『ミッドサマー』/関係性を持続させる責任

 前評判がとんでもない化け物映画・『ミッドサマー』。日本での封切り前から散々監督アリ・アスターの話を絡めた悪評(もちろんいい意味で)を聞いていたが、実際に劇場に足を運んでずばり、「裏切られた」。

 もちろん、白夜の村で行われる凄惨な儀式など、前評判を裏切らない要素は多く視覚的に非常に楽しめたのだが、一言でホラーとしてカテゴライズするのは非常に悩ましい。結局一番怖いものは生きている人間という視点から語ればホラーという分類は必ずしも間違いではないが、幽霊や怨霊、あるいはアリ・アスターの前作品の系譜を引き継ぎ今回でも出てくるのではないかと思っていた悪魔などは一切出てこない作品に仕上がっている点が、一言でホラーとカテゴライズするのを躊躇わせる。であるからこそ、今回の感想は人間の関係性に重点を置いて語るものにしたいと思う(ルーン文字などの解釈に関してはその筋の人々に委ねるしかないので、こういった観点から語る他ないとも言えますが)。

 とりあえず、すでに『ミッドサマー』を観ていることを前提としての感想になるので細かな背景などを飛ばして、早速ですが主題。わたしの立場をまず明らかにしておきたいのですが、主人公であるダニーに寄り添うような立場ではないです。確かに、冒頭部分、ダニーは心底から家族の問題に悩んでおり、藁にも縋るような思いで恋人であるクリスチャンに電話をかけている。それに対してのクリスチャンの態度は「とりあえずこの場をなあなあにする」ことに終始しており、ダニーのことを真剣に慰めようとしているわけではないことは説明するまでもないと思う。

 けれど、ここでのわたしの立場は一言で、「クリスチャンはそこまで悪人なのか?」です。それも、最終的に焼き殺されなければならないほどの「悪人」なのか、というところは、先に話したい、というか、今作品でのわたしの感想はほとんどそこで語り尽くせてしまう気がする。

 確かに、クリスチャンはダニーの言葉をまともに受け止めてはいないし、心の底から同情をしているのかと言われればその限りではないと思う。けれど、仲間たちに咎められても席を立ちダニーの電話に応答してやるだけの「根気」みたいなものはあるのではないだろうか。自分自身がクリスチャンの立場にあったら、と想像すると、正直ダニーとは付き合っていられない、と思ってしまうところも多い。精神が不安定で、すぐに涙ぐんで言葉に詰まり、こちらの言葉を掻き消すようにまくし立てる相手との交際は想像以上に消耗するだろう。

 とは言え、クリスチャンは必ずしも善良な人間ではないし、うんざりとするような交際期間を四年も続けたのは別れ話をする労力すら惜しんだと言われれば、多分それも正しい。このまま惰性で交際関係を続けるか、あるいはダニーに別れを告げるか。どちらの方がよりうんざりするか、と考えると、正直どちらもうんざりすることには変わりないだろう。関係性が良好なものであるように維持管理する努力を確かにクリスチャンは惜しんだが、それはそっくりそのままダニーにも言えるのではないだろうか。わたしが抱いた違和感はその部分で、ふたりの関係性を腐らせたものはクリスチャンの不誠実さだけだとは必ずしも思えなかった。

 双方のどちらかが果たすべきだった役目(つまり、交際関係の終了を宣言する役目)を最終的に担ったのはダニーだったが、それにしたってあんまりな仕打ちだよなあ……と思った次第なので、取り急ぎざっくりと感想をまとめてみた。あと一度劇場で『ミッドサマー』を観る予定があるので、次はふたりの関係性をもう少し深い観点から考えてみようと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?