「金は命より重い」の真実

久しぶりの更新です。

「金は命より重い その認識をごまかす輩は生涯地を這う」ーーー言わずと知れた「カイジ」の登場人物、利根川の名言です。
数あるカイジ作中の名言の中でも非常に有名なセリフのひとつですが、また同時に賛否両論あることでも知られています。即ち「金と命どちらが重いか」ですね。
今回はそれについて考えてみたいと思います。

命とは何を指すのか

「金よりも命のほうが重い」という人は大体にしてこう言います。
「命があるからお金を稼ぐことができる」
確かにその通りです。しかし、命があれば「誰でも」お金を稼ぐことができるのでしょうか。

このあたりには生活苦の人(貧困層)とそうでない人(一般層)の間に「命が何を指すか」の認識の乖離があるように思います。

命についての貧困層と一般層の唯一にして絶対的な認識の違いがまさにこれです。一般層の人は命をただ単に"生きている状態"であることと認識してるように思います。しかし貧困層の人の場合そうではありません。命とは普通の生活ができることです。つまり食っていけなければ生ける屍なわけです。
生活とは生命活動です。すなわち生きていても経済苦の故に活動していなければ死んでいるのと同じなのです。しかるに一般層は、貧困層の人の存在そのものを「生きている」と錯覚しています。
生活に金が必要であることは言うまでもありませんが、一般層は経済苦で既に死んでいる貧困層に対して励ましであったり説教であったり、時には恫喝であったりと、金もないのに生きること(生計を立てるという意味で)を強要するのです。生活をしっかりすれば金が入ってくるのではなく、金があるから生活がしっかりできるということを、一般層は認識していません。


納税の義務は国の貧困層への「死ね」という絶対命令

だいぶ前に「ステーキけん」の社長 井戸実氏が納税をさも当然のように豪語してひろゆきに論破されていましたが、それはさておき、この上から目線が大きな批判を呼びましたね。納税は義務であっても現実には納税したくてもできない人がいるわけです。
そういう人に対して国はどうするかというと督促状を再三にわたって送り、最終的には差し押さえを執行します。納税の意思のあるなしにかかわらず、いくら親身になって相談に乗ろうとも最終的には「年度末までに」というカードを切り、血も涙もない督促を行うのです。

島根県ではこのような問題発言があったそうです。
税金は一般市民の命より重い。自殺をして税金を納めよ 島根県出雲市 財政部収納課 (部長:槇野信幸)

 「25万円の納付はしんどい。首でもつって生命保険で払いましょうかというと
『どういう形であれお金が入れば』と言われ、ムカッとしました」―。
 大型店出店のあおりで売り上げが2000万円減った食料品製造販売業の男性(37)は、市から
「いつでも差し押さえできる」「回収は2年でやる。5年は待てない」
と突然通告されました。母親が糖尿病なのに国民健康保険証を取り上げられ、
「通院の必要があればきちんと払いなさい」「(父親の)年金をすべて納税に充ててもいいじゃないか」
とも言われたといいます。

希な事例のように思ってしまいますが、このような問題は身近にあるのです。
僕も例外ではありません。

僕の場合、交通誘導警備員時代(実質無職)の滞納が5年経過して一気に来て支払えなくなってしまった状況がこのときです。
国の命令は絶対です。勤労の義務を遂行できない状態で生活が苦しくても、納税の義務は強要するのです。先述の例にあるように、これは「納税して死ね」という命令以外の何物でもありません。

死んでも納税は遂行させるーーー金は命より重いのです。


金は命より重いことを認識したAV女優

1月7日、テレ朝の『羽鳥慎一モーニングショー』で貧困女性特集が組まれ、AV女優の高山えみりが出演して貧困生活の実態を激白しました。僕は仕事で彼女の作品は見たことはありませんが、無名ではなくそこそこ売れているようです。

彼女はAVを始めて這い上がるまでの経緯についてこう語っています。
23歳・高山えみりが“AV女優”になったワケ激白「家庭の事情で貧困に追い込まれた」……娘の決意に母親は「一生わかりあえない」!

 経済的に追いつめられていく日々の中で、大学の事務からも毎日のように「早く学費を払ってください」と催促されていたそう。高山は苦労して大学に入り、就職先の内定も既に得ていたため、「このままじゃ全部なくなっちゃう」と感じ、「全部なくなるぐらいだったらこの仕事をしようと思ったのがきっかけです」と、AV女優になった経緯を明かした。
 高山は“お金”について「絶対にある程度のお金がないと生きていけないとすごく感じた」「別にお金持ちにならなくていいけれど、人はお金で壊れる。簡単に」と言い、お金のことで「躁うつ」になり、普段は元気だが急にガクンと気分が落ちることが今でもあると明かした。また、「お金を貸してくれたり援助してくれたりした人たちとの関係が簡単に崩れる。すごく怖いと思います」とも。

ここでの彼女にとっての命とは、大学を卒業して内定先に就職し、普通の生活を送ることだったのではないでしょうか。しかし学費の催促によって生活が脅かされてしまいやむなくAVに出演した……つまり命より金を取ったのです。
その結果が(プライベートでの)普通の生活と「人はお金で壊れる。簡単に」という結論だったのですね。彼女は金は命より重いという認識を誤魔化さずAV女優を選択したことによって、地を這わずに普通の生活を送れているのです。むろん性の仕事に従事するみんながそうなるわけではありませんが、彼女の認識が結果的に正しかったことは明らかです。

VTR終了後にコメンテーターは的外れなコメントをしていますね。高山えみりがAV出演以外の選択肢を失ったことはある種の悲劇ではありますが、純潔を犠牲にして生活を守ったのですから、寧ろサクセスストーリーです。
このドキュメントのキーポイントは、結果論とはいえ彼女のお金に関する認識が変わったということに他ならないのです。そこから目を背けてAVで生計を立てること自体を悲劇とすることは、貧困がテーマであるにもかかわらずお金の本質に触れていないという点で、ズレていると言わざるを得ません。
識者がこの有様なのは、日本人がお金に関する教養を受ける機会に乏しいことの証左であるように思います。


命を救うことができるのは金の力

最近世間を賑わせた事件の一つが、CoCo壱番屋の廃棄カツを業者が横流しした事件ですね。店舗のパート従業員がスーパーで売られるはずのない自社商品を見つけて本部に通報し、2日後には不正転売の事実を確認してリリースを出している迅速な対応が評価されて株価が上がっているそうです。
本来、壱番屋は被害者です。なぜなら品質に問題のある商品が不正な手段で消費者の手に渡ってしまったことにより、信頼を失うからです。しかし実際は、このことによって壱番屋は逆に信頼を勝ち取りました。それは壱番屋の体力によってつくられた健全な体質が明るみに出てきたことによると僕は考えます。

食品大量廃棄、年間1800万トンの衝撃 廃棄コスト2兆円、背景に業界ルールや慣習

廃棄費用が1800万トンで2兆円かかるということは、CoCo壱番屋の廃棄カツ(40609枚、約5.6トン)の廃棄費用は単純計算で約62万円。しかもこのような処理を普段からきちんと行っているはずですから、相当な体力を必要とすることは明らかです。それだけでなく、パート従業員がスーパーに並んでいるのを不審に思った時点で従業員への教育が行き届いている証左でもあります。教育には人件費がかかりますから、その費用も惜しんでいないことがうかがい知れます。

つまり壱番屋は、金で信頼を勝ち取り、従業員の命を救ったのです。



このように、様々な事例から命をつなげられるのは金であることは明白です。しかし日本ではお金に関する教育を受ける機会はほとんどなく、金は汚い物だとさえ教えられます。そのくせ命を大切にしようなどという綺麗事がまかり通ってしまっているわけです。

今に始まったことではありませんが、政府の経済政策は迷走を重ね、ついにマイナス金利まで打ち出すに至りました。もしこれが失敗して取り返しがつかなくなった場合、お金よりも命のほうが重いと思っている人たちはそのときどうするのでしょうか。政府が責任をとるかどうかはわかりませんが、「カイジ」作中のエスポワール号で債務者が騒ぎ立てる光景が現実のものになるに違いありません。そして利根川のセリフのごとく、多くの人が地を這うことになるのかもしれません。

僕自身も金は命より重いことを認識し、行動に移しております。11月から前述の税金の滞納が逃れられないところまで来ており、ついに月の支払が給料とほぼ同額になってしまいました。もう金に関する認識はごまかしが利かず、観念して納税計画を遂行中です。
僕のやるべきことは、納税相談ではなく額面通りに支払を遂行して給料日に無一文になることです。すなわち納税によって自らの生活を破壊し、死を以て周りに金の重さを認識させることなのです。金は命より重いことを自らの命で証明するのです。
これによって不健康で文化的ですらない生活の基盤が完成です。仕事に使う自転車も金がなくパーツ交換がままならないため、事故を覚悟で壊れるまで乗り続けます。あとは無謀な婚活で惨敗を重ねればもう言うことはありませんね(笑)

2/19追記
一旦こうは書きましたが、テキストの打ち消し機能がないようなので引用機能で囲みます。

あとで調べたところ、中小企業が資金繰りショート寸前のときには従業員への給与や取引先への支払いを優先して税金は後回しにするのが鉄則だそうです。個人事業主は実質中小企業ですからこれを自分に当てはめて交渉する努力はすべきでしょう。
交渉ができないのであれば親の世帯から外れるのもひとつの手かと思われます。

要は金を得るための手段として、社会的に死ぬという選択肢も取れるわけです(合法的にという前提はありますが)。いずれにせよ自分の存在を削る(by利根川)という点においては追記前と同様の意味となりますから、賭けてみる価値はあるでしょう。



いずれにせよ「金さえあれば…」周りにそう思わせれば勝ちです。最悪でも政府の経済政策が失敗したときに周りは金の重さをイヤでも思い知ることになると思います。いずれにせよ、人の心が動くのを虎視眈々と狙えばあとはどうにでもしようがあるのではないでしょうか。
金が命より重いという現実世界を生き抜くには、命を張って無理にでもなんとかしよう…そこまでの気迫が必要なのだと思います。

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