変われないのではないか、という恐怖

 後悔していることがある。2013年と2016年、なぜ何としてでも香港で暮らす道を探らなかったのか。新卒のときはまだわかる、でも3年目の時は自分がどれだけ香港に行きたかったか、今の環境を出たかったのか、自覚していたにも関わらず籠もってしまった。行動した場合の後悔は薄れていくのに、手を伸ばせば届いたかもしれない状況で立ち止まったときの後悔は日を増す毎に増幅していく。今、もし私が香港で暮らしていたら絶対に後悔していないだろう。
 しかも情けないのは両親に止められたことが確実に自分の行動のストッパーとなってしまったことだ。もちろん最終的に決断したのは自分だ。だが両親に話した時、24の私は無意識に背中を押してくれることを期待していた。元々迷いはあったが、心を挫く言葉は私の決心を大いに揺さぶった。昔からの言葉で不言実行ということわざがあるが、本当に理にかなっていると思う。心からやりたいことは決心が固くなるまで周りに告知せず、黙々と自分で進めていかねばならない。背中を押してほしいなどという甘い考えを持っているうちは、自分の弱さを世界に見破られる。もう決めていることにも関わらず、今でもまだこのあと目の前にチャンスが来たときに手に取れないのではないか、という恐怖に苛まれることがある。
 香港が数年のうちに無くなってしまうなんてことは、全く想像していなかった。2014年のデモや今年の9月くらいまでの状況はなんとなく、2012年からの延長上に存在する世界だと感じていたが、今の状況は想像できなかった。いつかは崩壊してしまうのではないか、という懸念はあったが、私が想像していたのは気がついたら街中の看板が簡体字に変わっている、とか、香港資本の企業がいつの間にか大陸資本になっている、とか、教育の内容に少しずつ少しずつ、共産党の薫りがついていく、とか、そういった変化が徐々に起こり、市民も不満を言いながらもなんだかだんだ受け入れてしまい、数十年後には全く違う世界になってしまうというようなものだった。(私はかなり日本人なんだと自覚したよ)
 たった7年で母校が燃え、教育や市民生活が機能しなくなり、政治権力が数カ月で市民に牙を向くようになるとは。高度な文明社会、世界有数の経済都市、自由な社会制度がこんなにも脆く、一瞬で崩れ去るなんて本当に信じられない。『サピエンス全史』の最初に書かれている「人間は幻想の中で生きている」という言葉を重く実感する。シリアやイラクを見ていた時は中東の遠い国だから、きっと元々そんなに平和な社会じゃなかったのではないか、とどこかで感じていたけれど、きっと彼らの安定した日常も一瞬で崩れ去ったのだろう。それよりも、西洋社会の理念原則と見事に反する巨大な国(というか政府)と隣接している香港が、このような危険を含まないわけがないのだ。世界は自分の希望通りには動かない。今できることを行わなければその後の人生を後悔と共に過ごすことになるのだろう。
 

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