🇳🇱:アムステルダム(ゴッホ美術館+α)
気が向いたので、5月に行ったアムステルダムの旅行記を書く。
やはりゴッホ美術館が圧巻の良さで、ここに行けたことは本当この先ずっと記憶に残る経験だと思う。
そこは、もう美術館というよりは、ゴッホの人生そのものだった。ゴッホの人生そのものに入り込んで、その世界を追体験する空間。
展示のしかたが良いからこそ来訪者にそう思わせるのだろう。泣きそうになったり、心の奥まで芸術が染み込んだり、色合いや筆のタッチを目に焼き付けようと追いかけたり。
もう一度この美術館に行くためだけにアムステルダムを訪れたいくらい。
ただ1つだけ残念だったのは照明で、絵画に照明が直接反射してその魅力を削っていた、ちょっと見にくかったマジで。でもこれは多分オランダの人の身長をスタンダードに設計しているからなのではないかという結論に至ったので展示した人を責めても仕方がない。
ゆえに写真が本当に絵画の魅力を全く捉えられていなくて、本当は以前までの旅行記でやっているように写真とキャプションで絵たちを記録していきたいのだが結構難しいような気がする。
というわけで、私が美術館の中で取ったメモをベタっと貼って、そのあとに写真を貼る方式で残しておこうと思う。私にとってはあくまでdescriptionの方を見てゆくゆく実物の雰囲気を思い出せるように、もし読んでくれている人がいたら写真と照らし合わせてこれのことかなって推測してもらえるように。
作品によって目の色を変えていた、色は感情の表現
麦わら帽子は農民であることの象徴
田舎の暮らしが普遍の真実であるとするスタンス
農民の画家になると決めた
自分の手で地面を耕して収穫した、正直に働いて得たものをお皿に持っているのだという事実
尊厳と美
父の死に際して描いた絵
聖書の隅に触れるゾラの小説。
聖書=父、ゾラの小説=現代生活の聖書(ゴッホ?)
牧師であった父との考え方の違いを示すものか
色たちが空気と光に揺れ、動いているよう
雰囲気に溶け込んでいる人々
かえるとつるは娼婦であることの象徴だった
大胆で平面的な色使い、ふちどりが日本の絵画の特徴
力強くはっきりとした線遣いと、うずまく模様
ゴッホが追い求めていたものの多くを日本美術が捉えていた
「わたしは日本人が羨ましい。彼らには、あらゆるものに素晴らしい明瞭さがある。彼らの作品は、息をするようにシンプルだ。筆使いは確かで、数少ない。」
ひまわり=ゴッホの花、ひまわりの画家として知られたいと考えていた
優雅でも華やかでもないけど素朴な魅力
ゴーギャン到着を歓迎するために描いた
背景が溶けている
目の前にあるものを描写するためではなく、感情を表すために色を使う
芸術への愛に没頭することにより、現実への愛を失ってしまった
レンガの前に座らせて、曲線を強調
緑と赤で浮き出しているように
瞼の緑で引き立て
ゴーギャンの椅子でゴーギャンを表す
椅子=肖像画
ゴーギャンは夢心地、ゴッホは現実の力
病院にいる間に自然の観察
外に出られないからミレーの作品を模倣
色はゴッホ独自、見たのは版画だったから
演奏家が作曲家の譜面を解釈するように
どのような色であってもどうでも良い
目の前のものから自由になるためのものの見方。
日常の中にある美を独自の技法で
自分のためだけに描くのではない。
(以下、+αのメモから)
アムステルダムですごい感じたのは、エッセンシャルワーカーの人もめっちゃ白人ってこと。ブロンドに白い肌に青い目の人たちが、工事現場とかごみ収集車とかにいるのを見るのはヨーロッパの国で結構初めてな気がした。
あと、たくさんのレインボーフラッグ。町全体からリベラル感が溢れてたけど、実際の政治とかどんな感じなんだろうと思った。
住みやすそうだなと思う。みんな優しそうで朗らかで、テラスで夕方ビール飲んでた時に柴犬のTシャツ着たお兄さんと仲良くなって話したのとか、朝に行ったパン屋さんでみんなが集って話してる様子とか見て、生活が楽しそうだと思った。みんなチャリで駆け抜けてる様子も(笑) パリは公共の電チャリだけどアムステルダムはみんなマイチャリなのすごい。
夫婦がなんかお散歩してたらおばあさんが自転車で通りかかって、知り合いっぽくて「ぉおお!やっほーーー!」みたいになってるシーンも目撃してほっこりした。
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