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【幸せ者】


初めまして。
桃山学院大学体育会サッカー部1回生の木村友哉です。めちゃくちゃな文章だと思いますが、最後まで読んでもらえると嬉しいです。 

 僕は鳥取県の米子市で生まれ、そこから18年間、ずっと鳥取で過ごしてきました。親から聞いた話ですが、僕は小さい頃から負けず嫌いで、サザエさんのジャンケンに負けただけで大泣きをする子どもでした。

 僕がサッカーを始めたのは兄がサッカーをしているのを見て、自分もやってみたいと思い、やってみたところ、とても楽しかったのがきっかけでした。それからサッカーをするのがとにかく楽しくて、遊びの時もいつもサッカーをするぐらいサッカーが大好きになりました。そして、小学2年で就将サッカークラブに入り、本格的にサッカーを始めました。そして小学5年生の春からGKになりました。
【1度目の転機】
 それは、GKになったことでした。僕は、大好きな選手が遠藤保仁選手だったこともあり、また、サッカーは点を取ることが醍醐味であるにもかかわらず、GKというのはそれができないこともあり、本当はGKをやりたくありませんでした。さらに、それまで他の人よりも球技ならできる自信がありましたが、その自信も完全になくなってしまいました。そして、そこからは大好きなサッカーを何度もやめたいと思うようになったし、何度も試合の日に仮病を使って休むようになりました。さらに、サッカーがうまくいかないストレスから、些細な出来事でイライラしたり、人に八つ当たりをしてしまっていたなととても思います。
【高校】
 高校は鳥取県の境高校に入学しました。選んだ理由は兄が行っていたのもありますが、1番は、2015年の選手権の鳥取県大会決勝、米子北対境戦で0-4で負けていながらも、試合終盤に境のキャプテンの選手が諦めず、ドリブルからゴールを奪ったシーンにとても感動したからでした。

しかし、1年の時は、TOPチームで試合に出ることはできず、さらに、国体メンバーに選ばれたものの、自分がなぜ選ばれているのかわからないまま終わってしまい、もったいない1年を過ごしてしまいました。
【2度目の転機】
しかし、今でも鮮明に覚えていますが、高校2年になる前の3月に特に何か出来事があったわけでもありませんが、今までの自分がダサすぎたことに気付きました。周りの人は色々なことを与えてくれるにも関わらず、僕はそれを裏切ってばかりだったなと思いました。

それからは、考えを改めて、期待されるような人間になれるように日常生活やサッカーへの取り組みを変えて頑張りました。すると、自信を持ってプレーできるようになり、高校2年の総体から試合に出れるようになりました。高校2年の時は、新人戦、総体、選手権、全て鳥取県大会決勝で米子北高校に負けてしまい、とても悔しかったですが、試合をしていてとても楽しくて最高の経験ができたなと思います。高校2年の1年間を通して、GKというポジションはミスが許されないポジションで、責任感が求められ、勝負を左右する最も重要なポジションだということに気付き、それからとても誇りを持ってプレーできるようになりました。結局、3年になっても全国には行くことができず、高校サッカーは終わりました。


【今までを振り返って思うこと】
 僕は本当に出会いに恵まれているなと感じます。
サッカーでいうと、試合の前日や当日になると、「頑張れ」と言ってくれる友達がいたり、どんなに下手でも試合で使ってくださる指導者の方がいたり、試合に出れば、たくさんの人が応援してくれました。そして、日常生活でも、誕生日になれば「おめでとう」と言ってくれる人がいたり、誕生日プレゼントをくれる人がたくさんいたり、学校の休憩時間に一人でぼーっとしていると話しかけてくれる人がいたり、大学入試の時には応援してくれる人がいます。 
そして、大学に入った今も、有難いことに、どんなに下手でも見捨てずにアドバイスをくれる人、相談をすればちゃんと答えてくださる先輩方、そして、たくさん話しかけてくれる人たちがいます。
僕は出会ってくださった人たちのおかげでたくさん成長することができました。感謝しかありません。

僕は本当に「幸せ者」です。

今は、大学でサッカーをしていて、毎日のように足を引っ張っているし、たくさん迷惑をかけているなととても感じます。なので、できることを精一杯やって、できないところは自主練で身につけて、チームにとって必要な選手になれるように頑張ります。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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