ただ生きる
生きる、というのは、ただ生きることだ。
幸福を感じること、なども義務ではない。ただ生きるだけでいいんだ。
昨日、ある人生の制約を捨てた。おそらく前世から自分が怖がっていただろうもの。
すると、ずっと回転していたモーターが止まって、静寂と開放が降ってきたような感じがした。いらない膨大なエネルギーが使われていたんだと知った。
夕日で縁が金色になっている雲が青い空に浮いているのを見て、「何もしなくても、生きていられる」とただ思った。それは、私が「私」という自らの運営者ではなくて、「生命」でしかないからだ。
「私」だという運営者に言わせれば、「どうやって? 自分で野菜を栽培したりして?」とか言い出すだろう。でも「生命」にはそのhowを議論すること自体がひどく見当違いに思える。必要のない作業に思えた。howなんてない、ただ、今を生きるだけなんだから。なるようになるだけだ。
生きる形にこだわりすぎなくていいんだろうと思う。ネットは、「欲しいもの」がいっぱいあるようにできているし、常に何かを欲しがっていないといけないようにできている。でもそれは、脳がいそがしいだけだ。報酬をちらつかせて地面に足がつかない。
「これができないと」「これが幸福だ」というのが嘘で、幻想を作ってその中でそれに届く届かないといって苦しむことができる。
他人はうわずみしか見ることができない。おそらく、私においても、うわずみしか知られていない。けれど私にももちろん上澄じゃない部分もある。上澄みじゃない部分も私だ。それゆえに研究をする。泥水をわざと選択してみようとするとき、それは泥水でなくなる。
ただ生きるだけでいい。自由に。
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