フェミニスト対応について(中編)

今回、私はゆい氏の「イースト駅前クリニック広告批判」への反論で失敗したわけですが、そのおかげでその論戦の立ち上がりから観察することができました。
その観察結果が「もしかしたらこれが有効な作戦かもしれない」と思うに至りました。

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1.反論によってもたらされたもの

10月1日
ゆい氏が最初にイーズト駅前クリニックの広告に関して「ふざけんな」等と写真付きでツイート。
その日のうちに「港区へ問い合わせたらよいのかな」ともツイート。

10月14日
港区担当者からの回答があったと、回答内容とともにツイート。

10月15日
青識亜論氏が港区に問い合わせて、港区の担当者が「看過できない」としたのは、ゆい氏は「広告の意匠」と主張するが、青識亜論氏にもたらされた回答によれば「無届」という事実についてではないかとの疑惑が持ち上がる。

10月17日
ゆい氏が港区広告物条例を深掘りし、自分なりの解釈やガイドラインとの関連付けを行う。
さらに、英国やスイスでの広告規制について紹介(英国やスイスで広告規制があるからと言って、それが直ちにイースト広告が不適正であるという法的根拠にはならないが、イースト広告が不適切であるとの自論を補強したくて紹介したと思われる)。

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2.この経緯からの推測

この経緯から推測されることですが、もしも最初のツイート(イースト駅前クリニック広告写真付きのふざけんなとのツイート)が行われた段階で誰も反論しなかったら、彼女(彼かもしれないが)はここまで執拗に行動を起こしていただろうかと私は思いました。

最初のツイートから港区の回答ツイートまで約2週間。
ゆい氏が港区にいつ問い合わせたのかがわからないので、ツイートへの反論と港区問合せとの関連があるとまでは言えませんが、青識亜論氏に「回答の恣意的解釈」を指摘されてからは執拗に自己正当性を補強するツイートが見られます。

一説によれば司法試験合格を目指しているとされる方が、次の試験までの間に合格に直結しない時間の使い方を、強い動機もなくするのだろうか?
そう考えた場合、彼女のツイートに反論すればするほど彼女自身が正当性主張のための行動を起こしていく可能性が高いのではないでしょうか。

もしも最初のツイートを批判しなければ、区役所への確認もなく、確認がなければ広告会社に対する連絡もなく、広告会社が内容変更の検討をする必要がなかったのではないかと思うのです。
すでに起きてしまったことにタラ・レバを言っても仕方ないですが、ゆい氏の行動や反論者の行動を順序だててみていった場合、批判者の行動を過激化させているのは批判者への反論や論破の可能性がある
今回の騒動で私はこのような仮説を立てるに至りました。

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3.自己肯定感との関係

ツイフェミと呼ばれる人たちは、自己肯定感の低さと男性や家庭への未練から攻撃的になっていると私は考えています。
彼女たちがTwitterに男叩きや性的魅力否定の意見表明をするのは、同じ思想を持つ人からの共感や賞賛がほしいからであって、それを得て満足すれば彼女たちの目的は一定程度果たされます。
ところが、そのツイートに対して反論が寄せられれば、それは彼女の否定と同一であり自己肯定感や承認欲求は満たされません。
それら反論を屈服させなければ、彼女たちはいつまでも自己肯定感の低さに悩まされます。
だとすれば、反論しないことが彼女たちの行動を抑制し、社会構造を利用した弱いものイジメを引き起こさないことにつながるのではないかと思います。

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4.批判しなければボヤで終わるかも

以上の推測から私が考える「フェミニストに商業活動やPR活動を邪魔させない方法」は、

彼女らに通知される形で批判・反論しない

というやり方になります。
リツイートや返信で彼女らの主張の穴や論理破綻をつけば、彼女らの自己肯定感の低さはいつまでたっても解消されず、むしろ「間違いの指摘」は自己肯定感の低さを強化する方向に感じられてしまいます。
それには耐えられないから、反論に反論する。
行動力のある方は「結果という勝利」を求めて行動してしまう。
彼女らのフェミニズム主張の動機は「社会をよくする」という美辞麗句にかこつけて、自分を不幸にした何か(またはその何かと同じ属性の者)への復讐であると同時に自己肯定感の低さの解消です。
もしもツイッターで発表した自論にたくさんの共感が集まれば自己肯定感の低さはある程度解消されて彼らは満足するのに、徹底的に論破されて論戦で勝利する見込みがないとなると自己肯定感の低さが解消されないどころか自己肯定感の低さが強化されてしまい、論戦での勝利ではなく「復讐の結果」を求めてしまう。
イースト駅前クリニック広告の件では、ゆい氏の役場への問い合わせによって広告会社が変更を検討することになりましたが、そのことをツイフェミ側は「主張が正しかったから」だと捉えている節があります。
実際には「面倒なクレームからクライアントを守るための弱者の選択」であったにも関わらず。

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5.あおり運転との類似性

「議論」というのは、最大多数の最大幸福を導き出す「多数決」の場ではそれなりに効果があると思います。
たくさんの人に議論を見てもらい、「こっちのほうが良さそうだな」という気持ちを投票行動につなげってもらう。
そういうダイレクト感の薄い、薄く広く訴えかける効果はあるかもしれませんが、反対の意見を持つ者の意見を変えることはほぼ不可能ではないでしょうか。
もしも、議論によって相手の考えが変わるのであれば、無謀運転やあおり運転をする人は発生しません。
これだけあおり運転が批判されて逮捕者も出ているのにそれでもあおり運転をするような人は「あおり対象が〇〇だから腹が立ってやり返した」というような、エセ正当防衛理論を振りかざし、自分自身にも正当性を言い聞かせています。

それと同様に、自分の中の劣等感のようなものを解消するために他人を攻撃するツイフェミ達が、劣等感を持った状態で批判を浴びせられても解消法を捨てるとは考えられません。
彼女たちのフェミニズムは、あおり運転者が使う「エセ正当防衛論」と同じ性質のものだからです。



つづく