名前。
私のあだ名は「インド」。
けしてエキゾチックな顔立ちでもなければ、カレー好きというわけでもない。どちらかと言えば平面的でベターっとした顔。カレーよりシチューが好き。しかし、この世に生を受けてからの23年のうち10年以上はインドと呼ばれているのだ。
呼ばれ始めたのは、中学生という多感な頃だから最初は本当に嫌だった。
「インド、おまえ、毎日カレー食べてんの?」「インド語言ってみろよぉ」
小学校を卒業して、中学生になったとて、中1男子はまだまだガキだ。インド語ってなんだよ、ヒンディー語だろーが、アホかおまえら。面倒くさいのはゴメンだと思って、口に出さず、アホアホ男子の口撃を無視しながら過ごしていた。なんてスカした中1女子。
ある日、国語の授業で
『私の名前の由来』
という宿題が出た。もちろん作文の力を向上させるためという目的はあるだろうが、親子関係がギスギスしやすくなる中学生に、『親がいかにして自分の名前を付けたかを知り、愛情を再確認する』ための裏テーマをもうけていたことは、あとになってから知ったけれど。
私は親になぜこの名前にしたのか?そういえば聞いたことがなかった。
西陽に射されながら夕食の準備を淡々としている母の背中では、エプロンの紐がよじれていた。私はネギを刻む手元を覗きこみながら
「ねぇ、学校の宿題でさ、自分の名前の由来を作文に書かないといけなくて、だからさ、教えてほしいんだけど。」
うーん。という声にならない声とともにまな板のリズムが止まった。
「何?」
「...。あなたが思うほどこれといった由来はなくて...。パパの好きだった女優さんから取ったのよ。」
「えー?それだけ?」
「それだけ。」
それからしばらく私は父と口をきかなくなった。
作文の宿題を提出し、一週間ほど経ったとき、学年集会の時間に各クラスから2人ずつ発表することになった。そして何の間違いか私の作文も選ばれてしまった。先生に遠慮する、と言いに行ったが、見事に却下された。
学年集会での作文発表は、花の美しい季節に生まれたから『咲桜』、世界に羽ばたくような子になってほしいから『翼』、親が大好きなアニメのキャラから『慎之介』、一族に男児が生まれたら『さんずい』の付く文字を入れることになっている『海斗』など、素敵なエピソードや親の愛いっぱい、というような話が続いた。
私はラストだった。学校を休んでやろうか、と思ったが休んだら先生が読むというから、いないところでバカにされるより、堂々と闘ってやる、とその頃の私は思っていた。
さあ、私の番だ。
【私の名前】
私の名前は、父の好きな女優から取ったと母から聞きました。
それを知って私はガッカリしました。何の由来もない、せめて姓名判断とか画数とかを気にするとかはなかったのか?と聞いても、ない、と即答されました。
私は悲しくなりました。
でも。私にはあだ名があったじゃないか。
『インド』という立派なあだ名が。
誰が言い出したのか忘れましたが、インドの方のようなハッキリとした顔でもなく、カレーばかり食べているわけでもありません。給食のタンドリーチキンはどちらかと言えば苦手です。でも、ナンは好きです。
今までは『インド』というあだ名が嫌でした。でも、このあだ名のおかげで、インドについて調べているうちに、インドに興味を持ちました。2ヶ月くらい前から、インド舞踊を習い始めました。難しいけれど、ただダンスをするだけでなく、インドの歴史や文化について教えてもらうこともでき、いつかインドに行ってみたいと思っています。
インド、とあだ名を付けてくれた人、ありがとう。
お父さん。好きな女優の名前を、何も考えず付けたことに腹を立て、話しかけられても知らんぷりしてごめんなさい。
『多嶋晴恵』
と名付けてもらってよかった。そう思います。
ありがとう。
この名前を大事にします。
先週、部屋を片付けていたら、おどうぐばこ、と書かれたうさぎのキャラクターの箱からこの作文が出てきた。
さあ、今日は、出発。
作文を入れた実家宛の封筒をポストに投函して、私はインド行きの飛行機に乗るため、空港へ向かった。
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