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長谷川町子(1920.1.30-1992.5.27)『長谷川町子 別冊太陽 日本のこころ 289』平凡社 2021年6月刊 168ページ  Oscar Peterson (1925.8.15-2007.12.23) "'Round Midnight" (1963.11.10)  日記 2021年7月23日 将棋王位戦 第62期 七番勝負 第三局  笹生那実(1955.5.27- )『薔薇はシュラバで生まれる 70年代少女漫画アシスタント』  読書メーター マンガの本棚 遡及登録  庭のニラバナとノイチゴ

庭のニラバナとノイチゴ
2021年3月17日撮影

日記
2021年7月23日
午前1時35分起床
体重56.1kg BMI 20.9
スクワット100回 懸垂7回
室温28.3度 湿度57%

今日 2021年7月23日は
旧暦 2021年6月14日です。
窓から南の低い空に丸い月が見えました。
https://www.calc-site.com/search_dates/7/23/2021

昨日は、この夏[2021]で一番暑い、
室温32.4度になりました。

糸島市天気・最低最高気温予報
本日7月23日午前5時 晴れ 25.2度 最高気温 午後2時 34.1度
明日7月24日午前4時 晴れ 25.0度 最高気温 午後0時 36.1度!
https://tenki.jp/forecast/9/43/8210/40230/1hour.html

2021年7月21・22日
将棋
王位戦 第62期 七番勝負
第三局 兵庫県神戸市有馬温泉「中の坊瑞苑」
先手 藤井聡太王位・棋聖(2002年7月19日生まれ・19歳
   タイトル獲得3期)
後手 豊島将之竜王・叡王(1990年4月30日生まれ・31歳
   タイトル獲得5期 棋聖・王位・名人)
結果・棋譜
https://www.youtube.com/watch?v=2CXhBPJjkEA

昼食
https://hochi.news/articles/20210721-OHT1T51085.html
一日目
藤井聡太王位「三田牛と淡路玉葱焼き膳」(左)、
豊島将之竜王「国産うな重膳」

https://hochi.news/articles/20210722-OHT1T51068.html
二日目
藤井聡太王位「冷やしうどん膳」(左)、
豊島将之竜王「神戸牛肉うどん膳」

https://hochi.news/articles/20210721-OHT1T51085.html
https://hochi.news/articles/20210722-OHT1T51068.html

 


https://diamond.jp/articles/-/277302

ダイアモンドオンライン 2021.7.22 4:40
窪田順生 小山田圭吾氏を「引きずり下ろした」政府が隠したい、日本のいじめの不都合な真実
「小山田氏のような振る舞いを「悪」だと断罪しなければ、かつての小山田氏のように、いじめを娯楽として楽しんでいるような子どもに、「炎上しても、この人みたいに謝罪すりゃ、どうにかなるのね」と誤った認識を与えてしまう恐れもある。そして、 インテリたちがしたり顔で言う「いじめは良くないけど、だからと言って、いじめっ子に罰を与えるのもどうかと思う」という傍観者丸出しのコメントは、現在進行形でいじめを受けている子どもたちに、「結局、いじめる側にまわった方が得じゃん」と感じさせて、生きることに「絶望」をさせている。
 61万2496件という過去最多の「いじめ認知件数」(2019年度)となったのは、日本の大人たちがいつまでも「いじめの傍観者」から抜け出せていないことも大きい。今回の小山田氏の炎上騒動は、このような日本の現実を見事に浮かび上がらせた。そのような意味では、筆者は小山田氏が五輪に関わってくれてよかったと思っている。五輪の音楽担当者になったからこそ、一部でしか知られていなかった小山田氏の過去が注目をされたのである。逆に言えば、五輪の仕事を引き受けなかったら、今も小山田氏は批判されることもなく、こういう事実があったことさえ一般国民にはわからなかった。これこそが今回の五輪の「レガシー」ではないか。
 他にもここまで様々な問題が噴出したが、どれも実は日本社会がかねてから抱えていた問題だ。五輪によってあぶり出されたそのような「醜悪な現実」から目を背けるのではなく、真摯に受け止めて、おかしなことをおかしいと声をあげていく。「がんばれ、ニッポン!」と叫んで、メダルの数が増えた減ったと大騒ぎをするよりも、こちらの方が、よほど「日本のため」になるだろう。」

 

笹生那実(1955.5.27- )

笹生那実さんインタビュー#1 2021.7.21
https://bunshun.jp/articles/-/47101
美内すずえ、くらもちふさこ、山岸涼子…
 元アシスタントが“少女漫画”のレジェンドと過ごした“青春”

https://bunshun.jp/articles/-/47102
笹生那実さんインタビュー#2
「夫の新田たつおは、さっさと描いて人気もある。やる気なくします…」
出産で漫画家を引退した60代の笹生那実が、20歳の自分にかけたい言葉

https://bunshun.jp/articles/-/47103
『薔薇はシュラバで生まれる
 70年代少女漫画アシスタント奮闘記』
イースト・プレス 200.2
https://www.amazon.co.jp/dp/4781618553
第1章 p.1-37
「美内さんが近くのカンヅメ旅館にいるから会って行く?」
アシスタントが見た、名作漫画が生まれる“シュラバ”のリアル

 

サンキュ!
https://39mag.benesse.ne.jp/housework/content/?id=106271
和風トマトマリネ

https://39mag.benesse.ne.jp/lifestyle/content/?id=106265
無印良品
ナン 200g 四枚分 190円
ガパオ 70g 二人前 290円

https://39mag.benesse.ne.jp/lifestyle/content/?id=106270
コストコ フリーズドライ醤油

 

Oscar Peterson (1925.8.15-2007.12.23)
"'Round Midnight" (1963.11.10)
https://www.youtube.com/watch?v=N2fdqEJyCwA
Oscar Peterson and Nelson Riddle (1963)
Recorded November 8, 10, 1963
Radio Recorders Studio, Los Angeles, California
Oscar Peterson - piano
Nelson Riddle - arranger, conductor
https://www.amazon.co.jp//dp/B001NHZ2O8

https://en.wikipedia.org/wiki/Oscar_Peterson_and_Nelson_Riddle

https://www.jazzdisco.org/oscar-peterson/discography/#631108

オスカー・ピーターソン(1925.8.15-2007.12.23)の名前は
ジャズを聴き始めた高校生の頃(1970-72)から知っていましたけど、
アルバムを買ったことはありません。
私のパソコンのウィンドウズメディアプレイヤーには、
2004年11月うつ病発症休職以降に
福岡市総合図書館から借りた
CD2枚
We Get Requests (1964.10)
Oscar in Paris (1996.6.25)
から22曲収納してあります。
この「ラウンド・ミッドナイト」の演奏は
https://en.wikipedia.org/wiki/'Round_Midnight_(song)
で知って、ユーチューブで初めて聴きました。

https://www.amazon.co.jp//dp/B001NHZ2O8

https://www.youtube.com/playlist?list=PLvhRA7tXhe_Y5-YOt_LYS6fvv-T-La46L

Oscar Peterson and Nelson Riddle (1963)
"My Foolish Heart" (Ned Washington, Victor Young) – 5:00
"Judy" (Hoagy Carmichael, Sammy Lerner) – 3:39
"'Round Midnight" (Thelonious Monk) – 4:08
"Some Day My Prince Will Come" (Frank Churchill, Larry Morey) – 2:52
"Come Sunday" (Duke Ellington) – 3:24
"Nightingale" (Oscar Peterson) – 4:13
"My Ship" (Ira Gershwin, Kurt Weill) – 5:42
"A Sleepin' Bee" (Harold Arlen, Truman Capote) – 3:43
"Portrait of Jenny" (Gordon Burdge, J. Russel Robinson) – 4:28
"Goodbye" (Gordon Jenkins) – 4:05


https://bookmeter.com/users/32140/bookcases
読書メーター
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遡及登録
うえやまとち(165冊)
萩尾望都(159冊)
いしいひさいち(151冊) 
吉田秋生(126冊)
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よしながふみ(79冊) 
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谷口ジロー(72冊)
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大島弓子(41冊) 
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浦沢直樹(37冊)
重野なおき(37冊) 
川原泉(37冊)
古谷三敏(36冊)
石黒正数(29冊) 
清原なつの(29冊)
森脇真末味(28冊)
久住昌之(27冊)
佐藤史生(26冊) 
倉多江美(12冊) 
内田善美(9冊)

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本棚一覧 1842
カスタム順 → 冊数が多い順 をクリックして、
ご笑覧いただけましたら、幸甚と存じます。

読書メーターの本棚は、
読書メーター利用開始後(2009年9月以降)に読んだ本の
著者を全員作成しています。
読んだ本を後から確認できるようにするための
著者名索引としてです。
丸谷才一(1925-2012)と
小林信彦(1932- )と
和田誠(1936-2019)と
ディック・フランシス(1920-2010)と
ギャビン・ライアル(1932-2003)
他何人かは昔読んだものも全部登録しました。
読書メーター本棚機能を利用して読んだ本の
著者名索引を作成しているのは、
元大学図書館員目録屋の職業病・後遺症なのでしょう。


https://www.heibonsha.co.jp/book/b572976.html
https://www.heibonsha.co.jp/book/b572976.html

長谷川町子(1920.1.30-1992.5.27)
『長谷川町子 別冊太陽
 日本のこころ 289』
平凡社 2021年6月刊
168ページ
https://www.heibonsha.co.jp/book/b572976.html

https://www.amazon.co.jp/dp/4582922899

「日本初の女性漫画家としての生涯をたどるとともに、
『サザエさん』など代表作をはじめ、知られざるマンガや絵本、
エッセイ、識者による解説などを盛り込んだ待望の決定愛蔵版。」

https://www.fujisan.co.jp/product/1281683206/b/2145364/
姉妹社版[サザエさん]表紙原画ギャラリー 峯崎ノリテル
昭和を描いた国民的漫画家 長谷川町子 橋本野乃子
長谷川町子の助走 サザエさんを生んだ時間と空間  有馬 学
町子の仕事1
橋本野乃子
相澤弘子
斎藤菜生子
新時代の到来を予感させたニュー・ヒロイン サザエさん
戦後まもなく
昭和20年代 GHQ占領下から復権までの道のり
昭和30年代 スピードと能率が重視された時代
昭和40年代 豊かさの代償
今、再評価される二つの代表作1 
エプロンおばさん
今、再評価される二つの代表作2
いじわるばあさん
町子の仕事2
相澤弘子
斎藤菜生子
町子の歌舞伎愛が詰まった
町子かぶき迷作集
楽しんで描いた念願のマゲモノ
新やじきた道中記
モノクロからカラーの世界へ
町子の絵本
ユーモアとペーソスに満ちた晩年の傑作
サザエさんうちあけ話
サザエさん旅あるき
長谷川町子記念館フロアガイド8
町子先生の作品には未来へのメッセージが込められている 川口淳二
長谷川町子略年譜
寄稿
漫画史における長谷川町子 片倉義夫
長谷川町子の戦中戦後 夏目房之介
長谷川町子作画の秘密 橋本野乃子
1三枚の原画は研鑽の証し
2悩みぬいて笑いが生まれる
3町子の漫画力 「シルエット」「サイレント」「視覚効果」
machiko's essay
1画家の視点で描かれた歌舞伎 松井今朝子
2「サザエさん」は今でもテレビで毎週見ています 黒澤和子
町子の好きなもの
1海外旅行
2眼鏡
3陶人形作り

https://www.heibonsha.co.jp/book/b572976.html
https://www.heibonsha.co.jp/book/b572976.html
https://www.heibonsha.co.jp/book/b572976.html
https://www.heibonsha.co.jp/book/b572976.html
https://www.heibonsha.co.jp/book/b572976.html
https://www.heibonsha.co.jp/book/b572976.html
https://www.heibonsha.co.jp/book/b572976.html
https://www.heibonsha.co.jp/book/b572976.html
https://www.heibonsha.co.jp/book/b572976.html

長谷川町子さん(1920.1.30-1992.5.27)の
『サザエさん』は、
姉妹社版全68巻(全部古書店で購入)と
朝日新聞社版全45巻(文庫本 1994-1996 新刊で購入)
が我が家にあります。

1955年生まれの私は朝日新聞朝刊連載(1951-1974)を、
子供の頃から毎日読んでました。成人・結婚してからの、
『サザエさんうちあけ話』(朝日新聞日曜版1978年連載)、
『サザエさん旅あるき』(1985年連載)
も、毎週、愉しみにしていました。

『似たもの一家』(「週刊朝日』1949年連載)、
『新やじきた同中記』(1951-52)、
『エプロンおばさん』(『サンデー毎日』1957-1965年連載)、
『いじわるばあさん』(1966-1971)
も持ってますけど、雑誌掲載を見たことはありません。

巻末「長谷川町子略年譜」p.164-167 に、
「短編漫画「サザエさん」
『主婦之友』1951年1月掲載、
『少女クラブ』1954-55年連載、
『婦人倶楽部』1956年連載、
『若い女性』1957-59年連載」
と記載されています。

姉妹社版『別冊サザエさん』NO.1-3 に
収録されている作品なのかなぁ?

「1963年12月 43歳
 姉・鞠子とケンカして家出するが、
力道山の死を知って帰宅」
p.166

ググってみたら、この記載の典拠は、
『サザエさんうちあけ話』
姉妹社 1979
ですが、
A5版 128ページを読み直して探す気力が、
今は、ありません。

https://ja.wikipedia.org/wiki/長谷川町子
「朝刊で力道山の急死を知り、その影響か
もう一度自分の人生を思い直し帰宅する。
その出来事が自分の人生のターニングポイント
だったと述懐している」

知りませんでした。
『サザエさんうちあけ話』で
読んだのでしょうけど、
憶えていません。

峯崎ノリテル
「姉妹社版[サザエさん]表紙原画ギャラリー
 1948-1980」
p.2-17
「『サザエさん』シリーズの単行本は
長谷川家の三姉妹によって設立された
姉妹社から30年以上にわたり刊行された。
全68巻の表紙はいずれも4コマ漫画の制約から解き放たれ
細部まで凝りに凝った描き込み、繊細な色使い、斬新な構図、
思わず吹き出すような遊び心に満ちあふれた一枚絵だ。」
p.2

全部、何度も手にして見ている表紙絵ですけど、
改めてじっくり眺めてしまいます。
凄いなぁ。

姉妹社単行本の奥付には、
刊行年月日も増刷発行年月日も、
一切記載されていませんけど、
33年間で68冊ですから、年二冊以上も、
こんな「凝りに凝った」
表紙絵を描いていたんですねぇ。

そして、『サザエさん』シリーズの他にも、
『似たもの一家』、
『新やじきた同中記』、
『町子かぶき迷作集』、
『エプロンおばさん』、
『いじわるばあさん』等の表紙絵も!

相澤弘子
「町子の絵本
 モノクロからカラーの世界へ」
p.136-146
「新聞連載というモノクロの世界で仕事をしていた町子には、
子どもたちのために絵本を描きたいという夢があった。
戦中・戦後、そして「サザエさん」連載終了後に手がけた絵本からは、
町子の豊かな色彩感覚や自由でのびのびとした表現力、
子どもたちへの温かい眼差しが見えてくる。」
p.16

1950年代に姉妹社絵本『サザエさんとおまつり』他9冊、
1976年代後半に『サザエさんえほん タラちゃんとおやつ』他9冊、
が刊行されていたなんて知りませんでした。
後者は福岡市総合図書館にありますから、読んでみたいです。

橋本野乃子(長谷川町子美術館副館長・学芸部長)
「昭和を描いた国民的漫画家 長谷川町子
 04 「登場人物の名前は百道海岸で」
 サザエさんの誕生

『サザエさん』は、
「[1946年4月8日創刊]
『夕刊フクニチ』1946年4月22日から連載。
その後、
『夕刊北海タイムス』
『新夕刊』[東京]を経て、
『夕刊朝日新聞』の創刊と同時に、
1949年12月1日から再び連載が始まり、
「サザエさん」は全国区となった。その後、
『朝日新聞』朝刊へと掲載の場を移し、
1974年2月21日まで続く。」
p.61

「新時代の到来を予感させたニュー・ヒロイン
 サザエさん」
「当時の日本はマッカーサーの民主化政策のもと、情報の独占を許さない
とする観点から、朝刊を出している会社が夕刊を出すことは禁止された。
それにより、全国に新しい新聞社が設立し、夕刊が発行された。
町子が住む福岡でも、
西日本新聞社
[『福岡日日新聞』と『九州日報』が統合して1942年8月10日創刊]
の援助を受け、新しい夕刊紙
『夕刊フクニチ』が1946年4月8日に誕生した。
当時の新聞は新聞のサイズこそ現在と同じだが、
まだ用紙が不足していたこともあり、
たった一枚の二頁の紙面であった。
新聞の目玉になるような漫画家が欲しい
ということで白羽の矢が立った
長谷川町子は連載を百回と限って引き受けた。

[「サザエさん」]が読者の共感を呼んだのだろう。
『夕刊フクニチ』は用紙の都合で当時七万部しか
印刷できなかったのに、購読申し込みは十万部に達した。」
p.35-36

「約束の百回を目前にして、町子[1920.1.30-1992.5.27]は
もう百回の連載を夕刊フクニチ新聞社から依頼されるも、
『夕刊フクニチ』1946年8月22日掲載[単行本未収録]で連載を中断。
休載中に家族で上京。
波平の転勤を理由に磯野家を東京に引越させ、
漫画の舞台も九州から東京に移す。
町子が住む世田谷周辺の様子が漫画の中に投影されていく。

よく描かれたのが、路面電車に乗る風景だ。
明治四十(1907)年、多摩川の砂利輸送を目的として開通した
玉電(玉川電気鉄道、ジャリ電とも呼ばれていた)は、
渋谷~玉川間を五区間に分け走っていた。
戦後も人々の足となり活躍したが、
昭和三十年代からマイカーが普及し道路が整備されていくと、
ジャマ電とまで揶揄されるようになり、
昭和四十四(1969)年に廃止された。」
p.66-67
橋本野乃子
(長谷川町子美術館副館長・学芸部長)
「新時代の到来を予感させたニュー・ヒロイン
 サザエさん 戦後まもなく」

小学生~中学生の頃(1963-69)、
ボーイスカウト東京122団
(世田谷区赤堤・カトリック赤堤教会内
 現在は、東京連盟世田谷第9団)
https://www.scout.or.jp/tokyo/setagaya9/
に参加していた
1955年1月生まれの私は、
京王線下高井戸駅~玉電松原駅間に何度も乗りました。

1978年5月に結婚して
世田谷区松原(四畳半二間風呂無し)で暮らし始める時に、
婚姻届を区役所へ出すため
下高井戸駅から松陰神社前駅まで乗ったのが最後ですけど、
当時はもう東急世田谷線になっていました。

『小説新潮』2019年5月号連載開始、
著者急逝で未完結な、
坪内祐三(1958.5.8-2020.1.13)
『玉電松原物語』新潮社 2020.10
https://www.amazon.co.jp/dp/4104281050
を読みたいなぁ、と思いながら、
もう一年経ってしまいました。

橋本野乃子(長谷川町子美術館副館長・学芸部長)
「新時代の到来を予感させたニュー・ヒロイン
 サザエさん
戦後まもなく「連載漫画「サザエさん」は、
連載当初からしばらくの間、吹き出しは全てカタカナで
記載されていた。これは、戦前からの日本の教育体制が、
小学校で真っ先に教えるのはカタカナだったことに由来する。
当時はカタカナの方が直線的で小さな子どもでも書きやすいから
という理由であったが、戦後になって日本を占領していた
連合国の指示により、昭和二十二年(1947)から
「ひらがな優先」の教科書が採用された、
これにより、「サザエさん」の連載も、カタカナからひらがなへ
移行していくようになる。
同年[1947年]五月八日の「サザエさん」
[単行本未収録。
第2巻は1947年5月1日まで、
第3巻は1947年10月25日からを収録]
には、角隠しに黒の引き振袖姿のサザエが、
迎えにきた車に乗り込むシーンが描かれた。
突然のサザエのお嫁入り。

「ト、ユウワケデ サザエサンモコレデオシマイ ナガイアイダ
 ゴヒイキイタダキマシテ アリガトウゴザイマシタ サヨナラ」
の吹き出し。これが、カタカナで描かれた「サザエさん」の
最後の四コマであり、連載の最終回となるはずであった。」
p.67

1951年4月16日~1974年2月20日
『朝日新聞』連載「サザエさん」を、
1955年生まれの私は、物心のついた頃から大学生まで、
毎日、読んでましたけど、私が生まれる前、
「戦後まもなく」のサザエさんがカタカナだった、
なんてまったく知りませんでした。

図版「ふかし芋を頬張りつつ登場した国民的ヒロイン 
[『夕刊フクニチ』連載]
第1回に掲載された漫画を単行本化するにあたり描き直したもの。
吹き出しの文字がカタカナからひらがなに」
p.62

この原稿は、1947年初版(B5判横綴じ、大半返本)なのでしょうか。
1947年4月判型変更B6判縦型再発行(一ヵ月で17万部)では
そのままだったのかなぁ

有馬学(福岡市博物館総館長・歴史学者)
「長谷川町子の助走
 サザエさんを生んだ時間と空間」

「長谷川町子[1920.1.30-1992.5.27]は、
戦争末期から戦後初期の時代を、疎開先の福岡市で過ごしている。
1944年7月から、およそ1年5カ月、西日本新聞社の絵画係に勤務し、
紙面に漫画ルポや挿絵などの作品を残している。

『西日本新聞百四十年史』(2017年刊)編纂に伴う社内資料の調査で、
『西日本新聞戦時版』や雑誌『月刊西日本』など、それまで所在不明
とされてきた刊行物が確認され、それらに掲載された
長谷川町子の未知の作品群が発見された。

田川水泡[1899.2.10-1989.12.12]の弟子として活動した
初期の漫画作品と「サザエさん」の間をつなぐ重要な作品群であり、
戦中・戦後初期の活動が、<サザエさんの長谷川町子> として
ジャンプするための助走期間であったことを示すものである。」
p.50-52

有馬学(福岡市博物館総館長・歴史学者)
「長谷川町子の助走
 サザエさんを生んだ時間と空間」

「『西日本新聞戦時版』は、増産への意欲増進と
銃後の戦意高揚を目的として、発行された。
日刊 1944年3月1日~1945年3月31日。
長谷川町子にとって新聞紙上で最初の本格的作品
「マンガ工場巡礼」1944年7月27日~8月2日、全6回連載、
が掲載された。」
p.53-54

「「マンガ工場巡礼」は「女子挺身隊」をはじめとする
女性労働者を取材した絵入ルポ。全ての回に
「本社特派員 長谷川町子」のクレジット。
各工場の初回には必ずスケッチブックを抱えた自画像を
登場させている。」
p.54

「『西日本新聞戦時版』1944年7月27日
「マンガ工場巡礼 1[アサヒ靴・日本ゴム福岡工場]」p.50
に描かれている、
スケッチブックを左脇に抱えた記者自画像は、
サザエさんです!

「長谷川町子略年譜
[1920.1.30-1992.5.27
「サザエさん」関連抜粋
オールシネマ、ウィキペディアにより補記]

1946年
4月22日 8日に創刊された『夕刊フクニチ』で「サザエさん」連載開始
8月22日 サザエさん」が東京に社会見学に行き、連載終了を告知する漫画
を掲載[単行本未収録。単行本第1巻巻末は8月25日掲載]
8月26日から「サザエさん」を休載して家探しと『サザエさん』出版準備のため、再上京。福岡の家を売却して、一家で世田谷区新町に転居
8月31日 『夕刊北海タイムス』連載開始(~11月17日)[単行本未収録]
12月 三姉妹(毬子、町子、洋子)で姉妹社(当時・姉妹出版)設立
1947年
1月1日 姉妹社から単行本『サザエさん』をB5判・横綴じで刊行、大半が返本となる
1月3日 『夕刊フクニチ』で「サザエさん」第二期連載開始[単行本第2巻巻頭]
4月 『サザエさん』を再発行、一カ月で十七万部が売れる
5月8日 サザエさんを結婚させて、「サザエさん」休載にする[単行本未収録]
10月25日 『夕刊フクニチ』で、フグ田マスオ、タラオちゃんを加えた「サザエさん」第三期連載開始(~11月5日)[単行本第3巻巻頭]
1948年
2月6日 『夕刊フクニチ』での第四期連載開始(~6月21日)
3月 『漫画少年』3月号~9月号で短篇「サザエさん」ほかを発表
9月28日 初の映画化作品
『サザエさん七転八起の巻』(マキノ映画製作・松竹配給/
東屋トン子主演[宮城千賀子他])公開
https://www.allcinema.net/cinema/135169

11月17日 『夕刊フクニチ』での第五期連載開始
11月21日 『新夕刊』[東京]で連載開始、
『夕刊北海タイムス』連載再開
1949年
4月2日 『新夕刊』連載終了
4月4日 『夕刊フクニチ』連載終了
12月1日 『夕刊朝日新聞』連載開始(~1950年12月31日)

[1950年7月29日 映画
『サザエさん のど自慢歌合戦』
東屋トン子・宮城千賀子他 出演 公開]
https://www.allcinema.net/cinema/86281

1951年1月
「わかめちゃん」を『こどもクラブ』で連載開始(~1954年8月号)
4月16日 『朝日新聞』朝刊に連載が移行
1952年
1月 短篇漫画「サザエさん」を『主婦之友』に掲載
1月 サザエさん絵本『サザエさんとおまつり』を姉妹社から刊行
5月 サザエさん絵本『サザエさんとわかめちゃん』を姉妹社から刊行
1954年
1月 短篇漫画「サザエさん」『少女クラブ』で連載(~1955年12月号)
8月 世田谷区深沢四丁目に転籍(後に桜新町一丁目に住所表示変更)
1955年
1月4日 ニッポン放送でラジオ連続ホームコメディ『サザエさん』始まる(~965年4月)[市川すみれ・東野英治郎・谷幹一他出演]
10月3日 KRテレビ(現・TBS)で『サザエさん』が高杉妙子主演で初のテレビドラマ化(~1957年9月28日)
1956年
1月 短篇漫画「サザエさん」『婦人倶楽部』で連載(~12月号)
12月12日 映画『サザエさん』(東宝映画製作・配給)公開。
江利チエミ主演でシリーズ化、1961年の『福の神 サザエさん一家』まで全十作が制作される

https://x.com/levinassien/status/1798556751262101588

https://x.com/Fe_tetsu/status/1798561530092646592

https://www.allcinema.net/cinema/137558

1957年1月 短篇漫画「サザエさん」『若い女性』で連載(~1959年1月号)
1960年3月22日 病気療養のため「サザエさん」長期休載(1961年10月に再開)
1963年12月 姉・毬子とケンカして家出するが、力道山の死を知って帰宅
1964年7月30日 「サザエさん」を休載して、初の海外旅行。26日間で欧州各国を訪問
1965年11月19日 東京放送(現・TBS)で江利チエミ主演のドラマ『サザエさん』が放送開始(~1967年9月29日)
1967年 胃がんのため、胃の五分の四を切る手術を受ける
1969年10月5日 フジテレビでアニメ『サザエさん』が放送開始
1970年 サザエさんバス事件(無断でキャラクター使用していた立川バスを訴え、勝訴)
1973年 「サザエさん」連載の休載と再開を繰り返す
1974年2月21日 休載、そのまま連載終了」
p.165-166

雑誌
『漫画少年』1948
『主婦之友』1952
『少女クラブ』1954-55
『婦人倶楽部』1956
『若い女性』1957-59
に掲載された「サザエさん」は、
単行本68冊には収録されていなかったと思いますが、
『長谷川町子全集 1-23』
『長谷川町子全集 30 サザエさん 別冊』
朝日新聞社 1997-98
には入っているのかなぁ?
福岡市総合図書館から借りて確認してみたいです。

読書メーター
長谷川町子の本棚
登録冊数9冊
https://bookmeter.com/users/32140/bookcases/11091760

https://note.com/fe1955/n/n9d16266fa9c1


別冊太陽の本棚
登録冊数14冊
https://bookmeter.com/users/32140/bookcases/11091335

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