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Memorial Celebration Service

先日12年来の友人がなくなりました。

彼女と知り合ったのは、12年前の2008年、イタリアからNZに戻ってきて、下の子が幼稚園に通う頃に、教会のイベントで知り合った中国人友人が英語のレッスンを受けたいのだけど、その先生が人数が4人以上いないと引く受けてくれないので、一緒にやらない?とお誘いを受けて、私の家でやる事になりました。
参加したのは、私と日本人ママ友達、台湾人、中国人でした。
せっかく4名集めたのに、(理由は忘れてしまいました)結局その先生には断られてしまいました。そして中国人友人が教会の仲間でレッスンをしてくれるという人を見つけたと言って、連れてきた先生が、75歳のおばあちゃんでした。

彼女の名前は「J」イギリス出身で家族でNZに移民、結婚して旦那さんとは死別、色々な国で英語を教えてきたので、自分は異文化が大好き、若い人と話すのが大好きと言っていました。
髪の毛が真っ白で、とても陽気で元気なおばあちゃんでした。(当時75歳)

写真を見たり記憶を辿って、思い出してみると、レッスンは5年間位受けました。
その5年間はとても楽しかったです。
写真は12年前に撮影したのをプリントアウトしたのをいただきました。

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毎週火曜日の朝10時から12時までの2時間のレッスンで、最初の1時間はレッスンであとの1時間はモーニングタイム(雑談)でした。
Jはクリスチャンだったので、教科書変わりにバイブルの中からいくつかのストーリーを選んで冊子にして持ってきてくれました。
台湾人は、半分クリスチャンで半分仏教、中国人とJは同じ教会でクリスチャンでしたが、私とママ友はクリスチャンではないので、バイブルの中身は全然知りませんでした。
が、おかげで、その5年間のレッスンで英語とバイブルスタディもできて、とても興味深かったです。
実は私も幼稚園の時には、なぜかキリスト教の幼稚園に通っていたので、抵抗なくバイブルの話が聞けました。
外国では、宗教を持っていない人の方が、芯がなくてよろしくないと思われてしまうので、無宗教と言ってしまうと、いろいろな宗教からの勧誘がきます。未だにクリスチャンではないけれど、誘われた時には、お断りするために「神道」ですと言っています。

このレッスンで、英語以外に学んだ事は、5人バラバラの宗教を持つ人々が宗教の事について話し合ってはいけないという事。
私は、以前に「前世療法」という本を読んだ時にとても輪廻転生に共感を覚え、何か悩んでいる人(日本人)がいると、ことあるごとに、この話をしてきました。
ある時、レッスン中にその話になり私は自信をもって「輪廻転生」の素晴らしさを語ったら、クリスチャン2人の表情が怪訝になり、相当空気が重くなりました。
そうです、クリスチャンには、生まれ変わりはありません。
今の人生をまっとうしたら、その人はイエスキリストの側に行かれます。そのために、今人間の体を使って修行しています。イエスキリストの側に行くための修行です、だから、その後自分の魂がまた生まれ変わる事はないのです。
それを知らなかった、私は、この時に宗教によって話してはいけない事もあると痛感しました。

私は趣味でペーパークラフトをやっていました。誕生日カードを作ったり、箱を作って販売もしていました。
Jは、クリスマスやイースターになると私が作る小さなバッグにチョコが入っている商品を「ちょっと人にあげるには良いサイズなのよね」と言って毎回注文してくれました。

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ある日、レッスン中に、Jの左の薬指に小さなピンクの石が入った指輪が輝いていました!
私は驚いて、「え?J結婚するの?」と。
彼女は、まるで少女のように照れ臭そうに頬を染めて、
「先日プロポーズされたの」と言うではありませんか!
お付き合いしていた人がいたの?と聞くと、実は、私は16番目なの。
始めは意味不明でしたが、よくよく話を聞くと、同じ宗派だけど違う教会で知り合った男性にいきなりプロポーズされたらしくて、当時その男性は82歳だっと思うのですが、「人生の最後に1人きりは嫌だから誰かと一緒にいたい。だから独身女性にプロポーズをして、君が16人目だ」と言われたそうです。
Jは若い頃(多分36歳)に旦那さんを亡くしています。その旦那さんにはイマジナリーワイフ(空想の妻)がいたので子供は授からなかったと、なので、彼女は、男の子2人に女の子1人を養子にしています。その後にも、人助けで外国の子供を養子にしていたそうです。旦那さんが亡くなった後から、クリスチャンになったと言っていました。「教会は未亡人に優しかった」と彼女が何度も言っていたのを覚えています。

私たちは、他の生徒が帰宅したレッスン後に時々2人で引き続きお茶をしている事がありました。その時に彼女が、「今、私達夫婦セミナーに通っているのよ」と。
私が「へー、どんなセミナーなの?」と聞くと
「夜の生活」と驚きの発言をしたので、数秒間固まった自分がいました(笑)
「ええ?(その歳でも)やるの?」と聞いたら
「あら、やるわよ」と(驚)
という衝撃的な事もありました。(笑)

教会の中で内輪だけと言っていたので、Jの結婚式には参加しなかったけど、
2013年に旦那さんの地元へ引っ越しして4年間の結婚生活だったと思います。その4年間のうち、結構遠かったので彼女に会いに行ったのはほんの数回でした。

2017年、スーパーに買い物に行ったら、入り口にJが座っていました。
偶然の再会にびっくりしました!いつ戻ってきたの?と聞くと、先週よ、あなたにも連絡しようと思っていたのよ、と。
そこから、私たちの付き合いがまた始まりました。彼女の家は、私の家から車で5分先のところにある、素敵なホテルみたいな老人ホームに住んでいて、そこにはカフェも隣接しているので、毎月のようにお茶しに会いに行っていました。

今年はコロナの影響で、3月に会う約束がダメになり、やっとあえたのが7月の上旬、その時にロックダウン中に腿の骨を折ってしまい、入院していた、でも今はこんなに良くなったのよと、手術した腿の部分を見せてくれました!
87歳にしては、なんと治りが早いのでしょう、と思った位の傷跡でした。
誕生日の話にもなり、Jに誕生日はいつ?と聞いて2月26日と言っていたので、今まで知らなかったから来年は、忘れずにお祝いしよう、と心の中で思いました。

なんの疑いもなしに、また来月会いましょう!と8月14日と日程も決めて、別れてから、「あ、写真撮るの忘れた」と思ったが、また来月撮ればいいかと思いました。でも、これが最後になるとは本当に思いませんでした。

8月14日に会う約束をしていたのに、8月3日に「入院したので今週の木曜日はあえないわ」とメールが来ました。とても急いで打ってようなメールでした。
でも約束は来週の金曜日だったので「約束は来週の金曜日だから、また来週連絡するね。ゆっくり休んでお大事にしてください」と普通の返信をしました。
NZは8月11日からレベル3になり、プチロックダウン状態になったので、どっちみち会えないなと思いながら、13日に「もう大丈夫?退院しましたか?どのみちロックダウンで会えなくて残念だけど、終わったら是非会いに行くわ、次回会えるのを楽しみにしています、お大事にしてください」と送信したら、すぐに返信がきた。でも、そのアドレスを使って返信してきたのは娘さんの、Tだった。

あまりに突然すぎて、ショックすぎて、少し放心状態でした。

内容は、
「私は、ママのIpadからメールをしています。
ママが1週間近く入院して、あなたが入院中にも彼女に連絡を取ろうとしていた事を知っています。
ママは痛みも苦しみも何もなく、彼女の一番近い肉親達に看取られながら安らかに亡くなりました。
できれば4週間後に彼女のために大きなお祝いの追悼式を行うでしょう...
あなたのママへのまぎれもないケアと愛情をありがとう、彼女もあなたを愛していた!(所々は意訳)」

I have literally just sent you an email from Mums’ IPad
I needed to let you know that sadly my lovely mum has passed away... she was in the hospital for nearly a week (I know you were trying to keep in touch with her the whole time).
She died peacefully through with no pain or horrible interventions or anything, and she had all of her immediate family with her.
We will have a big celebration memorial service for her in hopefully about 4 weeks time...
Thank you for your obvious care and affection to mum, she loved you too!
Kind regards
T

【私もあまり使った事がない、言い回しがありました、上記の英文の説明は次回の記事に書きたいと思います。】

追悼式は、始め4週間後と言っていましたが、ロックダウンの影響で、10月10日に行う事になりまして、昨日行ってきました。
NZヘラルドにも、登載されていました。これもいつまで載っているのか分からないのですが。

NZに20年も住んでいるのに追悼式というのに、初めて参加しました。
NZで、私の友人知人がお亡くなりになったのも初めてのことでした。
何を持参したらいいのかよく分からなくて、娘さんのTを始め色々な友人にも聞きました。
服装は、カジュアルでOK、喪服みたいに真っ黒じゃなくても良いそうです。
お香典はいらない。
とのことだったので、私は、黒のワンピースに薄いピンクのスカーフを巻いて。
花瓶に素敵にアレンジメントされている白じゃなくて薄いピンクのガーベラと胡蝶蘭の組み合わせの花を購入しました。
そして、手作りのお悔やみカード。

1時半からの式で10分前に到着。もうたくさんの人がいました。
服装も、カラフルまでとは言わないですが、比較的普段着ぽい人が多いです。
娘のTさん(多分55歳位)は、紫のカーディガンに、ラインストーンがついててキラキラしていました。スカートも黒のふわふわのミニスカートでヒールもサテンの紫のピンヒールでした!
お花は受付の人に渡して、娘さんのTを見つけて、声をかけにいきましたが、彼女の顔をみるなり涙が溢れてしまい、上手くお悔やみを言えず、カードを渡した。
彼女の友人らが、泣く私をみて、自分たちの隣においでと誘ってくれましたが、丁寧にお断りをして、一緒に生徒だったママ友を待ち、彼女がきたら一緒に座りました。
お隣にいた方に、Jの死因をお伺いしたら、朝起きてめまいがして倒れてしまい、その後も気分が悪いままが続き、入院してそのままお亡くなりになったとの事でした。もしかしたら、めまいで倒れた時に、頭を打ってしまったのかな?と思いました。

メモリアルサービスは、最初に娘のTさんが、Jの今までの人生と思い出を語り、続いて息子さん達、お孫さん、そのあと何人かの方がJの思い出を語り、所々で皆で歌を合唱しました。
Jには、お孫さん8人のひ孫さんが8人もいるそうです。
仲は良かったと思ったけど、結構Jの若い頃の時のは知らなくて、スライドショウを見て、そういう人生だったのね、と分かったのがまた嬉しくもあり悲しくもありました。
実は、このメモリアルサービスの進行も、オーガナイズ好きなJは、亡くなる前にこのようにして、と計画を立てていたと言うから、驚きです。
彼女のいろいろなエピソードが知れて、うれしかったです。

サービスは、1時半から3時半まで行い、その後にアフタヌーンティーがあり、皆さん彼女の思い出を話をしていました。
私たちも、隣り合わせになった方々と、Jとはいつから知り合い?とかJとの出会いは?などの話をしました。

今も、これを書きながら所々で涙が出ますが、お葬式とか追悼式は残された人のためにあるとしみじみ思います。

これで私もちゃんとJにサヨナラできたかな、と思います。


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