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テーブルクロスの日常

私の名はテーブルクロス。今日もテーブルにマウントをとって悦に入っている。

名と言ってもそれは他称であり、私自身は自らの事を「フロール」と呼んでいる。
淡い黄色地に、デフォルメされた蝶の柄。まるで花のようではないか。私はこの柄が気に入っている。
「フロール」は「フローラ」の男性形だ。テーブルクロスに性別など無い。だが私はフロールであって、決してフローラではない。
もっとも、この名を知る者は私以外にはいない。人間が私を呼ぶ事は少ないが、その時には皆テーブルクロスと呼ぶ。
だがそれで良い。たかが人間が私の名など知る必要はない。神の名を忌むが如く、その名を畏れて震えておけば良いのだ。

私の時間は概ね止まっている。初めてこの場所に来てから、ほとんど身動きもせずにここにいる。グラスの水をこぼしでもしない限り、ここを離れる事はない。
それはテーブルクロスにとっては珍しい事だ。大抵は数日に一度、少なくも数ヶ月に一度は交換され、しばしの睡眠を取るのだと聞く。そんな生活も悪くない。だが私は今の生活を好む。睡眠という物がどんな物だったかは失念したが、およそテーブルクロスに睡眠は必要ない。

人間が皿を置き、人間が食べ始める。皿に何が載っているのかは私にはわからないが、わかる必要もない。
私は人間を区別しない。察するに区別があるようだが、私には違いがわからない。だがこれもまた、わかる必要のない事だ。人間が私の日常に興味がないのと同様、私は人間の個体差に興味がない。

人間は今度は床に皿を置いた。載っているのは多量の茶色い粒だ。小さなドアからシアンが現れ、それを食べる。食べ終わった人間がシアンを撫でると、シアンはニャーと鳴いた。
食べ終わるとシアンはイス伝いに私の上に飛び乗った。並んだ皿の1つにつまずき、ガチャンという大きな音がした。人間が驚いて大きな声を出す。シアンはすぐさまテーブルから飛び下りたが、そこを人間に捕まった。
シアンが人間に怒られている。これはいい見物だ。

人間はシアンを可愛がっている。私を可愛がることはない。人間はシアンの名を呼ぶが、私の名は知らない。

時にシアンは人間の完璧なしもべだ。人間が人間に対するのとは違い、人間がシアンに対する時は完璧な主従関係がある。シアンにもそれはわかっている。
人間も知っているはずだが、なぜか知らないふりをする。ここが人間の浅はかさであり、同時に畏るべき点でもある。私には到底理解できない。私が人間との共存に甘んじているのは、この計り知れない自己統制能力を、私が軽んじていないからだ。

人間は皿を下げ、人間は学校へ行った。
しばらくして人間は私を小さく畳み、紙袋に押し込めると、私を外へ連れ出した。
私は外の世界をほとんど知らない。連れ出される時には大抵こうして押し込められている。狭まった視界からわずかに見える景色は、混沌として瞬く間に流れ去り、忘れてしまう。
だがそれで良い。私は世界など知る必要はない。私にはあのテーブルの上で止まった日常こそが世界であり、永遠に止まり続ける日常でしか私はテーブルクロスで居られない。

高速で流れる景色が止まり、人間は巨大な円形の扉を開け、無造作に私を投げ入れた。扉が閉まり、金属音と電子音が鳴る。視界が円形に混沌として高速でねじ曲がり、私はしばしの眠りに就く。

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