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うわああああん、遂にあの官僚制の授業の最終セッションを終えて、バーでクラスのみんなと先生と打ち上げして、もう寂しすぎて胸が張り裂けそうになってる。

今学期最も意味がわからなくてカオスで、でも間違いなくいちばん沢山の思い出がある授業。

初めの頃、リーディング課題の1600年台のイギリスの法律を開いて、もはや英語にもなっていない古い英語が連なっててしかも文の区切りがろくに存在していない(カンマもピリオドもないひとつなぎの文が何十ページも続いていく)文書、それも授業のタイトルである官僚制の歴史とは内容がほぼ関係していない文書を目にしたときはさすがに取る授業を間違えたと思ったけれど、回を重ねるごとに面白いリーディングも増えてきて、そしてどっかの国の憲法を読んだり最高裁の判決を読んだりすることにもだんだん慣れてきて、先生もクラスメイトも好きになった。

マルコムという名前のその先生はめちゃくちゃ特徴的な人で、これはもう記述できないんだけどとにかく一度ツボったらもう全ての言動が面白く感じられてくるタイプの。教室中を徘徊しながら取り憑かれたような熱量で "HOw PuBliC ADmiNisTrAtiON is BEaUtIFuL" なのかを超絶早口で語る姿はもはや真似したくならない方が難しくて、でも時折見せるチャーミングな笑顔がステキだからクラスメイトたちは学期途中からこの授業の目標をマルコムからなんとか微笑みを引き出すことに変更していた笑

彼はガムを噛みながら授業をするのだけれど(あんだけ早口でしゃべりまくりながらどうやってガムを口の中におとなしく収めていたのか今もまじでわからない)、教室を徘徊しながらの熱弁途中にちょうどゴミ箱の前に来たところで華麗にガムを捨てて新たなガムを猛スピードで口に放り込むところを目撃するたびに笑いを噛み殺さなくちゃいけないのは修行だった。

でも先生はおかしいだけじゃなくてどこからともなく不思議と温かみが感じられるような人で、それだからみんなだんだんこの授業を好きになっていったんだと思う(当日にくじで選ばれた人がその文書についてプレゼンするという方針だから毎回かなりのコミットが必要だったにも関わらず)。

あと、マルコムの最も重要な部分は、ヨーロッパ・中東・北アフリカ・アメリカの世界史が「全て」頭に入っているということ。年号や出来事はどんなに小さなものでもスラッスラ出てきてもはや当たり前、そしてものすんごいニッチな政治システムとかある特定の年代の宗教・人口構成の細かあああいところとかまで全て覚えているし(ちなみに彼はアラビア語も堪能、ホワイトボードに何やらオスマン帝国の行政区分をずらずらとアラビア語で書き始めたときはみんなびびっていた)、それを私たちも知っていると仮定してプレゼンの後に尋問してくるからもう怖いったらありゃしなかった。みんな知るわけないだろみたいなことを容赦なく聞かれていた笑

私がこの授業——みんなが金曜日の夜にパーティーを楽しんだり旅行に出発したりするなかガランとしたキャンパスで行われるこの授業——を乗り切れたのは、この先生のパーソナリティもあるけれど、大部分は仲良しの友達のおかげだった。

その友達はフランス語の授業も一緒の子で、毎週毎週やれソ連の憲法だのフランス革命時の文書だのアメリカの最高裁の判決だの、特にはブーブー言いながら、時にはこの文書かなり面白いんだけどって興奮しながら、お互いに励まし合って1つ1つのリーディングを倒していった。

プレゼンの構想を練るために初めてキャンパスのカフェテリアで作業しよってなった日に結局ガッッッツリ恋バナして全くプレゼンの話しなくてもう一回日調したのとか(その次の時も結局2人で本屋さんに現実逃避しに行った気がする笑)、隣り合わせに座って授業中に先生とかクラスメイトがおかしなこと言う度に顔を見合わせたのとか、思い返せばそういう何でもない日常がとっても恋しい。

期末レポは今度は自分で選んだ文書に関する分析を書くのがテーマで、今週は2人で朝から晩まで学校のカフェテリアにこもって一緒に勉強した(もちろんコーヒーブレイクとランチタイムとスナックタイム付き)。

ランダムに当てられるプレゼンに備えて全部の文書をしっかり読んで、分析とかhistorical contextとかその後の社会・政治に与えた影響とかをまとめた上で毎回の授業に挑んでいたのに(予習用のドキュメントは学期末には60ページを超えた)、2人ともクジで1度も当たらなかったのは非常になんというかもどかしかった。

そしてそのせいで「これまで当たらなかった生徒の中から最終授業で自分のレポートについてプレゼンする人選ぶネ」に私は見事に選ばれてしまった。ただ、文書のチョイスが委ねられているから自分でも少し面白いものを選べたんじゃないかなと思っていて、トクヴィルの『アメリカのデモクラシー』の後継作として知られるJames BryceのThe American Commonwealthという本を扱った。TocquevilleからBryceの間の約50年でアメリカが経験した政治・社会・経済的な変化が、アメリカのfederal systemとか"spirit of citizens"にどんな影響を与えたのかを2作を比較することによってまとめた。

トクヴィルの作品や、この本のレビューを書いているWoodrow Wilsonの文書をこの授業で読んできたことを踏まえると、コースの集大成的な位置付けに少しはできたかなと思う。

それから、私の友達は他のクラスメイトが選んだハイチの憲法についてコメントする役に選ばれていたのだけれど、これまでに読んだ憲法と比較した見解を話していて、それらはお互いきっちり1学期間リーディング倒してきたからできることだからproud of usという感じだった。

最後の授業の先生のまとめは相変わらずあまりまとまっていなかったし授業時間もいつも通りオーバーしていたけれど、授業が終わったらみんなでバーに行って打ち上げをした。

すごい楽しくてビールも美味しくて、以前話してちょっと苦手だったクラスメイトも今日は話しやすかったしマルコムからも次の勤務先(先生は現役の裁判官で、この先2年間はフランスのアラスカみたいなところで狼と住民の対決を行政官として管轄するらしい、なんともワイルドすぎる話)のことを聞いたりした。先生は授業中よりもずっと穏やかで温かい笑顔で話していて(話している内容が"human rights is BORING, it's important but not intellectually stimulating"とかなのは全然穏やかじゃないんだけれども)、生徒たちはこぞってこの授業がいろんな意味で一番印象に残ってるとか先生のパーソナリティがmost iconicでしたとかあらゆる感想を伝えていた。

私も少し先生と話した、日本のpublic administrationで働きたいと考えているという話をしたら、アジアの官僚制はとても興味深いから本当はリーディングリストに入れたかったけれど自分の知識が完全ではないからもっと勉強して次に開講するときは必ず入れると言っていた。そうこれは本当に大事な視点で、中国の科挙とか取り扱ったら絶対面白いだろうに授業のほぼ全てがWesternな視点で、官僚制の分析をフランスからスタートさせるところにとても違和感を感じていたので先生がこれに言及してくれてなんだか少しスッキリした。

バーを後にしたら、1学期間共に戦い抜いた友達とイタリアンで打ち上げ第2回戦をした。彼女がこの授業にいなかったら絶対に私は途中でリーディングを放棄していたかもしくはすごい苦痛に思いながらそれをこなしていただろうから、ほんとにこの授業がほぼ全く苦じゃなかったのは彼女のおかげだと思う。読む量は確かに沢山あったけれど、不思議と一度も嫌だとか重いとか思わなかったのは一緒に愚痴りながらこなせる友達がいたからだと思う。

2人でめちゃめちゃ感傷に浸りながら、よくがんばったね夏に初めて出会った頃が懐かしいねって話して、数年後にSciences Poでマスターを一緒にやれたら最高だねとかも話して、マルコムの授業が終わってしまったことが信じられなさすぎて存分にセメスターの最後を名残惜しんだ。

もう来週のために読む憲法がないこと、金曜日にあの教室に行かないこと、彼女とジョークを言いながら爆笑できないことが寂しくて切なくて胸がぎゅーってなってる、この授業がこんなにも良い思い出になるなんて思いもしなかった笑

無事に国家試験を通過することができて霞ヶ関で働くことになったら、マルコムにメールしなくちゃ。

上がこの授業のリーディングリスト。セッション5くらいまでは本当にこれを読むことが官僚制を理解することにどう繋がってるんだろうと思うような文書ばかりだったけれど、セッション6あたりからだんだんと面白い文書が増えてきて嬉しかった記憶がある。

特に下線を引いてある文書はかなり興味深くて、近代官僚制をイギリスで初めて確立した文書とか最高裁のMunn v. Illinoisの判決文、それからソ連の憲法、レーニンのスピーチなんかは控えめに言ってもめちゃ面白かった。うわん語りたいことありすぎるな。レバノン料理行った時に1864年のStatutes of Mount Lebanonの内容浮かんできたのはさすがに自分でも引いたけど笑

これまで私は法律という視点を一切持ったことがなかったけれど、この授業で初めて実際の法律とか最高裁の判決とか、法の世界のものの見方に触れられたのはよかった。police powerを行使できる範囲をいかに"reasonable"な形で正当化できるかということを、legislature, administration, judiciaryの3つがバランスをとりながら追求してきた結果として今の国家が存立している。でもそのシステムは国ごとに全然同じじゃなくて、例えばcommon lawがメインの国とcivil lawがメインの国があって、さらにはadministrative lawが存在するフランスみたいな国もあってそしたら最高裁も2つあってっていうふうに、それぞれ歴史に支えられた今の司法・行政・立法体制がある。

理解できなかったところもたくさんあるから、これをスタート地点にして官僚になるまでに(なった後も)色々と知見を深めて行けたら良いなって思う。

一番下は最終回の授業ノート(笑)

官僚制の "beauty" にこそ心からは共感できなかったけれど、その制度を歴史的な視点で見つめることができる姿勢を身につけられたのは本当に良かったと思う。官僚として働きながらNorthcort-Trevelyan reportをたまに思い出す人はきっとそう多くはないはずだから笑


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