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アミクとカンズのクラシック音楽の旅【9】〜モーツァルト~

松田 亜有子「クラシック音楽全史ビジネスに効く世界の教養」を参考にしております。

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Q:Quinze(カンズ)さん

A:Amique(アミク)さん

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Quinze(カンズ)さんとAmique(アミク)さんは最近バーで知り合った友達。Amique(アミク)さんがクラシック音楽を教える大教授であることから、彼から色々クラシック音楽について教わるQuinze(カンズ)。今日もバーで出会う。

A:やあ!今日はモーツァルトの日ですよ。

Q:モーツァルトは、知ってるで(笑)

A:例えば?…

Q:え、えーと。「魔王」?

A:それ、シューベルト(汗)

Q:あ…じゃあ、モーツァルトは何が有名なの?

A:まあ、焦らずに、少しずつ彼の人生を追っていこうよ。彼はハイドンが認めた、早熟な天才だった。モーツァルトは36歳で亡くなったんだけれど、ハイドンはそれで数日間何もできなかったと言っている。

Q:天才…といっても、努力家なんやろ?

A:そうだね。有名になってからも、かなり悪烈な環境の中で、演奏旅行をしていたんだ。毎日、移動、レッスン、作曲、演奏で朝6時から夜1時までびっしりと仕事をしていた。そんな環境を可能にしたのも、その天才ぶりに商機を見出した父の存在が大きい。

Q:なるほど。大変な少年時代だ。

A:まあ、でもそういう強い拘束があったからか、モーツァルトは自由を求めるんだ。彼は、恋を求めて、フリーランスの音楽家になり、恋人とともに独立した。お父さんが反対していたからね。

Q:なぜだい?

A:まあ…なぜだろうね。彼女は後世にも「悪妻」と呼ばれているんだよ。

コンスタンツェの「罪状」についてはさまざまなことが言われてきた。モーツァルトの才能を理解できず、その享楽的な暮らしぶりに拍車をかけた末に家計を火の車に陥れ、彼が早世する原因を作った。しかもロクな葬式を上げてやらず、共同墓穴に葬ったため、遺体は永久に行方不明になってしまった。
さらに夫が亡くなった後は、彼の残した直筆譜を楽譜出版社に売りさばいて巨万の富を成したうえに、こんどはデンマークの外交官と再婚し、やがて宮廷顧問官夫人とさえ名乗るまでにいたった。挙句の果てには、生前仲の悪かった舅(つまりモーツァルトの父親であるレオポルト)の墓所を乗っ取り、そこに再婚相手と自分の墓を立てた。

Q:自由を求めるモーツァルトと、自由すぎる妻。

A:まあ、彼は晩年一文無しになってしまってもいてね。

Q:この天才は、金融リテラシーがなかった。

A:そうみたいだね。今日は結構早く終わったね。僕らのクラシック音楽講義も、もう中盤まで迫ってきたよ!少しは、クラシック音楽について詳しくなってきたかい?

Q:おかげさまでね!またもっと教えてね。楽器の名前とか、音楽の鑑賞法とか、まだまだ学ぶべきことが多い!

A:ゆっくり学んでいこうじゃないか。

(続く)

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