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親を想う子の気持ち

娘が親を心配する気持ちは
いとも簡単に跳ね除けられるのに

親の心配を解消するために
娘は生活を隅々まで晒す必要があります。

覗けば見える距離の家で

電気が点いた事をリアルタイムに確認されるような距離の家で

私は帰宅と同時に
親に連絡を入れる必要があるようです。


安心するから。



娘は母親が安心するために
生きているんだろうか。

娘個人の人生を
信用して尊重して放置する事は
そんなに出来ない物なんだろうか。


私の生活全てを把握したところで
心配しない なんて事はあり得ないわけで



不公平という言葉はなんだか違う気がするけど、他に相応しい日本語が見つからないし、見つかっても困る気がします。



家族は一緒に過ごすのが当たり前
親は子の世話をするのが当たり前

それは大人になっても同じ
一人でやるのは大変に決まってる
やってあげたいと言う気持ちを否定するな


母にとっての【当然】に
私は日々巻き込まれては

私は自分の生活を犠牲にすることが【当然】で

母の言う事は【絶対】であるが故に
それに難色を示す事は許されない




黄金週間のある日
母はお宮参りの次女一家に同行するために朝早くから外出していた。

そんな母の携帯に
近くに住む三女の携帯を使って
『ママが起きない』と5歳の甥っ子が電話したそうだ。

実際ママは起きていたものの
折り返しの電話に出ない事を気にして
母は、三女の家に様子を見に行ってくれと言って私を電話で起こした。



母は帰ってきてからそれを何度も
申し訳ない事をした と言ったが

そういうことが出来るように近くにいるんだし
申し訳ないと思う事ではないと
何度も伝えた。


それを言うなら日頃自分のエゴだけで
本人が不要と言っている手伝いに派遣される方が精神的にキツいし
おかげで私は自分の家事ができない、と言いたい気持ちを抑えて

それでいいんだと伝えた。



かつて母が
同じ家に暮らしている私に一言も告げずに
原因不明の目眩を理由に
まだ暗い早朝の街中を歩いて病院に行ったことがあった。


起こすのが申し訳なかったと
その時の母は言ったが

母は、申し訳ない の使い方が
いつだって根本的に間違えている。


私はその事をとても怒って
一緒に住んでいる意味がないと説得し

もし同じことが次に起きたら
必ず何時でも起こすように約束してくれと頼んだものの


結局約束はしてくれなかった。
まだ同じ事は起こっていないけど。



今思えば私が家を出ようと本気で思ったのは
その時だったような気がする

そばにいるのに役に立てない
頼ってもらえない事が悲しすぎて

未だに根に持っているし
その時の悲しさは永遠に忘れないと思う。



親が子供を心配して手をかけるのは当然なのに

子供が親を心配するのは
いとも簡単に拒否される

些細なことの積み重ね。


私は信頼して任せて欲しいだけなのに

いつまでも世話を焼き続けたい親としての気持ちが、全く理解できないわけではないけど



母にとっての【当然】や
母にとっての【申し訳ない事】が

私にとっての感覚と違いすぎて


お互いの感覚を少しだけお互いが受け入れる事ができたら
もう少し楽なのかもしれないけど


親と子 という関係性故に
私が受け入れる以外の選択肢がない。


だからこそ、私は
物理的にそばにいない事 以外の解決策が見つけられない。



どこの家もみんな
そんなに親が全てなんだろうか。

子供と意見がズレた時に
子供の意見を受け入れてくれる親って
本当にいないもんなんだろうか。


子供の出す結論だって
親を想って、家族を想っての理由があるからこその意見なのに

そもそも
もうすぐ40にもなる大人を
いつまで子供扱いされるんだろう。


自分の子 という意味ではなくて。

世話の必要なガキという意味での子供。



母にとっていつまでも私は子供なんだろうけど
それは変えられない事実だから仕方ないけど

私はそろそろ

ひとりの大人として
母と向き合いたい。

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