもらいたいです。

我々琉球の言語は1187年の舜天即位から計算すれば、700年以上話されてきたといえる言語なのです。

それが1879年以降は日本に支配され、完全に日本語のみの社会となってしまいました。

沖縄県は「しま(①集落②島)くとぅば(言葉)」という言葉を使いのんきに啓発活動を行っていますが、琉球諸島には約800の集落があります。

800の集落の言葉すべてを継承・保存するなんて夢物語で現実的には、上記6つの言語に集約し、もっと何らかの対策を講じるべきです。

したがって「しまくとぅば」ではなく、具体的に「琉球諸語」という呼称を用い、その6つの言語に集中し継承・保存活動を沖縄県は行うべきだと私は提唱します。

ここで具体的な提案ですが、6つの言語の中心地、おきなわ語ならば沖縄県庁か那覇市役所に1人、日本語は一切使わず、徹底的におきなわ語のみで対応できる職員を窓口に置くのはどうでしょう。

宮古島市役所には宮古語のみを話す職員、そして八重山は八重山語という風に。

そうすればその職員は徹底的にその言語を勉強し話すようになり、さらに毎月それなりの給料も貰う。

こういうことを本気でやらないと、我々の歴史ある700年以上も続いてきた誇り高き琉球諸語は消滅します。

英語をペラペラ話したい、欧米の学問を学びたいという琉球人はたくさんいますが、こと自らの言語「琉球諸語」に関心はあれど、学ぶということをする人は本当にわずかです。

完全に灯台もと暗し、うちなーぐちやれー(では)

「慶良間(きらま)や見(みー)ゆしが、睫毛(まちぎ)や見(みー)らん

(慶良間諸島はおきなわ島から晴れた日には良く見えるが、自分のまつ毛は見ることができない、つまり「灯台もと暗し」にあたる、おきなわ語のことわざ)」

なとーいびーん(なっています)。

さて、それでは、どれくらい6つの言語が違うか「ありがとうございます」を例に紹介します。

奄美語(名瀬言葉)は「おぼこりだりょん」

国頭語(与論言葉)は「とーとぅがなし」

おきなわ語は「御拝(にふぇー)でーびる」

宮古語は「たんでぃがーたんでぃ」

八重山語は「にふぁいゆー」

与那国語は「ふがらっさーゆー」

ご覧の通り、お互いの言語はほとんど通じ合わないほどかなり異なります。

今までは、これら琉球諸島の言語は「琉球語」とも呼称されてきましたが、それだと琉球諸島には一つしか言語がないと勘違いされてしまいます。

そのため近年、琉球の言語を研究する学者間では複数という意味の「諸」を入れ、「琉球諸語」という語を用い論文や書籍を発表しています。

さて、琉球諸語、その中のうちなーぐち(おきなわ語)継承活動の最前線にいる私にいわせれば、沖縄県は「しまくとぅばの日」というどこの言語かも明確にしない曖昧模糊とした概念を提唱するのみで琉球の言語を明確にしようとはしていません。

また、「しまくとぅば県民大会」という、これまた「琉球諸語」ではなく、どこの言葉の大会なのか定義の曖昧な学習発表会のようなことをするのみで本気で継承をしようとは動いていません。

沖縄県の行政の意識が低いのは沖縄県民、つまり我々琉球人が琉球諸語に関心を持たないからだといえるでしょう。

琉球人の琉球諸語への意識は恐ろしいほど低く、日本語が話せればよい、さらに英語が話せるようになる時間に言語の時間は割くべきであり、こんな「方言(この語は差別的表現。あえて使う)」なんかなくなってもよいと言わんばかりの人が多数を占めているように見受けられます。

この状況は日本の暴力により沖縄県が強制設置された1879年以降加速し、同化政策が行われ、また、戦中、そして戦後も学校にて悪名高い「方言札」なるものが導入されたことが大きな原因なのです。

琉球社会では方言札についてあまり語られませんが、実はこの方言札こそが琉球諸語を消滅に追いやった元凶です。

「方言札」については過去に書いた下記記事をお読みいただければもう少し理解が深まると思います。

この方言札は、琉球諸語を話すものは罰として首にかけるというもので、我々琉球人は徹底的に自らの言語を「悪い」「汚い」「教養の低い」という間違った観念を学校教育にて植え付けられたのです。

方言札を知らない世代が殆どの琉球社会になりましたが、その体験者はあるものは口をつぐみ、そして殆どの体験者は笑って誤魔化すという状況です。

琉球の方言札を知らない世代は方言札体験者が笑って語るので、そんなに大げさな事ではなかったのではないかと勘違いするのですが、そんなことはなく実はかなり深い心の傷となっています。

その証拠に方言札の体験者達は自らは琉球諸語の母語話者にも関わらず、その子や孫達に琉球諸語でまったく話そうとしません。

それが答えだといえるでしょう。

仮に親や祖父母世代が英語の母語話者だったらどうでしょうか。

琉球諸語は否定され続けてきたので継承はしたくないという心の傷はありますが、英語は心の傷どころか世界中大歓迎の言語なので親や祖父母世代は積極的に子や孫に継承するでしょう。

琉球諸語に植え付けられた間違った観念を払拭するのはそう簡単なことではありませんが、これを読んだ琉球人の皆さんは、心に傷を負った両親や祖父母たちへ優しい言葉をかけてあげ、少しずつでよいので聞き取りをして下さいませんか?

言語は文化の根幹です。

その根幹を我々の親や祖父母は学校にて否定され続けて来たのです。

取り戻しましょう我々の大切な文化を。









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