ワイのお笑い年表⑪ 1年・NOROSHI編

来ました。1年生のNOROSHI。

チームシュールレアリスム
漫才 ベリーベリーエンジェル(嶋田 瀬戸)
ピン トミー藤本 (藤本)
コント 紅 (川田 堀江)

広報みたいな書き方をしてしまいました。
相方に迷惑かけ学部留年学科の相方おかげで、最初で最後のピンNOROSHI。

前日までコールセンターのコントで行くはずでした。台本見ます?ちゃんと全部俺が書いたし。全然面白くないけど。M-1ファイナルステージの出囃子でザ・パンチが出てくるボケだけはウケたやろなあ。
そんなこんなで色んな先輩に台本を見てもらい、やんわり否定されながら、前日、もう0時も過ぎてる都で、「フリップやあ!!!!」となり、都から原付飛ばして寮まで帰り、オーディションのフリップを叩き起す。

チームMOTHERと同じ日ということもあり、ダイソンイチカンなどの漫才師はカナディアンに、山森さんよっしゃんさんコント師はヤマアラシに付きっきりで、おかみあたりが「1年は期待されてない」みたいなことを言ってたらしいが、僕はフリップをわせおさん、タムタムさんに付きっきりで見てもらってたお陰で微塵もそんなこと感じられなかった。

その時点でオーディションのクオリティ、しかもランダムフリップしかなかったから、使える奴を選出。そこからくくった方がいいなということであるあるズラしが使える「中国の偽物」というフォーマットを選択、そこからボケ出し。今思えばタムタムさんのダジャレおふざけばっかりだったけど、めちゃくちゃ有難かった。初顔までずっとTOMMYのダメ出しはタムタムさんに貰ってた。

楽しそうにネタやってるのでいいとしましょう。
「異物ポテト」が拍手?そこまではいってないか、まあめっちゃウケた。

ほんでエントリーはや。

結果は5%とか。まあそれはいいんだけど。
チームとしてMOTHERを勝たせることが目標だったから、結果発表でMOTHERが呼ばれなくて得票率みたら次点。4位がシュールレアリスムの直後のマイファザー率いるナショグルのスポーツ王は俺だ、5位が直前のおかしいでしょ末益率いるプリッツのゆけ!ボーマンダ(香盤終わってんな)。
俺らがもう少し割れてたら、MOTHERが、と思うと初めて悔しくて泣きそうになった。
その後のカーテンさんの涙を見るのも悔しくて悔しくて。

結局、ゆけ!ボーマンダが出られなくて繰り上がり敗復になるんだけどね。
創価落研初の純2年チームでの敗復。それを次の年チーム大金星がストレート敗復で超えたと思ったら、次の大会でチームスピカが準決に行きます。ゆくゆくは創価落研2年生が優勝しちゃうんじゃない?へへ

なんだろうなあ思い出。
〇スナさんが紅のこと、「良い意味で「NOROSHI?はぁ?」っていう脱力感があった」って言ってたな

うーん、あんま覚えてないや!

このあと準決を見に行く野方区民ホール。あんなに大きくて、舞台も遠くて、無尽蔵がめちゃくちゃ遠くでネタやってるように感じたのに、4年の今になって見たら「こんなんだっけ?」ってなったなあ。
まあそれは板橋を挟んでるせいでもあるんだけど。

全部が遠く、大きく見えてたあの頃も懐かしいなあ。。

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