私が今まで経験し感じたサッカーをまずざっと振り返ります.2

車範根選手と言えば、私はもう中学生になってサッカーを始めていたのですが、モントリオール五輪予選の日韓戦が記憶に残ります。福島の叔父さんと従兄弟に連れられて、初めて、国立競技場を訪れた試合です。前日、仙台から特急で4時間かけて東京(上野)まで行ったのですが、その車内で読んだスポーツ新聞に、韓国の新エースとして車範根選手の名前を初めて知ったのです。その日は、あのホテルニュージャパンに泊まりました。廊下がくねくね折れ曲がっているのが印象的でした。そして翌日、国立競技場に向かいました。初めての国立競技場は、その大きさ、重厚さに圧倒されました。それ以上に驚いたのは、地鳴りのような、殺気立つような韓国の応援でした。日韓の歴史を全然理解していなかった当時の私にとっては、正直、恐ろしく感じました。(車範根選手についてはもう一つ。当時私が好きだった、Eフランクフルトにその後入団して、活躍したことが印象に残ります)
話のついでに、次に国立競技場を訪れた試合のことを書きます。それは、私が中学を卒業し、高校に入学する前の春休みのことでした。姉が東京の大学に入学することになり、その手伝い?(逆に邪魔していたと思いますが)を兼ねて、東京に遊びに行きました。丁度、国立競技場で日本代表(当時は全日本という呼称だったと思います)の試合があったので、姉にリクエストして観戦することにしたのです。当時、仙台にはまだ無かったマクドナルドで、初めてビッグマックを買ってもらい、国立競技場に向かいました。ところが、競技場の周りまで来ても人がまばらで、サッカー協会の職員の方だったのでしょうか、「今から日本のサッカーの試合があります、ぜひ見ていってください」と呼び込みをしているではありませんか。当日券を買ってバックスタンド側に入ると、観客がそれこそパラッパラッとまばらに座っているだけでした。対戦相手は、ソ連のアムール・ブラコベシチェンスクというチームでした。ソ連の3部、極東リーグのチームということがあるにしても、あまりの不人気に愕然としました。おまけに試合も完敗で、日本のサッカーのまさに暗黒時代を目撃したのでした。しかし時の監督、二宮寛さんは、世界的な名将、バイスバイラーさんとの強い繋がりがあり、代表チームの若い選手たちを西ドイツ、ブンデスリーガの各チームの練習に参加させたのでした。それをきっかけに、奥寺選手が、日本人初のプロ選手としてケルン、ブレーメンで活躍。風間選手、尾崎選手もブンデスリーガでプレーしました。それを第一歩にして、40数年が経過して、ついに日本代表がドイツ代表にワールドカップで勝つ時代が来たのでした。暗黒時代を知っている私としては、本当に信じられないことでした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?