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メドベッドの公開と、公開後……

EBS によるものかどうか、公開のその方法についてはわからないにしても、おそらく近いうちにそれは公開されて、誰でも無料で完全な治療が受けられるという情報が伝わっていくようだ。

しかしそれを今の既存マスメディアで流すのかといえば、それについては、もし流せば危険なことになるのではないかとも思う。今まで信じられてきた医療とあまりにもかけ離れていて、とうてい信じることはできないという人が大半を占めるだろうからだ。

特に医療関係者だ。医師、歯科医師、看護師、薬剤師、その他医療に従事する人々、関連企業の人々……その全てが、そんなことはあり得ないとして、あり得ないとする根拠をこれでもかと提示し、力説するだろう。

「先生、メドベッドというのがあるそうですが、私も受けられるでしょうか」
「ああ、最近噂のあれね。危ないからやめたほうがいいよ。実験台にされるんだよ」

病院で患者がこんなふうに、医師からメドベッドを否定される。医者が言うから間違いないんだと患者は思う。そう、ほとんどの患者は主治医を信頼している。

患者と主治医との信頼関係というものは、そう簡単に破壊されていいものではないはずだ。なにごとも人間関係によって私たちは暮らしているのだから、信頼を破壊したり、破壊を奨励したりすることは、大きな災を招くことになるからだ。

ある日を境に、もしマスメディアで、メドベッドを肯定する専門家(真実を語る人たち)ばかりが大挙して登場するようになれば、医者にかかっていた人々は自分の主治医と自分が受けてきた医療に懐疑的になり、医療対患者という世界的な対立が起きるだろう。過激な人々も現れて、病院で暴言を吐いたり、薬局に石を投げたりするかもしれない。

メドベッドは、そのような形での医療崩壊を招くものになるべきではない。メドベッド公開の鍵を握るアライアンス側も、きっと波動の高い人々だろうから、医療崩壊自体はたとえ避けられないにせよ、平和を乱すことは最大限抑えたいはずだ。メドベッドの公開は人類を幸福で包み込むべきものであって、人類に悲劇をもたらすものであっていいはずがないのだ。

だから、マスメディアでメドベッドをいきなり肯定したり推奨したりはしないのではないか。

今の段階のように、知る人ぞ知る情況を維持しつつ、受けられる人から受けてもらう。そうして不治のはずだった病の完治した人が、ひとり、またひとりと現れる。

「まったく信じられないわ! いったいどうやって治ったの?」

そう問われれば、ぼそぼそと、申し訳なさそうに経緯を語る。そう、私も信じられなかったけど、すごい医療が始まってるのよと。

医療関係者の間でも、メドベッド病院から引き抜かれる人が増えてくるだろうし、そうでなくても、噂はじわじわと広まってきて、いつしか誰も否定できない、誰も馬鹿にできないものとして、医学のパラダイム革命が静かに完成していく……。

ニュルンベルグ裁判だと騒ぎ立て、薬害事件の首謀者、共謀者を吊るし上げろと叫ぶ向きもあるかもしれないが、筆者にも親友たちがいる。彼らは医師で、あのワクチン接種を行う側だった。もちろん彼らは、ちゃんと自分でよく調べていたわけではない。医師会や医療行政の言うことを疑うことをしなかった。しかしこの三十年、ずっと疑わずにやってきて、十分立派に医師が務まってきたのだ。

そんな彼らを今急に吊るし上げろと言うわけにはいかない。そんなことを言うやつこそが人類の敵だとさえ思う。

もし彼らに非があるのなら、有害な農薬を使用してきた農家も同罪だろうし、有害な添加物を使用してきた食品業界関係者も同罪だろう。フリーエネルギーでゼロエミッションの車を走らせるべきだった自動車業界と関連企業も全滅だ。つまり、人類みな悪だと言うに等しいことになってしまうのだ。

メドベッドがもたらすものは、何が何でも、幸福でなければならない。悲劇や対立を生み出してはならない。

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