おとしごろ

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 久しぶりに。

 いや、何十年ぶりに、お風呂に潜った。

 耳を塞ぐか鼻をつまむかで悩んだくらいで、あとは躊躇なく潜った。潜ってからは、湯船に追加しているお湯が流れ入る音を楽しみ、息をぼこぼこっとまあるく吐き出す。耳を塞いで、今度は鼻をつまんで、と潜ることを繰り返しながら、ああそうだ、と、思い出した。足を上げよう。

 幼き日に、「スケキヨ」に憧れた私は、ばあちゃんと一緒に風呂に入っていた時、あれを試みた。ばあちゃんが洗髪している間、こっそりゆっくりと、浴槽の内側に手をしっかりついて、頭から幾分ぬるくなった湯に浸っていく。背中、ようし、あとは足。

 そう足だけ、露になった大腿部から下を湖面からニョッキと出したあの「スケキヨ」になりたかったのだ。

 「あー!こりゃ、何してらんだ! 死んでしまうべな!」

 髪を洗い流してしまったばあちゃんに気付かれて、その日、私はスケキヨになれなかったどころか、母に大目玉を食らった。

 それ以来、風呂には潜っていない。

 

 実家はそれなりに田舎だったけれど、私は嫌いではなかった。実家から通える範囲の高校に通い、高校を卒業したら家から程近い隣町のニュータウン辺りで、スーパーとか何かちいさい会社の事務何かをして、同級生とかといつの間にか結婚してる...くらいの人生を小学生の頃、予測していた。

 高校を卒業してからもう30年以上経った今、スーパーでレジ係をしておらず会社で事務をするわけでもなく、そして、実家で暮らしてもいないし、結婚もしていない。実家から新幹線で3時間の距離の地方都市で、なぜか保育士をやっていた。

 「とりあえず、何か手に職をつけねばな。」

 ばあちゃんも母も口を酸っぱくして私に言っていた言葉だ。

 「おなごも自立だがらな。これがらは、そした時代だ。」

その呪文のような言葉の通り、私は高校を卒業して、今暮らす場所近くの専門学校に入学し、卒業後は実習でお世話になった園で働くことになったのだ。

 無我夢中だった。ピアノは苦手で、素人に毛が生えてきてまだ産毛程度だった。創作は嫌いではなかったが、上手でもない。そしてどちらかと言えば子どももあまり得意ではなかった。まぁ、それでも、何十年と保育士ができているのは、周りが良いからだと思っている。

 独身を貫いているわけではないが、気づいたら独身のまま。おつきあいもした。若い頃は合コンに呼ばれたり、お見合いの話もあったが、ピンと来る人もいなかった。同棲した男には、「お前、母ちゃんみたいで嫌だ。」と言われ、フラれた。     

 帰宅して灯りを点け、冬は暖房にスイッチを入れる。テレビをみながら食事をし、一杯飲む。おならもゲップもし放題だし、気ままだけれど、淋しくないと言えば嘘になる。体調を崩したとき。台風が来たとき。身近な人が亡くなったとき。ねぇねぇ、今のモノマネ似てたよねぇ、ちょっと今のお笑いコンビ面白くなかったよねぇ...とテレビをみながら言ったことばが、ひとり言だったとき。

 園では主任となっていて、クラスを持つことなく、各クラスのサポートとか事務的な仕事とお詫びが中心の毎日。おゆうぎ会では劇の主役をやらせてほしい、とか若い先生とうちの夫が不倫しているという妄想の対応とか、炎天下の水撒き、しゃがみこんでの草むしりなど、雑務ばかりだ。私は日常、シフト制ではないので、わりと定時で帰宅できている。

 変化のない毎日がいつまで続くのかな、定年後は何をしたらいいのだろうか、と思うことが多くなったこの頃、白髪が増え、物忘れも出てきた気がする。このまま、か。

 毎日通る道なのに、カルチャースクールが入るビルには気付かなかった。たまたまそのビルの前で、持っていた荷物を落として拾った時に顔を上げた先にポスターを見つけた。

『ミステリー研究会~会員募集~好きな作品について語りませんか?本、映画、フィクション、ノンフィクション問いません。毎月第3木曜日19時から』

 今日は第3木曜日。あと20分で19時だ。

 

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