24歳 社会人2年目での学び vol.1
2019年、9月から1ヶ月半、会社を休んだ。
働くことは、楽しかった。
バリバリ残業して、お金をもらって、
期待されるほど認められてる気がして
「どこにでもいる女じゃない」と、きっと周りに見せつけていたかった。
新卒で7月に配属後、そんな風に全力で1年間駆け抜けた。
頑張れることが当たり前で、私のアイデンティティだった。
周りに差をつけて、どこまでも器用に。
ただただ盲目に走り続けて、残業が100時間を超え始めて、それでも仕事は楽しくて、
やりたい仕事を、やりたい人と、やりたいようにできる幸せが、私を無意識に蝕んでいた。
入社2年目の6月、自分がメイン担当をした案件があった。
それまでもたくさん苦労はあった、仕事が終わることはなく余るばかりで、いつまでたっても人材不足の弊社には、頼りどころなどなかった。
自分が頑張るしかなかった。
自分がメインで進めた案件は、今までの仕事が比にならないくらい大変だった。
全てのメールが私宛にきて、夜中や休日も鳴る社用携帯、
心配性のわたしはなるべくその日のうちに出来ることは片付けようと、一生懸命働いた。
終電で同期と帰れたりすることが息抜きだったりした。
みんなも一緒、わたしは特別なんかじゃないと
そう思えることで安心した。
次の日の仕事のことが心配で眠れない毎日が続いた。
気がついたら勝手に涙が出てくることも日常茶飯事だった。
その時は自分が仕事をやりきれていない悔し涙とかだと思っていたけど、ただ身体が悲鳴をあげているだけだった。
夜眠れない。動悸が止まらない。
涙が出てくる。朝起きれない。抜毛症。
そんな症状が2年目になってから次々と出始めた。
気がついたら、身体が動かなかった。
自律神経失調症、軽いうつ状態になった。
それでもどうにか、自分の案件を納品することを優先して、精神科に行って薬をもらって過ごした。
ドーピングしてでも、自分でちゃんとやりきりたかった。上司にもそう伝えて、無理やりでも進めさせてもらった。今でも後悔はしていない。
大丈夫、わたしは出来てる、
そう言い聞かせてどうにか最後までやりきることができた。
責任感が強い私にとってはとてもヘビーな案件だったけど、やりきることができて安心した。
やっぱり、私に出来た、ほらみろ
そう思った。
案件が無事に終わって、やっと解放される。
そのはずで、7月8月はそこそこ休みをとって遊んだ。
見れなかった映画をDVDで借りたり、
行きたかったカフェに行くことができた。
だけど、気がついた時にはそんなことでリフレッシュできるような身体ではなくなってしまっていた。
8月頃働くたびに、
熱っぽさ、頭痛、だるさに悩まされるようになった。
熱を測ると37度を超えるような微熱が毎日続いていた。夜の動悸、朝の頭痛、休んでいるはずなのにちっとも回復できないことにイライラした。
低気圧のせいかもしれない
生理前だからPMSかな?
内科や産婦人科、いろんな病院の診察券を増やしながら、原因が分からない体調不良に悩まされた。
恋人が少し前までうつ病だった。
彼に精神科に行くよう勧められた。会社を休むよう諭された。
10月11月の納品に向けて、また私の案件が始まっている。ここで休むわけにはいかない。
そう思ってまた薬を飲んで働くつもりでいた。
だけど、結果的に1ヶ月半、私は会社を休むことになった。
最初は2週間、治らなくてさらに1ヶ月、
会社に診断書を提出した。
私が会社を休もうと思った理由は、
今休まなかったら、きっと半年〜1年以内にこの仕事を辞めてしまうと思ったから。続けられなくなる、と言ったほうが正しいかもしれない。
現にうちの会社は、精神科に通っている先輩が多い。みんな過労からくるストレスが原因だろう。3年以内の離職率も高く、中途採用の社員も大勢いる。
仮にも私は、この会社で出来ることがあると思って新卒で入社をした。そんな私が、仕事に潰れて来年には会社にいないなんてもったいなくない??、と思った。
来年消えてしまう前に、今少しの間消えてしまおう。
そういう消去法で、休むことを決めた。
全てのことを放り出した。それを良しとしてくれる素敵で寛大で偉大な先輩たちに囲まれていたことはとても幸運だったし、いい会社だとつくづく思う。
続く
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