急いては事をブルーギル
「急いては事をブルーギル」。
読んで字のごとく、諺の「急いては事を仕損じる」と、淡水魚「ブルーギル」をかけた創作ダジャレである。
いまのオレのTwitterを見ている人はお分かりだろうが、
オレがこうした創作ダジャレを投下することは日常茶飯事で、それは2011年という激動の一年の大晦日であろうと何ら変わりはなかった。
何も考えずに投下したダジャレツイートなど、一日もすれば忘れてしまう。
このツイートは特にバズることもなく、そのまま歴史の闇に消えていくはずだった。
そこから約5年、2016年の11月。
いつものようにTwitterの通知を眺めていると、オレのツイートがリツイートされた通知があった。
そのツイートは、冒頭の「急いては事をブルーギル」だった。
2012年の元旦にはもう忘れていたダジャレが、見知らぬアカウントにリツイートされた。
悪意のあるいたずらだろうかと、オレはその「真昼造船」というアカウントを確認した。
どうやら、新潟で古書店を経営している方らしい。
そこで目に飛び込んだのが、上記画像のツイートだ。
どうやら、この「真昼造船」さんは、「他に誰もツイートしていないであろうダジャレ」を投下し、その後でTwitterの検索機能を使い、そのダジャレの「先達」がいるか確認する、という高尚な遊びをしているらしかった。
そしてオレは、「急いては事をブルーギル」の先達だったのだ
(ちなみに、オレは「夜の校舎ミルドラース倒して回った」というダジャレでも、真昼造船さんの先達であった。いったいどんな確率だろう)。
それからオレは真昼造船さんとTwitter上で繋がりを持った。
リアルでも、オレが年に一度ほど三条市の古書店「真昼造船」にお邪魔するという交流を持ち、今に至っている
(「真昼造船」は本当にいいお店なので、ぜひ一度行ってみてほしい)。
真昼造船さんがお店を経営していたことと、オレが新潟までのロングドライブを厭わない人間であったことは幸運だった。
真昼造船さんが単なる会社員であったり、オレが出不精であったなら、「たまたま同じダジャレを思いついた人がいた」というだけで、この話は終わっていただろう。
今では、この「急いては事をブルーギル」は、
上皇さまが皇太子時代に良かれと思って日本に持ち込んだブルーギルが日本の河川の生態系を破壊してしまった故事にまつわる教訓の諺として後付けで機能している(していない)。
オレがデザイナーのヨナハアヤさんに依頼して作ってもらった「急いては事をブルーギル」のロゴマークは、ステッカーやTシャツになり、このダジャレの拡散に一役買っている。
何の意味もない一つのダジャレが、大きな出会いをもたらすこともある。
これこそが、「急いては事をブルーギル」というダジャレ、いや諺の、本当の意味なのかもしれない。
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