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『芸術新潮』2019年7月号 大特集・萩尾望都 少女マンガの神が語る、作画のひみつ  ヤマザキマリ、とり・みき「リ・アルティジャーニ ルネッサンス画家職人伝 19 ベッリーニは苦悩する」  池上英洋・ヤマザキマリ「レオナルド没後500年記念特別放談 後編」 


『芸術新潮』2019年7月号 新潮社 2019年6月25日発売
https://www.amazon.co.jp/dp/B07T6S1CDF
https://www.shinchosha.co.jp/geishin/backnumber/20190625/

http://torimikisblogarchives.blogspot.com/2019/06/19.html
「ヤマザキマリ+とり・みきの『リ・アルティジャーニ』は第19回。
ジョヴァンニ・ベッリーニはヴェネツィアで新しい画材(油彩)や新しい技法と格闘、パドヴァ派との交流も描きます。

ヴェネツィアで北方経由の油彩が発達したのは、海上都市であるがゆえに湿度が高くフレスコ画が適さなかったためともいわれています。

いつもルネサンス期の背景作画に苦労している身にとっては、ヴェネツィア派の画家は当時の流行風俗や実景を多く作品に残しており、彼らの作品自体がもっとも有用な参考資料となるのでありがたい限り。

ジェンテーレ・ベッリーニ「サン・マルコ広場での聖十字架の行」

前回は15世紀当時のサン・マルコ寺院を描くのにジョヴァンニの兄・ジェンテーレの作品を、今回は石造りになる前の木造のリアルト橋を描くのにジェンテーレの弟子筋であるカルパッチョの作品を参照しました。
よくぞ描いてくれていた、という感じです。
現在のリアルト橋(とり撮影)

ヴィットーレ・カルパッチョ「聖十字架遺物の奇跡」

カルパッチョは風景だけでなく服飾の描き分けも細かく、ヤマザキさんは著書『偏愛ルネサンス美術論』の中で「男の子のタイツを描くのが大好き」と記しています。当時は男女ともこうした絵画からヴェネツィア最新の流行を知り、自分の着こなしに取り入れていました。彼らの作品は現在のファッション雑誌の役割も負っていたのです。

「芸術新潮」7月号巻末にはヤマザキマリさんと池上英洋先生の北方ルネッサンスに関する対談も載っています。ルネッサンスの画人と日本のマンガ家の対応が面白い。
江口寿史さんはボッティチェッリ、
とりはウッチェロ、
水木しげる先生はヒエロニムス・ボス?」

ヤマザキマリ(1967.4.20- )
とり・みき(1958.2.23- )
「リ・アルティジャーニ ルネッサンス画家職人伝
19 ベッリーニは苦悩する
ヴェネツィア派の雄は、果たしてスランプを乗り越えられるのか?」p.10-13
2022年6月2日読了

Donatello (1386-1466.12.13)
Antonello da Messina (1430-1479)
Giovanni Bellini (1430?-1516)
Andrea Mantegna (1431-1506.9.13)

「あれは20歳頃のことだったか…
姉と結婚したマンテーニャの故郷であるパドヴァを訪れた
マンテーニャはエレミターニ教会の壁画を手がけている最中だった
それは彼が初めて手がけた仰視遠近法
描いていたのは「聖クリストフォロの殉教と遺体の運搬」だった

実にすばらしい…
その人は当時パドヴァで仕事をしていたドナテッロだった

紹介しましょう こちらはジョヴァンニ・ベッリーニ、私の義弟です

はっ はじめまして… マエストロ・ドナテッロ…

おお そなたがヤコポ・ベッリーニの息子か…

ドナテッロはマンテーニャの斬新さを評価していた
これからの絵画には遠近法が必要となるだろう

いまやゴシックを継承しているのはヴェネツィアだけですよ

父はかってフィレンツェでジェンティーレ・ダ・ファブリアーノ※ に師事していた影響で 我々息子達に遠近法のような新しさを目指す教育をしてこなかったのだ

※(1370頃~1427)イタリア各地で活躍した国際ゴシック様式の巨匠。

画法も画材もすっかり進化しているというのに…
このままでは納得のいくものは描けなくなりそうだ…
私は変化を求めていた…」p.11-13

1450年頃のドナテッロは六十代半ば。
第11話で20歳頃のボッティチェリ(1445?-1510)が会った死の迫った老人よりだいぶ若いですけど、既に高名なんですね。

ベッリーニの挨拶の慌て方が、ボッティチェリと同様です。
https://note.com/fe1955/n/nb5b3fc56718e
「11 フィレンツェへの里帰り
 4 ウチェッロが引き合わせてくれたのは彫刻の老大家ドナテッロだった。」

池上英洋・ヤマザキマリ
「レオナルド没後500年記念特別放談 後編
レオナルドもびっくり! 北方ルネッサンスの衝撃
イタリア美術をこよなく愛する2人のトークは、さらに白熱!
北方絵画や日本のマンガにまで話題は拡がります。」p.158-161

「池上 「リ・アルティジャーニ」でアントネッロ・ダ・メッシーナがナポリで北方絵画に出会って、その写実性に驚く場面(左頁上右)がありましたね。僕も似たような体験をしたんです。
まさにメッシーナの「ある男の肖像」(158頁)。
https://www.musey.net/7519
まるで生身の男が鏡に映っているようで、ちょっと不気味ですが、すごい表現力だと感心しました。

マリ 容赦のない写実力。メッシーナの描く肖像画には、その深奥に何があるのか、という謎かけがある。人物の表情に宇宙すら感じます。

池上 人間性や社会背景など、いっさいを詰め込んだような肖像ですね。男性の肖像はメッシーナの真骨頂です。レオナルドやヴェネツィ派のジョヴァンニ・ベッリーニも、明らかにメッシーナの影響を受けています。伝播の経路が複雑なのですが……。

マリ ヴァザーリは、メッシーナが北方に行って、帰る途中でヴェネツィアに油彩を伝えたなんて書いてますけど、実際にはそんな事実は無い。

池上 『美術家列伝』は歴史小説として読まないと(笑)

マリ 「リ・アルティジャーニ」のメッシーナの場面は、当時、シチリアやナポリを治めていたアンジュー家~アラゴン家の当主がともに北方の芸術家たちを庇護し、時に招聘していたという史実を参照して描きました。」p.160-161

読書メーター ヤマザキマリの本棚(登録冊数73冊 刊行年月順)
https://bookmeter.com/users/32140/bookcases/11091917

とり・みきの本棚(登録冊数47冊 刊行年月順)
https://bookmeter.com/users/32140/bookcases/11711791

マンガの本棚(登録冊数1701冊 作家名五十音順)
https://bookmeter.com/users/32140/bookcases/11091192

芸術新潮の本棚(登録冊数40冊)
https://bookmeter.com/users/32140/bookcases/11092029


『芸術新潮』2019年7月号は、発売時に購入して、以下を読みました。

大特集・萩尾望都 少女マンガの神が語る、作画のひみつ
「〔表紙〕(描きおろし)
第1章 アトリエ訪問~あの名作たちが生まれたところ p28~33
 モーさま選り抜きライフ・ストーリー p34~35

第2章 アイデアがかたちになる瞬間! クロッキー帳はイメージの宝石箱 p36~45
特別寄稿 神域 文 小野不由美 p46~49

第3章 特別インタビュー「少女マンガ」の向こうへ……その作画術のひみつ(聞き手 内山博子) p50~72
 Ⅰ _Art ピカソの構図に惚れました p51~
 Ⅱ _How to Draw コマ割りは呼吸のリズムで p56~
 Ⅲ _Motif キラーアイテムは「階段」と「窓」 p61~
 Ⅳ _Character キャラクターは語る p67~
 Ⅴ _Future グローバル化とマンガの未来 p70~
 インタビューを終えて 最大の魅力は細やかな「絵の美しさ」(談:内山博子) p72
美しい物語は美しい本で(選・文:図書の家) p73~75

第4章 年代別に見る画風の変遷 軽やかに、しなやかに 進化し続けるひと(構成・文:図書の家) p76~87
 70’s 物語の中から "少年" が生まれた p76~
 80’s イメージの奔流が止まらない! p81~
 90’s 心と身体へのまなざし p84~
 2000s~現在・過去・未来。そして永遠 p86~87

第5章 あなたのお気に入りは誰? タイプ別 キャラクター名鑑(選・文 永井祐子) p88~93

第6章 幻の戯曲、ついに復刊! いにしえの皇女(ひめみこ)に思いをはせて 抄録『斎王夢語』 p94~97
現地レポート モーさま、ロンドンをゆく(取材・文 山形優子フットマン) p98~101
展覧会案内 p102」

「『なかよし』でデビューした当時は、雑誌に合った可愛らしい作品がなかなか描けなくて、悩んでいました。そんなとき『少女コミック』の副編集長だった山本順也さん[1938-2015.7.17]と知り合いました。描きたいものはいろいろあるけれど、なかなか掲載に至らないことを相談しましたら、「俺が見てやる」と言ってくださって。それまでボツになっていた「白き森白き少年の笛」や「かわいそうなママ」などを、まとめて送ったんです。そうしたら、「全部買ってやるよ」と。いやあ、助かりました。山本さんがいらっしゃらなかったら、発表の場を探して、もっとさまよっていたでしょうね。」
萩尾望都・談「忘れがたき編集者との出会い」p.34

「なんとか[読者アンケートの評判が悪かった]「ポー」の連載が終わった後、イギリスへ短期留学 … 日本に帰ると。[『少女コミック』の副編集長だった山本順也さんから]「仕事しろ」ってハッパをかけられて、「トーマの心臓」の連載を始めさせていただきました。そうしたら、また評判が悪くて。確かに絵は地味だし、話は暗いし、少女たちをときめかせることができなかったんですよ。打ち切られそうになった頃に、ちょうど「ポー」の単行本が出たんです。幸いにも、それがよく売れたので、連載は続行、「ポー」の続編にあたる「エヴァンズの遺書」以降の作品も描くことができました。」
萩尾望都・談「忘れがたき編集者との出会い」p.35


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